傷心と秋の光
秋は光が和らぐ。空気も和らぐ。
心の痛みが和らぐか…というと、そんなことはない。むしろ秋は悲しみが増す。
でも、つらいときには悲しげな曲が聞きたくなるように、わたしの心には秋の寂しさがしっくりくるみたい。秋は心の世界に少し近い。
むかし、ある人が「秋は空白の期間だね」とわたしに言った。そのときは意味がよくわからなかったけど、今はわかる。わかるけど、言葉にならない。言葉にならない空白そのものが、秋という感じがする。そこには沈黙すらない。ただハッと目の覚めるような空白がある。
安心したい。日々の願いは本当にそれだけだと思う。
眠るとき、悲しすぎてあした目が覚めないんじゃないかと思う。それでもあすの奇跡を信じて眠る。目が覚めたら、生きるべきか死ぬべきかと悩む。そして死ぬ思いで生きることを選ぶ。
でも何気ない暮らしは幸せそのものなんだな。倒れそうなくらい悲しいのにどうしてこんなにいい人生なんだろう。本気で苦しいときしかまともな口がきけないような人間だし、たぶんそういうときがいちばん正気なんだけど、それでもむなしい人生じゃなくてよかったって本気で思うんだよー。
シンガーソングライターの浜田省吾さんが「空虚よりも傷心を選ぶ」とインタビューのなかで話していたけど、たぶんわたしもそういう決意をしてここに生まれてきたんじゃないかしら。
(空虚よりも傷心を選ぶ。空虚よりも傷心を選ぶ。空虚よりも傷心を選ぶ…。)
秋の光に包まれていると、たとえようのない悲しみのそばに、誰かが寄り添ってくれるのを感じる。子どものころからいつもそうだった。
きっとわたしたちの心の奥底には、生まれてから一度たりとも揺らいだことのない本当の自分というものが存在していて、まるでむかしからその日その時間と約束していたみたいに、ある瞬間にふっと存在をあらわしたりするんだろう。
わたしはどうやら秋が約束の時間らしい。そんな気がしてならない。
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