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昼間の(元)吸血鬼

 [前回の続きですがどこから読んでも大体楽しめるものを目指しています]

 レースカーテンから零れた朝の光がシーツの上に降り注ぐ。こういうのを綺麗だな、と素直に思えるだけでも、有限の生命に転化出来たことが嬉しい。朝がすっかり楽しくなった。こうやって光に手を透かし、陽の光を纏い身体が温められていくのを感じること、それがこんなにも心まで温められることとは、不老長寿だった頃には知り得なかったこと。私たちは人間の創った物語のように、太陽光に当てられたら瞬時に灰になる、ということはない。太陽光に暫く晒されると、弱ってくる。人間がわざわざ大雨の日を選んで河川に近付かぬように、わざわざ光と戯れたりはしない、朝日を歓迎はしないという程度だ。
 と言うことで吸血鬼の肉体では得られなかった感覚を得て、穏やかな余生を過ごす今は今の所、順調で幸福だ。余生だなんて言うと人間には眉を顰められるがこちらの時間感覚としてはやはり余生である。老いというものがこれからどのように身体に蔓延るのか、楽しみでならない。吸血鬼にとって老いは果てしなく遠いものだった。相当に長生きをすれば有り得ることだが、その前に事故で死んだり殺されたりする方が自然である。長く生きれば生きるだけ、色々あるものだ。と言っても近年は専ら平和なもので、事件めいたものは滅多に聞かない。種としてようやく成熟してきたということだろう。もしかしたら、成熟しきったので寿命を獲得できたのかもしれない。やはりギフトなのかもしれないと、私は時々思いを馳せる。何に? 神に。
 これを言うと、ミレイからは年寄りはポエミックで気色悪いと、散々である。

 大発表があり、人間の前に私たちが姿を現し、最初はいろいろあった。ちょっとした暴動やらデモやらテロやら頻発したが、災害時は我々がいた方が便利だと、理解に時間はかからなかった。美しく、優しく、頼れる我々。世界各地の官邸や共生推進派が狙われたが我々の力を示す格好のデモンストレーションになってしまい、余計な憶測も呼んだ。
 今は人間社会では我々は、妖精や精霊のような立ち位置である。綺麗に形容し過ぎかな。遊園地の着ぐるみだろうか。それも少し廃れた遊園地の。写真を撮られたり少し話せませんかと声を掛けられることもあるが、大抵、気遣うように放っておいてくれている。前は度胸試しで子供や若者に触られたり、テレビクルーに囲まれて撮られるようなこともあったが、此の頃は無くなった。怒られたのだ、気の毒に。

 共生と言っても間借りに近い。飲めなくなり死を待つだけの私たちにはもう希望はなく、余生を過ごせる場所が欲しかった。私たちの故郷は、もう跡形も無いので。
「あれ、そういう話だったっけ? 授業で聞いた話と違うなあ」
 私がアイロンを掛けて伊織が畳む。アイロン掛けは一番好きな仕事だ。皺ひとつなくぱりっと仕上がると気分がいい。熱中しているといつの間にか伊織が横で畳んでいる。折角綺麗にしたのにこんなところに置いちゃあ、とぶつぶつ言いながら。
「どう聞いたんだい」
「えっと……簡単に言うと、今まで人間の血を飲んできた罪滅ぼしに、今度は人間を助けることにしたって話」
「ははは! そうかあ、黙っておけばよかったな」
「よく考えたらおかしいよね……。貴方達と暮らしててとてもそういう意識があるようには思えない……罪滅ぼしとか」
「そういう話にしておいた方が統制が取りやすいと思ったんだろうね。人間を助ける、なんてわざわざ思わないさ。大昔から共存してきたのだし」
「あ、じゃあやっぱりこっそり混じってたんだ? よく言われてるけど」
「生死不明の歴史上のスターはそうかもしれないよ」
「うわー、ワクワクするねそういう話」
 
 共に暮らす人間は、伊織という。若い娘ということで、美しい元吸血鬼たちに囲まれての生活をさぞ喜んでいるだろうと思いきや、顔合わせの日は疲れた仏頂面で現れた。若さに似合わぬ疲れた表情にギランとした大きな瞳が印象的だった。その厳つい瞳で私たちを見つめ、礼儀正しく挨拶をし、自己紹介をし、なんと話の途中で彼女は寝落ちした。
 真夜中が背中をさすると、はっと目を覚まし、今日は出直しますとそそくさとカフェから退場したのだ。
 私たちは、人間がとても好きである。
「好かれなかったかな」
 彼女が去った後、肩を落としてミレイは呟いた。
 私たちを引き合わせた大家の赤山は、大丈夫だよォへんな子なんだあのこはとへらへら笑ったが、何せ酔っ払いの言葉なのでひとつも安心できなかった。
「無礼はなかった。というか挨拶以外何もしていないじゃないか、嫌われる余地もない」
 そう言ってミレイの肩を叩くと、彼はウンと小さく頷いた。引越しを、彼女に会えるのを、ミレイは誰よりも楽しみにしていた。
「瞳が」
 彼女が居る間一言も声を発さなかった真夜中が口を開いた。夜の闇のように黒い髪に囲まれた白い顔の、紅い唇が動く。
「暗闇でも光りそうだった」
 鈴を転がすような囁き声は楽しそうだった。真夜中が何か話す時は、明らかにうきうきと楽しげか、物凄く悲しげかのどちらかだ。たっぷりとした睫毛に淵取られた切れ長の双眸は、機嫌よさげに弧を描いた。美しい真夜中。吸血鬼は皆美形だがその中でも真夜中は一際印象的なつくりをしている。私やミレイと違い東洋人的で、艶やかな黒髪といい、きらきらと光を零すような瞳といい、無垢な声といい、奇跡のような女性である。
 真夜中はミレイは勿論私よりも、ずっと長い時を生きている。彼女が自らを語る事は殆ど無く口を開く事自体珍しい。稀な会話の端々から察するのは相当な古株で、平安京を詳しく描写するなど底が知れない。
「爛々としてたねぇ。しかしあのお疲れ顔で目の生気までなかったら噂になってしまうよね。あの家には現役の吸血鬼がいて、人間を食い物にしてるってね。ハハハ」
 笑ってみせたがミレイは昏い顔を左右に振り、『悪趣味すぎる』と呟いた。若いミレイは生まれてこの方一度も血を口にしていない世代だ。所謂『最後の世代』、彼らの代で吸血鬼は打ち止めである。血を飲まぬ彼らは元吸血鬼とも言えないと論争の種にもなるが、DNA的にはっきりとこちら側である。
 人の血を飲むなんて身の毛もよだつとミレイは言う。
 私から見るに、若い世代の方が人間が好きである。崇拝気味で、偏愛していると言ってもいい。吸血種族の性はあれど、食欲が刺激されないぶん性愛的欲求が歪み憧れの形を取るのだろうかと邪推する。食欲と性欲の混線。現にミレイは伊織にべったりである。こんなことを口にすれば、古い世代は食欲基準でしか人間を見られない下世話な年寄りと軽蔑されるのが昨今の風潮で、全く生き辛くなった。
 私はといえば、血色の良好な人間を見れば、昔は美味しかったなァとしみじみ感慨深くなる程度だ。
 本当に、一滴も受け付けなくなったのだ。
 時々、吸血鬼に噛まれたと薄ら赤い歯型がついた首筋や手首の画像がネットに出回る。人間の自作自演という扱いで相手にされない風潮だが、憐れで居た堪れなくなる。人間にではなく、噛んだ元吸血鬼に。勇んで噛みついてみたものの、あんなに美味だった血に何の旨味も感じられないことに愕然としたはずだ。砂でも飲むような心地がするのだ。まるく包むような舌触りも芳醇な香りも微塵も感じない。ザラザラと舌先を転げて馴染まぬ液体。何度か試してみた。とても喉まで流し込めなかった。泥水の方がまだ飲めただろう。

 人間が、食べ物ではなくなったとはっきり思い知ったあの瞬間。
 きょとんと私を見つめるあの表情が忘れられない。そうしてみるみるうちに青褪めたあの顔が。
 私はどんな顔をしてあの子を見ていただろうか。折に触れて思い出すが、可哀想なことをしたと思う。
 今はどうしているだろう。もう死んでいるのかな。
 
 大昔から絶食して死ぬ吸血鬼はいて、40年から50年で死に至る。このように感染したかのような種全体の変化は観測史上初だ。これからどのようになっていくのか、おそらく私は長くてあと二十年程度だと思っているが、一度も血を飲んでいない若い世代、ミレイたちがどうなるかが気掛かりだ。血を飲めなくなった吸血鬼から生まれた彼ら。40歳そこらで一生を終えるのだろうか。それとも進化を遂げ新しい地平を築くのだろうか。
 人間社会へのオープンコンタクトは、彼らの為でもあった。うまくいくのか、うまくいっているのか、まだ解らない。

「でも、また飲めるようになるかもしれないじゃない」
 伊織は言った。
 さすがにアイロンを掛ける手が止まった。
「君が言うのかい、そんな悲劇を」
 苦笑を浮かべて彼女を見る。彼女はハンカチをぴっちりとたたんで満足気だった。
「ダジー達と一緒にいるとどんどん想像が膨らむんだよね。次々何かが起こりそうな気がして怖いけど面白いよ。人間って狭くてちっぽけだったと身にしみるけど、それがちょっと愉快なんだよね。せいせいしたって感じ。何が起こるか解らないってことが。はは、今度は私たちが飲むようになったりしてね」
 気楽に彼女はそう言って笑うが、私は柄にもなく神妙な気持ちになった。
 
 あの後、改めての顔合わせで彼女は言った。

「一人暮らしが性に合わない気がしてきて、同居人を探してたんです。私、一人の方が考え過ぎて根詰めちゃって…適当になりたくて、気楽なひとがいいと赤山さんに言ったら、あ、赤山さんは高校の頃の先輩です。ふふ、いきなり三人も紹介されて、ええ、人間じゃないって驚いたけど……そのくらい異文化のひとがいいのかもなぁと。あっ、失礼なことをごめんなさい。皆さん話しやすいから安心しちゃって。あぁ、とりあえず始めたいです。お家も良いし。生活スタイルは、まあ…、キリがないかな、なんとなく擦り合わせていけたらいいかな」
 この子、自棄になってるのかなと思った。疲れた憂鬱そうな顔でそう言われたらそらそうだろう。それでもはっきりとした口調といい、固い決意のようなものも感じられたからだきっと、真夜中があの愛らしい声で、『よろしくね』と微笑んだ。気楽な人間と紹介されただけあって私も深くは考えない。ミレイは初めから審査する気もない。そうして共同生活が始まった。
 案の定というか、伊織は新しい環境に一生懸命適合しようとし、最初の一二ヶ月はイライラしたりひとり沈んだりと忙しそうだったが、今は概ね安定して穏やかである。きっとどこかで『せいせいした』ところまでいけたのだろう。
 刺激がある方が面白い。人生は何があるかわからない。たまたまよかった時だけ、これだから面白いなどと人は言う。
 もっと酷くなるかも、解らないのに。
 それさえも楽しいと思えてしまうのが我々の性だとは、きっと人間は気付いていない。

                              続
 

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