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背負うということ - 舞台・平山建設

何となく自分では気がつかないものに出会いたい。そんな気持ちに駆られる時がある。

何で?興味の範囲だけだと、飽きる。

「自分が好きなものだからいいのではないか」なんて思うけれど、結局やりきってしまった時に飽きてしまう。

最近思う。だから、1人では生きていけないんだなーなんて思う。

誰かに影響されて、誰かを影響させて、どこかで繋がって。

なんて思うのはまぁ、いいとして。

自分では探せないものに出会いたくなる。そんなきっかけが欲しくて色々な人に話しかけてみる。

そうこうしてふと、舞台を見に行った。

オーストラ・マコンドーの「平山建設」という舞台。

高知県の山村の建設会社を巡る三世代の家族と仕事の話。

平山建設 フライヤーおもて面

何も予備知識がなく、誘われたので見に行ったら、夢中になった。

人が少ない場所で生きていくために建設会社を維持していくことは、人材確保も、しがらみもきっと大変なはず。

平山家の長男で、社長を引き継いだ博文はぶっきらぼうで、口は悪いし、考えも曲げない。そこに周りは戸惑い、時にはびっくりしたりもする。

だけど、仲間や家族を想う時にはプライドを捨ててまで頭を下げる。

きっと、「背負う」ってそういうことなんだろう。口では「任せてください」というのは簡単で、

自分だって気軽に口に出していたけれど、あんなに誰かに身体や心や人生を賭けることができているのだろうか。

とその博文の佇まいから自分と向き合うしかなかった。

だけど、会社は人手不足や色々な出来事や時代が重なり、厳しくなっていく。

誰かが苦しみ、誰かが手を差し伸べて、誰かが泣いて、誰かがその反動で笑う。

そうだよねだから1人では生きていけないよなぁ。なんて思った。

激動の平山家の歴史の中で、近くを流れる川だけは同じように流れ続けている。

わりと動揺しながらシアターを出た。

だけど、下北沢はいつものようにカルチャーを愛する人たちもそうでない人たち、思い思いの1日が広がっていた。

その光景だけは変わらない街だった。

見ることができてよかった作品だと想う。

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増田ダイスケ
新しいzine作るか、旅行行きます。

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