見出し画像

天国のラジオ


毎週土曜日 AM9時
天国で放送中のラジオ番組

タイムチャンネル

あらゆる優しさと幸運が重なったとき
まれではあるが地上の人も
その放送を聞くことがあるという


アメリカンコーヒーと
やわらかなトリュフチョコレート

美しい空にカーテンを開け
木箱のような小さなラジオを
日の当たる窓辺に置いた

揺れてほほ笑むイエローのチューリップ

目を閉じれば海が見える
耳をすませば波音が聞こえる
こころが無防備な朝だった

ふいにラジオからかすかなノイズ
目を向けると周波数は777MHz

トライアングルの音がした




「みなさん、おはようございます。パーソナリティの天使です。タイムチャンネルのお時間ですが、ここで速報です。キューピッドさん、お願いします」

「はい、お伝えします。さきほど日本国G県E市O町にお住まいのアキヤマさんが、家電店にてトースターを購入する際、店員のキシさんから白い風船を受け取りました。幼い頃、祖父のユウジさんに花の形の風船をもらった日の記憶を連想したアキヤマさんは今日夕刻、同町の100円ショップにバルーンアートセットBを買いに行く予定です。半年後、趣味が高じてバルーンアートの社会人サークルを立ち上げるアキヤマさんは、そこで生涯のパートナーとなるツチヤさんとの運命の出会いを果たしますが、ツチヤさんは今日、タイから日本への帰国を決心するはずのところを、予定を変更しこのまま滞在する道を選択をした模様です。ツチヤさんの意思を尊重したいところですが、これはふたりの運命の出会いに関わる重大な一件であり、延いては世界的損失にもつながりかねません。看過できない状況です。至急天使500名、タイのハジャイへ応援願います。こちらからは以上です」

「キューピッドさん、ありがとうございます。引き続き情報が入り次第、速報でお伝えします」


マグカップから立ち上る湯気が
細く薄くなってゆく

あんぐりと開けられた口もとから
トリュフを包むココアが
はらはらと落ちていった


「いや、人間の自由意志との折り合いは、なかなかつけられないものですね。アキヤマさんとツチヤさんの今後の人生を我々みんなで見守りましょう。ちなみに家電販売員のキシさんは今日、大手出版社主催の小説新人賞受賞の知らせを午後2時に受け取る予定であります。念願叶ったキシさんの喜びあふれる笑顔が目に浮かぶようです。楽しみですね。それではタイムチャンネル、スタートです」


陽気なボサノバ調のウクレレが流れる

窓辺に椅子をひっぱっていき
ふるえる手でボリュームのつまみを回した



「さあ、今日もお便りをたくさん頂いています。ご紹介するのはこちらの一通。“翼を鍛えはじめました”さんから、音楽のリクエスト。“ぼくはボーカルのフランが胎児の頃から、トラヴィスの大ファンです。この曲を聴くと、地上で暮らすことの息苦しさや雨の憂鬱さを、いつか人間として味わってみたいなと思います。そういうことってありませんか?” とのこと。わかります、わかります。私も人間になって、神さまを信じられなくなってみたいですよ。想像もできませんけどね。ハハハ。それではお送りしましょう。リクエスト曲、地上のバンド、トラヴィスで“Why Does It Always Rain On Me?”」


気だるさと
あっけらかんとした嘆きの音楽

窓の外 木の葉が揺れ
木漏れ日がちらちらと目を射抜いた


「お送りした曲は、トラヴィスで“Why Does It Always Rain On Me?”でした。ライブでこの曲を演奏すると雨が降るとはよく地上で噂されていることですが、それは私たちの仕業…とは言わないでおきましょう。うふふ。さて、今日はこの番組では珍しくゲストをお招きしています。ゲストはこの方、早速登場していただきましょう。どうぞ」

「天国の皆さん、おはよう。幸運の女神です」

「よろしくお願いします」

「よろしくね」

「久しぶりのご登場ですが女神さん、髪をばっさり切りましたね」

「そうなのよ。どうかしら?」

「少年のような短髪に白いドレスがお似合いです。そしてこの天使のごときほほ笑み。みなさんにもお見せしたい」

「私は天使じゃないわ。女神よ」

「うふふ。これは失礼しました。ところで女神さん、このごろDIYにはまっているとか?」

「そうなのよ」

「それはまたどうして?」

「だってほら、ここって、映画館だって半日でもあれば建つじゃない? 便利なんだけど、なんだか物足りなくってね。自分で家を建てようと思ってるの。今、みんなに手伝ってもらってるわ」

「すごいですね。完成したら何に使うんですか?」

「知りたい?」

「ええ。ぜひ教えてください」

「あのね、変に思われるかもしれないけど、地上のみんなが夢を諦めて途中で投げ出してしまったものをみんな集めて、きれいに飾ろうと思っているの。詩や小説や音楽、絵画、彫刻、アクセサリー。そんなものをね。あたしはそれを眺めながらこう思うのよ。“どうしてあたしを思い出してくれなかったんだろう?”って。あたしのことを呼んでくれさえすれば、いつだって力になったのに。最後まで一緒につくったのに。どうして人は自分ひとりの力で生きていこうとするのかしら。あたしのことを忘れてしまったのね。すごく淋しいわ」

「たしかに。こんなに愛しているのに忘れられてしまうのは、我々にもつらいものがあります。腹を立てられたり憎まれたりしたほうがまだ救いがありますね」

「だからいつかみんなが帰って来た時には、その家にお招きして、今度はあたしと一緒につくりましょうねってはっきり伝えるのよ」

「とてもいいアイデアだと思います」

「ありがとう。ところであの子は元気かしら」

「あの子と言いますと?」

「ほら、この間の」

「ああ、私の友達の天使のことですね? しばらくは気の毒なくらい落ち込んでいましたが、今ではすっかり元気になりましたよ。先日はお世話になりました」

「それならいいんだけど。天使って本当に感情派よね。いくら感激屋で涙もろいといってもほどがあるわ。ラジオをお聞きの皆さん、知ってる? あの子はいつも見守っている人間が転んでお弁当をぶちまけたからって、三日三晩もあたしの膝で泣いたのよ。それはもうぎゃあぎゃあと」

「はは。こっちで代わりのお弁当をつめて地上に持っていこうとするものだから、慌ててみんなで取り押さえましたよ。行かせてくれって叫んでいましたけどね。本当に大変でした。でも気持ちはわかります」

「でも、お弁当を食べられなくなった代わりにお友達と美味しいランチをしたんでしょう、その人も。久しぶりに会った友達で、それがきっかけでふたりはこれからとても良い関係が続いていくらしいじゃない。天使たちにもわかっていたはずよね。何の問題もないってこと。でも天使たちは世話焼きで心配性で、人間を放っておけないのよね。まあ、あたしが今やろうとしていることも同じことなんだろうけれど。人が傷つくことも、あたしたちのことを忘れてしまうことも悲しいけれど、やっぱりすべては予定調和だってこと、改めて胸に刻んでおかなければならないわ」

「そうなんですよね。さきほどのアキヤマさんとツチヤさんの件もそうですが、我々が介入することさえ最初から約束されていたことなのでしょうね」

「本当に不思議だわ。それを知っているあたしたちですらこんなに心配にかられるんだから、人間にとって生きているってことは、どれだけ不安なことなのかしら」

「本当にそうですね。でもじつは最近、ちょっと思っていることがあるんです。この世界って、ひとつのガラス玉みたいなものなのかなって」

「ガラス玉?」

「ええ、そうです。想像してみてください。そのガラス玉の中には、煙が入っている。煙は流動し、様々に形を変えながら、ガラス玉の中を巡っている。煙の動きは一見無秩序に見えますが、そこにはたしかに完全無欠な秩序がある。我々も含め、すべてはガラス玉の中を永遠にくゆる煙のような存在なんじゃないかって思うんです。だから本当の意味ではこの世界には喪失も獲得もない。はじめからすべてがあり、それが永遠に巡り続けているだけ……そんなふうに思うんです」

「人間みたいなことを考えるのね」

「まあ似たようなものですから。実際、そんなに違わないでしょう」

「でもさっき、あなたは人間になってみたいって話していたわ」

「おや、たしかに。これが矛盾というものなんですね。おっと。番組の途中ですが、ここで再び速報です。キューピッドさん、お願いします」

「はい、お伝えします。さきほどの速報のあと、予定の2倍を超える約1200名の天使がハジャイへ結集し、その後全員でツチヤさんの動向を追っています。日本の歌謡史に輝く名曲をスーパーのスピーカーからさり気なく流す等、望郷の念を駆り立てるよう策を尽くしましたが未だ効果なし、その他の施策も難航しています。談合の結果、天使1名を代表に選び、今夜0時にツチヤさんの夢枕に立つことが決定されました。代表者を自薦他薦を問わず募集します。連絡は私キューピッドまで。こちらからは以上です」

「キューピッドさん、ありがとうございました」

「ふむ。夢枕に立っていいのって、年に10回までじゃなかった?」

「そうです。まだ2月ですがこれで6回目です」

「助けてあげたい気持ちはよくわかるけど、後先のことも考えなさいよ」

「はい。肝に銘じます。ですが、まあなんとかなりますよ。いつもそうなんですから。そういうふうにできてるんです。楽観的にいきましょう。大切なのは、遊び心です」

「今の台詞のすべてが天使らしいわね」

「うふふ。さて、それではいきましょうか。時間が押していますからね。今日は幸運の女神さんからも音楽のリクエストを頂いています。名残惜しいですが、この曲とともにお別れしましょう。女神さん、お願いします」

「はい。先週、地上のラジオを聴いていたらこの曲が流れてきて、そのときあたしは何かを思い出しそうになったの。とても大切な人がいたのに、その人のことが思い出せないような……そんな感じよ。あたしもきっと何かを忘れているんだわ。でもその人への愛だけは、胸の中に今も残っているの。愛と悲しみで胸が張り裂けそうよ。人間って、いつもこうなのかしら。あたしがリクエストしたのは、この曲。エアサプライの“Here I am” それでは皆さん、最後までお付き合いいただきどうもありがとう。来週もこの番組をお聞きくださいね。さようなら」

「さようなら」


穏やかに流れる音楽に身をまかせ
この不思議な時が終わるまでは
もうひとつの世界を信じていようと心に決めた


少しずつ小さくなっていくボリューム

そして最後にもう一度
トライアングルの音がした


ふいにラジオからかすかなノイズ

それ以外もうなにも聞こえない
いつもの静寂がそこにはあった

ラジオの電源を切り
深呼吸をひとつ

身体は懐かしさという名の
あたたかな優しさに包まれていた


こういうことってあるんだね


いつもどおりのやり方で
一日を生きはじめよう


いつもどおりのやり方のなかに
少しの遊び心をもって


天国のラジオ タイムチャンネル
毎週土曜AM9時放送


遊び心をもって
どうか耳を澄ましてください




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?