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シューベルトの「西東詩集」

カップのサイズや、飲み口が厚かったり薄かったりで、コーヒーの味が違う!という主張を始めたのはどこの誰なのだろう。

「そんな違いはない」と反論するのは自由だ。
「違い」はコーヒーなどという黒いものを飲む人間の感覚と思考のあいまいさが生む誤謬であって、マイセンであろうが清水焼であろうが、味そのものは同じなのである。そのことに文句はあるだろうか。

そこにきて「味とはなにか?」である。
終わりなき観念論が開始された18世紀、味は「味そのもの」であるというさっぱりした思考に、味は「経験」であるという面倒な思考がしつこく絡まりはじめた。

科学の世界では「味そのもの」派がニュートン、「経験」派がゲーテであるというところで、ひとまずコーヒーのお話はおしまいである。


ここで突然ではあるが、リュッケルトという詩人をご存じだろうか。
音楽好きの人は「亡き子をしのぶ歌」などのグスタフ・マーラーの一連の歌曲を思い浮かべるかもしれないが、このリュッケルトは1788年の生まれ、つまりシューベルトの9歳年上で同時代の人である。

詩人リュッケルトの業績として最も重要なものは、ヨーロッパにおける「東洋」の分野にあるのだという。
その「東洋」をリュッケルトはウィーンで発見した。
ゲーテに触発されてローマを訪れたリュッケルトは、そのすぐあとにウィーンでペルシャ語とトルコ語とアラビア語を教わった。
それが1818年から1819年にかけてのことだという。

1818年といえば、シューベルトは人生を大きく変えたツェリスのエステルハージ家での4か月の家庭教師生活を終えてウィーンに帰り、詩人マイアーホーファーの家で居候をはじめたころである。

リュッケルトにペルシャ語とトルコ語とアラビア語を教えたのは、「語学の徒」と言われながら、当時外相だったメッテルニヒのもとで閑職同然の顧問をしていたプルグシュタールという人だ。
このプルグシュタールはイランのハーフェズの詩集をペルシャ語からドイツ語に訳した人で、このハーフェズ詩集が1814年に出版されたことでゲーテの『西東詩集』が生み出されたというのは少し有名な話らしい。

ゲーテの『西東詩集』が出版されたのがまさに1819年であり、リュッケルトが詩集『東方の薔薇』を出版したのが1821年、そしてその『薔薇』の中の一篇にシューベルトが作曲した歌曲 「挨拶をおくろう」"Sei mir gegrüsst" D741が生まれたのが1822年のことなのである。

この「挨拶をおくろう」の旋律が、シューベルト最晩年に書かれたヴァイオリンとピアノのための幻想曲 D934のハイライトのひとつである大変奏曲の主題になっている。

ここでの歌曲の旋律の使い方に、ひとつ自分が不思議な気がしていたことがあって、何かないかとリュッケルトのことを調べてみたのであった。
不思議な気がするというのは、ここで聴こえてくるのがシューベルトではなく、ほかならぬモーツァルトなのだからだ。

シューベルトは「挨拶をおくろう」を変奏曲の主題にするにあたって、旋律のリズムを少しだけ変えている。そのことが原因で、その旋律が「トルコ行進曲付き」と呼ばれるモーツァルトの有名なピアノソナタ K331の変奏曲、その第5変奏に聴こえてしまうのだ。
もとの歌曲のままだと、モーツァルトは登場しない。

楽譜を見てわかるものかどうか…?ともかくその部分を抜き出してみると、こうなる。

モーツァルト:ピアノソナタ イ長調「トルコ行進曲付き」 第1楽章 第5変奏冒頭
シューベルト:幻想曲 ハ長調 D934 変奏曲主題
シューベルト:歌曲「挨拶をおくろう」D741 歌唱冒頭


シューベルトが変奏曲の主題に「挨拶をおくろう」の旋律を持って来たことの意味は、まだ判明していない。話は大抵そこで終わっている。

なるほど「挨拶」は「挨拶」だ。
しかし「挨拶」とはなんだろう?

この歌曲がリュッケルトの詩によるものだということと、その旋律がモーツァルトの「トルコ風」と呼ばれる作品の変奏曲に容易に変換可能だということには、何か意味があるだろうということになって来ないだろうか?
これは何から何への「挨拶」なのだろうか。

そして、シューベルトの幻想曲では、この変奏曲のあとにフィナーレが来るのだが、その旋律がこれまた気分が大変に違うものなのだ。

シューベルト:幻想曲 ハ長調 D934

これはなんだろう???
変奏曲のトンネルを抜けてたどり着いた先には、さっきの「挨拶」とは全く違う風景が広がっていた。

まだ考えが整理できていないだが、これはおそらくスコットランドの民謡なのである。思い出すのはブラームスが若き日に書いて、のちに葬り去ったピアノ三重奏曲 第1番のある主題である。

ブラームス:ピアノ三重奏曲 第1番 1854年初稿より

これは少し珍しくて、聴いたことがある人も少ないだろうから、音源も貼っておく。

ブラームスがスコットランド民謡を使っていたことは、他の作品でも明らかなので置いておくとして、シューベルトがなぜスコットランド民謡を?

シューベルトが生きたポスト啓蒙ともいうべき時代、そこに渦巻いていた幻想を齎した最大のもののひとつがスコットランドであった。
メアリー・ステュアート、アダム・スミス、デヴィッド・ヒューム、オシアン、ウォルター・スコット…という名前をあげるだけでも十分かも知れないが、音楽においてもジェームズ・ジョンソンの『スコットランド音楽博物館』という民謡集はハイドンやベートーヴェンにも影響を与えた。ここには『蛍の光』で知られる有名な旋律も掲載されている。

ベートーヴェンの『25のスコットランドの歌』op.108は、クラシック音楽作品としては大変地味な扱いだが、このまま埋もれさせておくにはもったいない豊かな世界がそこには広がっている。

ベートーヴェン:25のスコットランドの歌 第1曲冒頭

「音楽を奏でろ!夜も昼も!」と歌いだす第1曲など、まさにシューベルトが幻想曲の変奏曲のあとでいきなり歌いだしたメロディーの気分そのままだと思うのだけれど、ここにも何の意味もないのだろうか?

これも珍しいので音源を置いておく。


シューベルトの幻想、ここに極まれりという音楽についてここまで書いてきて、結論らしい結論のないままに筆をおくことをお許し願いたい

でも、何がいいたいのかは冒頭のコーヒーの話で書いたつもりだったので、ご自身の好きなカップに淹れたコーヒーをどうか心ゆくまで味わっていただければ幸いである。

・・・・

2023年8月1日(火) 20:00開演
「運命の力」
ヴァイオリン:須山暢大
ピアノ:兼重稔宏

https://www.cafe-montage.com/prg/230801.html

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