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8月の詩

「海、遠い海よ!と私は紙にしたためる。
── 海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」


1930年に出版された、三好達治の詩集『測量船』
その収録詩「郷愁」の中の、とりわけ有名な断章です。

いみじくも三好が書いたように、"海"という漢字の中には"母"があり、フランス語の “mère / 母”の中には"mer / 海"が存在します。


◇◇◇


ここまでの詩的な合致は珍しいにせよ、海と母親はしばしば重ね合わされ、たとえばレバノンの詩人エテル・アドニーは、自作の詩「」にそのイマージュを綴っています。


始まりには海があり

終わりにも海がある

彼女は全てを取り戻し
全てを返す
彼女は終わりであり始まりである
彼女こそ無限の子宮
私たち皆の母


アドニーはベイルートで生まれ育ち、"レバノンの詩の女王"とも称されました。
10代で詩作を始めた彼女は、15年間に及ぶ内戦下でも筆を折ることはなく、戦争、人間、自然について、多くの作品を残しています。

そのアドニーが注目を浴びるきっかけとなった詩集が、1956年発表の『海の歌』です。
地中海に面した国レバノンで生き、海を人類の母と言い切る彼女は、困難な時代においても海から活力を得、その強靭な精神の支えとしていたのかもしれません。


◇◇◇


イタリアの詩人ガブリエーレ・ダヌンツィオもまた、人生の転機となる時期に、アドリア海へと旅をしました。
その地にて思索を深め、生命のはかなさ、自然の永遠性を描いた「海辺で」は、彼の代表作のひとつに数えられています。


ここに吹くのは遠くの島々よりの風

波の音は過ぎ去った時の語り部
海は一つの色に留まらぬとて、夢の色は変わらず

砂の上を去来する泡ははかなく散る命のごとし
されど海は永遠にここに在り生き続ける

夕暮れに海と空の境が曖昧になる頃
我が魂は満たされ静かな喜びに包まれる

月の光が水面に映える頃
希望の明かりは消えずに灯る
過ぎ去りし日々が海の彼方へと流れゆく

ああ、この海辺で、生きる意味を知る
波の音に耳を傾け、永遠の時を感じる


◇◇◇


若くして夭折したアメリカの詩人シルヴィア・プラスも、海から大きな恩恵を得た芸術家の一人です。
旧態依然とした社会制度の中で苦しみ、悩み多き人生を送ったプラスには、常に悲劇の詩人のイメージがつきまといます。
けれど「心を海に連れて行く」では、彼女は心の救いとも言える瞬間について、希望を込めて伸びやかに謳っています。


今朝、私は心を海に連れて行き泳がせた

心は波に浮かび
潮風を吸い
陽の光にきらめいた

今、私の心は軽くなり
清められ
息を吹き返す
心は再び
詩の深淵へと潜り込み
意識の流れに乗り
想像力の空へ翔け上がろうとしている

ここには自由がある
海の鼓動
潮の満ち引きの流れの中には
心は私の元へと還ってきた
新たな可能性に満たされて


◇◇◇


海は限りない生命力を人間に与えるものながら、悲しくもその恩恵を受けられない人たちも存在します。

パレスチナを代表する詩人のマフムード・ダルウィーシュは、幼少期に生まれ故郷を追われて以来、逃亡や亡命を繰り返しつつ人生を過ごしました。
イスラエル政府による投獄も経験しながら故国に尽くし、その最期は異国での客死でした。

ダルウィーシュが胸に抱き続けた、戻ることの叶わぬ故郷への郷愁は、1973年発表の詩「」に結実しています。


窓の外に海がある

壁の向こうに海がある
もう何年も海を目にしていない
けれど私は海で満たされている
夢の中で浜辺を歩き
貝殻を拾い
波音を聞き
湿り気のある砂に触れる
夜ごと海は私の元を訪れる
私の部屋に
私のベッドに
オレンジの香りの中に
耳には波の砕ける音を聞き
目を閉じれば
顔に潮風を感じる
海は私の中にある


◇◇◇


人は海から生まれ、海に守られ、海によってよみがえります。
幾度となく新たな命を授かり、またこの地上で生かされます。

そこではあらゆることが可能であり、制限のない世界の中で、それぞれが深遠なものとの結びつきさえ得られるのかもしれません。
たとえば日本の歌人、中村森が『太陽帆船』で描いた、美しく謎めいた邂逅のごとき。

どうぞどなたも、海のもたらす豊穣を、余すことなく受け止められますように。


百年後、朝の海辺で待ってます。この約束を愛と言いたい


(全訳詩・ほたかえりな)




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