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子どもたちの幸せのために

近頃の報道でとても気になるトピックがあったので、今日はいつもと少し趣向の違うお話を。

保育園で長期にわたり子どもたちに虐待が加えられていたという事件があり、逮捕された被疑者の保育士3人に大変な非難が集中しています。特にSNSでは恐ろしいほどの暴露合戦が繰り広げられ、プライベートな写真や居住地、過去の些細な言動までさらされと、もはやとめどもない状態です。
明るみになった行為は極めてショックで簡単には許しがたく、厳しく事の真偽を追求し、それなりの罰を受けることは当然の結末です。

けれど、今のようにこの3人をモンスターとして袋叩きにして終わるのは違うとも感じます。
3人とも最初から嗜虐的であったわけではなく、本来は子どもが好きで、仕事にも希望を持って取り組んでいたといいます。それがだんだんと変質し、悪い方向に傾いていったのは、本人たちの気質のみならず、労働環境の影響も大きかったのではないでしょうか。もう何十年も児童教育にまつわる問題が放置されてきた、そのつけが最悪の形で現れたように思えるのです。

園に通う子どもたちに手を上げ始めたのは、コロナ禍における業務の増加と煩雑さによるストレスが引き金になってだと本人たちが語っています。
もちろん極度のストレスにさらされても、正しく善悪の判断をし、破壊的行動に至らない人が大半です。けれど3人はそこで踏みとどまれず、子ども相手に卑劣で残酷な行為に走ってしまった。
なぜそこまで追い詰められたのかを考えた時、この国の抱える大きな問題が見えてくるような気がします。

私の周囲にも保育士として働く人がおり、以前からその環境の過酷さについては聞き及んでいます。
今回改めて調べてみても、国が定める“保育士一人が見る子どもの人数=配置基準”が世界最低であったり(4〜5歳児の場合、日本では30人を1人が見るのに対し、アメリカでは8〜9人、ヨーロッパでは13〜15人を1人で見ます)労働時間が長引いても残業手当はほぼつかず、昇給できず、年収は他の職種に比べて不当に低く、子どもの安全を預かる責任だけが重い。現場は常に人手不足で、離職率も極めて高く、働く人たちは目の前の仕事をどうにかこなすのが精一杯で、疲弊する一方の割に報われない。
そんな中、苛立ちを募らせ、自分より弱く抵抗できない相手に当たってしまう、というのは介護の現場で起きる虐待と全く同じ構造です。

それで犯した罪の言い訳にはなるわけではありませんが、追い詰められて歪んだ人を異常者として責めるだけで片付く問題でないのも確かです。いま児童教育の問題について何ら対策を取らず、必要な人的金銭的投資も援助もしなければ、またどこかで同じような事件が起こるのは目に見えています。
そのために私には、これは単なる一個の事件ではなく、極めて社会性の高い、日本社会全体の在り方が強く問われる事件だと感じられるのです。
子どもも子どもたちを見守る人も大切にされるにはどうするべきか、真剣に議論を重ね、具体的な対策を取る契機が訪れたのかもしれません。
被害を受けた子どもたちを思いやり、心を痛めた人たちは多いはずです。憤りを感じるだけでなく、いかに前向きな行動と結果ににつなげていくか、皆で知恵を寄せ合えたらと強く願います。

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