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自分軸の作り方#26 〜思いやりコミュニケーション。まずは自分に共感〜

#1の中で 、ファミリー・コミュニケーション・ラボのブロガー「みん」さんの記事に触れた。この方の記事に、私はいつも励まされ、親として・人としての姿勢を 教えられている。

みんさんが取り入れているコミュニケーション方法、「NVC」との出会いについて、少し話したいと思う。

みんさんのブログの中にたびたび登場するこのNVC(和訳したら、思いやりコミュニケーション)と言う本を、最初に読んだ時、とても印象的だった言葉は、

「自分の感情に責任を持つ」

だった。

私たちは、日常の出来事によって、いろいろな感情を持つ。その感情は、自分のものであって、出来事はきっかけに過ぎない。

「誰かのせいでいら立つ」「何かのせいで、気分を害した」と言いたくなることがあるけれど、同じ出来事が起こったとしても、気にしない人もいる。
 感じ方は人それぞれなのは、もともと自分の中にあるものに反応して、感情が起こっているから。他の誰かや何かに責任を求めるのではなくて、「自分の感情は自分のものだから、責任を持つ」という意味だそうだ。

 本を参考にして、自分の感情を、評価を加えないで見極める、という、あまり経験したことのない作業をしてみた。
 そしたら、わたしには自分の感情を表す語彙力がすごく乏しいことに気づいた。

 そして、感情を表す時に、ただ
嬉しい とか 悲しい
悔しい、苛立つ、といったような、シンプルな言葉で表現することって、

あんまり、ない。

例えば
あの人は、言葉がきつい人だ。
あの人は、話がくどいから、もう話したくない。
あの人は優しくていい人だ。
2階の住人の足音がうるさいのは、非常識だ。
先生は、もっと生徒の気持ちを考えて行動するべきだ。…

そんな感じで表現することが多いなぁ。と思う。

これらは、感情が見え隠れしているけれど、「○○するべき」「こうあるべき」という、自分の持っている価値基準に照らし合わせた「評価や判断」であって
実は感情ではないそうだ。

ゆっくりと自分の奥深くにある感情と向き合ってみて、

言葉のきつい人だなと感じたとしたら、

私は思いがけずこういう言葉を言われたことに驚いて、
すごく腹が立ったんだな。
拒否された気分になって、
本当は、辛かったんだな。
私は、認めて欲しかったんだよね…

みたいに、
自分の感情を言葉にしてみることを、
「自己共感」と呼んでいて、
自分の心にちゃんとつながって、自分の感情に共感すると、
心の中がいっぱいになっているところに、
少しだけスキマができて、相手の立場を考えることができるようになる、らしい。

それから、自分が本当は何が大事で、
何を求めているのかも、自分の心に聞いてみる。

誰かに認めてもらうことなのか、
支えてもらうことなのか、
誠実さなのか
貢献することなのか、
調和することなのか、
創造することなのか…

「○○すべき」とか
「○○すべきでない」という、評価を一度、手放してしまって

自分の素の感情や、シンプルに自分の求めているのものを「私はこれが大事で、必要としてるんだな」と、
そのまま受け入れることを繰り返していくと、
自分の感情に振り回されることが、だんだんなくなっていく、ということだった。

それで、
自分の求めていることがわかったら、
「私はこうして欲しいと思ってる。
あなたはどう思う?」って言うように、
距離感を持ったコミュニケーションができるようになるというものだと受け止めた。

本の中に、特別支援学級で、自分の机に近づく人に、唾を吐いたり叫んだり、鉛筆で刺したりする子供と、担当先生が紹介されていた。
授業がうまく進まず、担当の先生は苛立ちを覚えていた。
先生が自己共感した結果、自分の中に
「自分の準備してきた授業をしたい。」
「他の子供たちに、教育を受ける機会を確保したい。」
という思いがあるとわかったので、NVC的な対応を考え、
「あなたには、私の考えていることをわかって欲しいの」と一日100回くらい伝えて、
徐々にこの子が授業を受けるようになってきた、というエピソードが掲載されていた。

「こうしなさい」とか、
「こうすべきでしょ」ではない、言葉の伝え方があるんだ!と、なんだか世界が広がった感じがした。

私の親も、学校の先生も、「〜しなさい」ってよく言ってたけれど、言われて嬉しかったことはなかったし、逆に反発したくなったなーと思う。でも、子供には同じように言ってしまっていた。人にされて嫌だったことは、子供にも自分にも、やっちゃいけないよね。

「○○でなければならない」を、一回やめてみたら、人生はすごく、柔らか〜い感じに向かうのかも知れない、そんな気がした。

子供達が登校していなかった頃に、この方法を使ってみたことがある。
子供が登校しないことについて、自己共感してみた。
自分の中にある感情は、
「残念だ」「もったいない」望んでいることは、「能力を活かすこと」かな。

実際に子供にかけた言葉はこれです。

「お母さんはね、
君の持っている素晴らしい能力を、発揮できる場所が家の中だけっていうのが、すごくもったいないと感じているんだよね。だから、学校に行けるといいなぁって思ってるんだ。」
と言って、子供の頭を撫でる。
 
これを何回かやってみた。

押し付けっぽくないから言いやすかったし、
私の気持ちも、穏やかに伝えられた。
それを、どう受け止めるかは、子供に任せた。


すぐに子供の行動は変わらなかったけれど、
少しずつ、少しずつ、気持ちは伝わっていたのかな、っていう気がしている。

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