見出し画像

Paint It Black

黒歴史』という言葉がいつ広まったのか、今ではもうすっかり定着した感があります。これは、恥ずかしい、触れられたくない過去のことを指す用語ですが、黒という色を当てたところに、この言葉が広まる要があったように思います。

黒はとかく悪いものに使われがちで、例えば、黒い陰謀、黒い噂、あの人は真っ黒、などネガティブイメージが絡むことが多いのです。闇夜や神秘のイメージから、内情が見え辛かったり、よくわからないもの、後ろ暗さなど、底知れなさの置き換えとされるのかもしれません。

映画の中のスパイや“黒幕”も、真っ黒な洋服に身を包んでいる人の多いこと。
黒はネガティブなだけでなく、身を隠す目的で使われる色でもあるからです。

少し前に読んだ、ある漫画家さんのエッセイでも、興味深いお話がありました。
連載で手いっぱいになり、閉じこもりがちになっていた間、その方はずっと全身黒ずくめで過ごしていたそうです。髪もひっつめにして後ろでまとめ、メイクやアクセサリーもなし。
その格好で外出すると、決まって奇妙なことが起こったのだとか。

飲食店の外でメニューを眺めていると、人がボードと自分の間を横切っていく。向かい側から来た人にしょっちゅうぶつかられる。フライヤーを配る人が自分にだけは差し出さない。列に並ぶと順番を飛ばされ、テーブルに着いても誰もオーダーを聞きに来ない。
あまりに頻繁にそんなことが起こるので、まるで自分が透明人間になったような気がしたそうです。

仕事が落ち着き、全身真っ黒、一切身なりに構わず、といった格好で出歩かなくなると、そういったことはなくなります。
そのため漫画家さんは、あれは全身真っ黒の洋服のせいだったに違いない、黒が気配を殺し、自分を隠していたのだ、と結論づけていました。

印象的なお話ですし、私にも思い当たるふしがあります。
10代の終わりの2年間、私は黒い服しか着ませんでした。明るい色の洋服も持っていたのに、どうしても黒以外の服には手が伸びなかったのです。
着たい服、欲しい服、気になる服の全てが黒。クローゼットの中には黒い服ばかりが並び、真夏でも全身真っ黒。周囲から見れば、ずいぶんと暑苦しい出たちだったに違いありません…。

けれど、それは自分が心地よくいる、もっと言えば、自分を守るための手立てでした。
鬱寸前まであれこれと思い悩んでいた頃の私は、全身を黒で固めなければ、とても外に出たり、人に会う気にもなれなかったのです。
黒は私にとって身を隠すため、そして防御の色でした。

その反動でもありませんが、今は黒を着る機会もずっと少なくなりました。
犬を飼っているため毛が目立ってしまう、という現実的な理由もさることながら、昔ほど黒を選びたいと思わなくなったのは、私が黒の力を借りずに済むまで成長したからかもしれません。

黒は威厳と品格を備えた素晴らしい色であり、ガブリエル・シャネルもこう語っています。
黒こそ最高の色である。黒い服を着た女の前では、他の色を着た女は霞んで消えてしまう
シャネルは“リトル・ブラック・ドレス”で、黒い洋服を世に広めた立役者です。それまで黒は、宗教的な側面を持っていたり、着る人や機会を選んだりと、ある種近づきがたい色であり、決して日常着として気軽に選ばれるものではありませんでした。

そんな時代から約一世紀が過ぎ、黒がすっかり身近な色になったのは、日本人デザイナーの川久保玲、山本耀司といった人々が流行を作り出し、世界中のストリートに下ろしたためという歴史もあります。
先程のリトル・ブラック・ドレスを着た『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘプバーンは永遠のアイコンですし、宝石店はきらびやかなジュエリーをより引き立たせるため黒いビロードの布を、和食店は料理の見栄えのため黒の器を、縄文土器の撮影にもバックは必ず黒が使われます。リムジンをはじめとする高級車も、みんな艶めく黒色です。
もちろん高価なものに限らずとも、黒い色がそこになければ、私たちの生活そのものが成り立たないのではとも思えるほどに、黒はあらゆるものに多用されています。

風水や色彩心理学の分野では、黒は強すぎる力を持つために、時に危険視されもします。
全ての色には特別な力があるものの、この色の他に、取り扱い注意を促されるような色があるでしょうか。
『黒歴史』を通り抜けた私は、もう全身を黒で固めたいとは思いません。
けれど、この類いまれな色を、もっと上手に身につけたいとも思います。だって「黒が似合う」と言われるのは、大人として最高の褒め言葉のようで憧れてしまいますから。
まずは週末のお出かけに、スエードの黒い帽子でも合わせてみましょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?