手書きの効用
いま読んでくださっているこの文章を、私はiPhoneで書いています。
液晶画面上で文字入力をしているため、厳密には“書いて”はおらず“打ち込んで”いるのですが。
日常でも、簡単なメモを取ることはあるものの、手書きで長い文章をしたためる、といった機会はずいぶん減ってしまった気がします。
すると、いざそんな機会に驚くのが、自分の文字はこんなだった?ということです。
字のまずさゆえのコンプレックスを解消するため、十代の終わりに書道で段位まで取得したはずが、そんな成果もどこへやら。
紙の上に書かれているのは、とても有段者とは思えぬ文字なのです。
毎年、律儀に暑中見舞いを送ってくれる友人にこちらも返信を出そうと、いざ取り掛かったのは良いものの、出だしからがっかりするような仕上がりです。
葉書の宛名部分の、友人の住所と名前は間隔が狭すぎ、一文字ずつの大きさも不揃い。それほど傾いてはおらず、辛うじて乱雑ではないものの、決して見目良い字とは言えません。
もし私が書家か折り目正しい人間であれば、問答無用で新しい葉書を取り出すところですが、あいにくいい加減な性格のうえ、葉書の枚数にも限りがあります。
よって、友人に心の中で謝りつつ、そのまま裏面の文章に移ったのですが、不思議なことに、そちらの方がずいぶんましな字に思えます。
それはきっと、書くことに慣れていくらか調子を取り戻したせいで、とにかく日常的にペンを手に取ることが、こなれた良い字を書く秘訣なのかもしれません。
そして、手書きの文字で思い出すのは、オノ・ヨーコさんとジョン・レノンの、有名な逸話です。
二人の出会いのエピソードにはいくつかのバージョンがあるそうですが、ここではヨーコさんの目の前で、ジョンが脚立に登ったお話を。
1966年、ヨーコさんはすでに名高い前衛芸術家であり、その噂を聞いたジョンは、ロンドン市内のインディカ・ギャラリーで行われていたヨーコさんの個展を訪れます。
そこにはイマジネーションを刺激する風変わりな作品が並び、なかにひときわ目立つ、一台の脚立がありました。その上に目をやると、天井から白いカードがぶら下がっています。
興味を惹かれたジョンは脚立に登り、虫眼鏡で、やっと判別できるほどの小さな文字を読みました。
書かれていたのは、ただひと言〈YES〉
『Ceilling Painting (天井の絵)』と名付けられたこの作品に感銘を受けたジョンは、ヨーコさんの個展への出資を決め、そこから二人の付き合いの始まるきっかけともなりました。
ジョンは後年、もし書かれていたのが別の言葉、たとえば〈NO〉だったなら、自分はすぐさまそこから立ち去っただろう、と語っています。
けれどもそれが〈YES〉だったから、あたたかい気分になった、その文字に僕は救われた、とも。
その頃、ジョンは“キリスト発言”で世界的なバッシングを受けていた上、ポップスターとしての自分と、理想のアーティスト像との乖離に苦しんでもいました。
だからこそ、至極単純かつ無限の包容力を持つ〈YES〉に、深い感銘を受けたのでしょう。
作者のヨーコさん自身も、当時はひどい苦境の渦中にあり、丹念に記した〈YES〉の文字に、自らある種の救いを得ていたのでは、という気がします。
そしてそれが、タイプライターで打たれたり、切り貼りされた文字ではなく、ヨーコさん自らが書いたものだったことが、重要な意味を持っていたように思うのです。
言葉に魂が宿ると言われるように、人の手によって書かれたものにも、特別の念が入らないはずはないからです。
同じ内容のメッセージを受け取ったとして、印刷され無限に複製可能なものと、その人が自らの手で紙に記した、一回性のものとは全く違う意味合いを帯びています。
だからこそ、それが作品に強さと説得力をもたらし、鑑賞する人々により深い感慨を与えたに違いありません。
私の手紙はそんな芸術作品ではありませんが、たとえ個人的な書き物でも、それほど変わらない話のはず。
そう思いながら、何通かの暑中見舞いを書き終えました。
誰かのことを思いつつペンを動かすのは楽しいものですし、外に出るのも億劫な午後は、冷んやりと静かな室内で、誰かに手紙をしたためてみる、というのはいかがでしょう。
それはきっと相手と自分、双方の心に良い効果をもたらし、“ジョンとヨーコ”のような世紀のカップル誕生とまではいかずとも、特別な愉しい関係へとつながっていくかもしれません。
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