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戒めのコーヒー


高校生のころ、一騒動あってちょっとだけ警察のお世話になったことがある。例によって例の如く、騒動の原因はわたしの精神力のなさにあり、今は忸怩たる思いで反省するばかり。


学校をさぼってしょぼくれているわたしを見て、警察官の男性は、何に悩んでいるのか、何がつらいのか、真正面から向き合って優しく聞き出そうとしてくれたのだけれど、わたしは自分でもどうしてこんな事態になってしまっているのか理解できていなくって、うまく話をすることができなかった。

でも、そのとき警察官の奥さんらしき女性がストーブでお湯を沸かしてコーヒーを淹れてくれて、そのコーヒーがとんでもなく美味しかったことは強烈に覚えてる。生きていると、誰かが淹れてくれたコーヒーを飲む機会はたくさんあって、淹れる人によってまったく違う味わいになるのだけれど、どれも心がこもっていてとても美味しいし、ありがたい。そのとき飲んだコーヒーは本当に、これまでの人生でいちばん美味しかった。

そのあと、警察官の男性はパトカーだと目立つからと自家用車で学校まで送り届けてくださった。その節はありがとうございました。ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。

いろいろな珍騒動を起こしていた当時のことを思い返すと、自分はなんて身勝手な人間だったんだろうと思う。あんな未熟な生き方、赤っ恥もいいところ。慚愧の極み。赤面の至り。

と同時に、あのころのことは正直あまり実感がなかったりもする。あれはいったい誰だったんだろう、わたしはどこに行っちゃってたんだろうと思う。でも、だからといって過去のこと、もう終わったこととして忘れてしまうつもりもない…。

過去を恥じつつ、現状の進歩を認めつつ、自分への戒めとして、あのときのコーヒーの味を忘れないでいよう。反省すべき点は数えきれないほどあるけれど、毎日そこから始めよう。

ひどい生き方をしてきたから、これからはできるだけいい人間でありたい。わたしのすべての願いはそこに集約される。その願いの源泉には過去への戒めと、後悔がある。

自分は真っ当な人間だとか、優しい人間だとか、そんなことは口が裂けても言えないし、思いもしないけど、可能な限りそうであろうと思い続けることはやめずにいたい。こんな人間だけど真っ当なところも少しはあるよね、こんな人間だけど優しいところもあるよね、と思うようにしていこう。

そしてそれが大言壮語にならぬよう、自分のなかにある良心や善意を信じて、過去が持つ意味を変えるために、少しずつ前に進んでいきたい。

なんだか話が膨らんでしまったけど、今朝、コーヒーを飲みながらそんなことを思った次第です☕💭

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