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編集とはなんぞや? デザインとどう違う?

昨晩の「山水郷チャンネル」第13回。事業プロデューサーの江副直樹さんをお迎えしました。江副さんは、さまざまな地域活性化の仕事をされていますが、その仕事の要にあるのが「編集」という話をお聞きして、私は編集者であることもあり、編集とはなんぞやというこを考えてみたくなりました。

江副さんの話で最も興味深いと思ったのは、高度経済成長期に地方にさまざまな工場が建てられ、そこでは分業や細分化が進んで、それぞれの地域にアパレルでも自動車産業などで働く、ものづくりのスペシャリストが生まれていった。

しかし、スペシャリストは専門のことしかできない。それで経済成長が停滞していくと、スペシャリストが地域で浮いた存在になってしまった。江副さんはそう地域社会の現状を分析して、それなら自分がそのスペシャリストたちをつなぐ「編集長」になればいい、と考えたというのです。

編集は眠れる価値を呼び覚ます仕事

編集は新しいものをゼロからつくる作業ではありません。編集とは、既存の要素になかに眠っている意味や能力を見出し、新しい役割を付与したり、さまざま切り口を試して問題の枠組みをつくり替えたり、異なる要素を組み合わせて、新しい価値をつくっていく仕事です。

雑誌を通して人と人をつなぐこと。それが編集者としての私の目指すところであり、雑誌をつくることはその手段です。

既存の要素を組み合わせて新しい価値をつくるだけではなく、編集の成果が勝手に動き出してほしい。既存の要素が変化して、能動的かつ自発的に価値を創造するようになってほしい。

雑誌対談を通して知り合った二人がその後いっしょにプロジェクトを始めたとか、自分の編集した雑誌を読んだのが今の仕事を始めるきっかけになったとか、そんな後日譚を聞くのが、編集者としての自分の密かな楽しみです。

自分が関わった要素が自発的に動き出して価値を増大させていくことに楽しみをおぼえる仕事ですから、編集は裏方の仕事なのです。こうした意味では、教育とも重なり合うところも大いにあります。

細部の表現の質まで高解像度で見極める

編集というのは、情報と情報、人と人をつなぐ仕事ですが、つなぐだけでは編集者とはいえません。出版の世界にも、フリーランスや編集プロダクションに仕事丸投げのブローカー的編集者が存在していますが、優れた編集者というのは、一字一字丁寧にテキストを精査したり、文字組の0.25ミリの差異を一瞬にして感じ取ったり、成果物の表現の質に対して高い解像度で見極める能力を持っています。表現のディテールへのこだわりのない編集者は編集者とはいえない、とまで私は思っています。

江副さんの仕事は、細部までデザインが行き届いています。商品の中身にも、パッケージにも、展示する空間にも、ディテールの隅々まできちんと仕上がっています。しかも、自分だけの目でなく、いろんな人の目が細部にまで行き届くような仕組みのなかで仕事をしている。出版の編集でいえばデザイナーの目や筆者の目や校閲者の目で細部の細部まで磨き上げていくということに相応します。

ふーむ、これは確かに編集だと思うわけです。もちろん、それはクリエイティブディレクターやデザイナーの仕事と同じじゃないかとも言えそうです。しかし、デザインは問題を解決することを求められますが、編集は問題の解決など行いません。

編集は問題を解決しない。解釈を変えるだけ

編集は、問題を組み替えて新しい価値をつくります。問題を切り取ったり、問題の一部に焦点を当てたり、問題をつなげたり、新しい視点や切り口を提示して問題の解釈や問題の枠組みを変えたりすることによって、新しい価値をつくり出すことに主眼を置きます。編集者自身が問題を解決することは決してありません。

もちろんデザインは問題解決だけではありません。スペキュラティブデザインのような問題提起のデザイン分野も存在します。しかしデザインにおいては問題解決にしろ問題提起にしろ、問題に向き合い、何かを生み出すことが求められています。解決を生むのか、議論を生むのか。問題に立ち向かい、望ましい未来に向けた何かを生み出すのがデザインです。

一方、編集は問題に向き合い、問題の解釈を変える作業です。

だから編集だけでは世界は変えられません。「デザインの力」や「アートの力」のように、うかつに「編集の力」なんて言うことには慎重になるべきです。編集は「解釈」を変えるために仕掛けを放つ。あとは、デザインの力やアートの力など、他の人の力が自発的に動き出すようにすればよいのです。

編集の肝は「後の先」を極めること

もうひとつ優れた編集者の条件だと私が思っていることがあります。後出しジャンケンがうまいことです。

編集者は、資料をしっかり調べておく、事前に打ち合わせをしておく、現場に行く、状況を肌で感じる、過去の経験と照らし合わせる、その都度にどんなものつくりたいか(雑誌だったらどんな頁をつくりたいか)のイメージをもっておく必要があります。

完成イメージは状況の変化に即して何度変わってもOK。いろんな人の意見を取り入れて後出しでもOK。でも、現場ではいつも最初にイメージをおこして、周囲に伝える。後出しだけど最初に出したような顔して現場を取り仕切る。

かっこいい言い方をする「後の先」(ごのせん)です。相手の仕掛けに合わせて仕掛けるのですが、後手には絶対回りません。相手は先手をとったと思った瞬間にもう先手をとられている。

他力の使いこなすための力の入れ具合の妙。それが編集の楽しみです。けれど、この妙技は深く、なかなか身につかないものです。待つだけじゃダメ、仕掛けないと価値は生まれない。相手を見て反応してうまくいったと思ったらすっと逃げ行く。制したはずが想定外のトラブルが起こる。トラブル処理は編集仕事の日常茶飯事です。

江副さんが釣りの達人だというのも、編集に通じるものがあると思いました。次回は、江副さんが「後の先」をどう思うか訊いてみたいと考えています。

もし、この話に興味をもたれたら、山水郷チャンネルの江副さんの回、YouTubeに動画アップされいますから見てみてください。  https://youtu.be/k_tdHeSeH04

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