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【Interview Vol.9】とみこ

こんにちは!〈CANvas〉です。

このインタビューでは、おなじ想いのなかまや、想いをもって活動されている方にお話を聴き、CANvasの輪を広げていきたいとおもっています。

今回の話し手は、とみこ。聞き手(=★)ははづきとよりです。


■ありのままのわたしと、評価されるわたし

★とみこの近況を教えて!

とみこ:卒論から逃げて遊んでます(笑)卒業するまでにやりたいことを全部やりきりたいなって。

これまで、他人にどう思われるか気にして欠点をつぶすような生き方をしていた。だけどいまは、自分がわくわくするもの、ときめくものを大切にして行動してる。卒業するときは、「かっこよくて、おもしろいひと」になっていたい。そういう自分になれたら、自分を好きになれるかな。

★「自分がわくわくするもの、ときめくものを大切にする」きっかけになった出来事はあった?

とみこ:
小学校からやっていた陸上の経験が大きい。
私にとって陸上は、自分のアイデンティティみたいなもので、学校になじめなくても、「自分には陸上がある」って思えていたの。
でも、高校生の頃に、走ることがトラウマになった。記録や体型を気にしたり、負けちゃいけないことがストレスになったりして、走れなくなった。周りの人に記録でしか認めてもらえないように思っていたのかも。

私は走ることが好きで、自分らしくいられる瞬間だったから、最近、それを克服してアイデンティティを取り戻したいと思って。
記録を気にせず走ってみたらすごく楽しくて、ああ、私はここにいたんだ、って気が付けた。このことから、まず「好きでいること」が大事だと思った。周りの人がどう思うか気にすることは、私にとって負担になるなって。

がんばるとき、「誰かに認めてもらうため」より、「私はどうなりたいか」を大切にするほうが楽しいなと気づいたきっかけになったな。

★無意識のうちに周囲の評価を気にしてしまう。なかなか難しいよね。なにか工夫していることはある?

とみこ:
インフルエンサーをチェックしているよ。例えば、渡辺直美さん。彼女の体系は、日本や韓国のアイドルのようなスタイルではない。でもかっこいい。堂々としているからだなって。

セルフラブを発信している人の写真を壁に貼ったりしている。自分らしく堂々といることがかっこいいと思うから、自分の道を進んでいる人の影響を受けるようにしている。

あとは、ありのままでいられる関係性を探すのも大事だよね。弱い自分を見せちゃだめだっていう環境が多いけど、心に限界がきたとき、自分をさらけ出してみたら思ったよりやさしく受け止めてもらえた。自分が勝手に信用していなかっただけなんだなと。

ありのままで肯定してくれる居場所をつくること。それがあるからこそこの自分でいいんだなと思えるんだと思う。
人類って、生物学的に頼りながら生きる生き物だなと最近思う。社会人だとどうなのかも心配。努力することは忘れちゃいけないなと思ってるし。

■社会人になると、なにが変わるんだろう。

とみこ:
社会人は、学生が背負っていない責任を背負っているよね。
弱いところも受け入れ合うっていうのは学生だとやりやすいけど、社会人だとそうでもないのかなって思う。

人を頼る。そういう環境がなければつくる。今の社会は不健康だと思っているから、そうやってもっと「幸せ軸で考える社会」をつくる一人になっていけたらなと思っている。

できないということを自分で受け入れていないから、頼ることができないのかなとも思う。
できないことを隠すんじゃなくて、自分の表に出して、少しずつ「できる」に変えていけたらいいなと思う。

■自分らしさ、その人らしさ、を受け入れる

★とみこの、じぶんらしさって?

とみこ:
しぶとい!パワフル!
細やかにきれいに生きたいと思ったけど難しい。だから、強く生きて、その強さがいつか「美しさ」に変わったらいいなって思う。

わたし、走り方がやばいんだよね。前が見えないくらいに首を振ってて、めちゃくちゃださい。けど、「首振ってまででも一秒でもはやくゴールしたい」っていう、その強さはだれにも負けないと思ってる。その強さを「美しさ」に、自分らしさにしていきたい。

★じゃあ、他人の「その人らしさ」ってどうやって大切にしている?

とみこ:
距離が近い人のことだと、どうしても気になって受け入れられないときがあるよね。
友達くらいだと「おっちょこちょいだな」って思えても、近い人のらしさを受け入れていくのは、苦手で、頑張ってる。
自分のいやなところを受け入れてもらったこともあるから、その経験を思い出して、接している。ちょっとがまんすることもあるけど。その人らしさを守るってそういうことなのかな。

存在をみとめる=生きることが肯定される。行動がどうあれ、生きていること自体が肯定される。

だから、存在を否定したくない。でも、求められている「成長」は「今」に満足しない行為。
存在をみとめるけど満足しないってことが可能なのかな?って、考えてる。存在をみとめて満足するのか、存在を認めてもらいたい一心で高みを目指し続け、いつまでも満足しないのか…。

★そんな社会に、とみこはどう関わっていきていく?

頼ること、ありのままでいることが肯定されない社会に、課題を感じてる。

とくに感じているのが、子ども時代に「がんばらなきゃ」「弱みを見せちゃいけない」と思っている子が多いことかな。「こうあるべき」をすり込まれている子が多い。子どもはまだ広い世界を知らない分、学校で習うことが正義でそれが世界の全てな気がしちゃうんじゃないかなって思う。
大人がつくったその世界の標準にはまっていないことで苦しい思いをすることもある。すると、存在が否定されたような気持になっちゃう。でも、どんな子も存在が否定されていいわけがないし、みんな等しく幸せになっていいんだよなーって思うの。

だから、私はそういう子たちが弱音を吐ける存在になりたいし、それでいいんだよ、と伝えられる存在でありたいと思っている。
その子たちが大人になったときには、子どもに対して同じように接して、機会をつくっていってくれると思うし、そうやって日本社会を、「幸せ」のために生きていける社会にしていきたい。

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