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愉快なブラシ

ブラシに顔がトレードマークの「ダフト・アズ・ブラシ」

イギリスのチャリティー「ダフト・アズ・ブラシ 」の車は、私の住んでいる街のあちこちを走っている。

ブラシに顔が描かれたイラストのバンを見たことがあっても、その活動を知らない人も多い。

「ダフト・アズ・ブラシ」は、放射線や抗がん剤治療で病院に毎日いかなければいけないがん患者を支える、タクシーのような存在だ。

「ダフト・アズ・ブラシ」というのは、「全くバカバカしい」と言う意味らしい。(もともとは柄しかないブラシのように「ナンセンスな物」の意味)

この団体のことを知っている人は皆、あの、ふざけた「ダフト・アズ・ブラシ」と言う名前と、ブラシに顔が描かれた車をなんとかしたほうがいいんじゃない?って言う。

そんな時私は「この名前とブラシのマンガみたいなイラストだからこそ良いの」と反論する。


患者の送迎をする「ダフト・アズ・ブラシ」


車を持ってない夫がこのチャリティーの利用を病院受け付けで勧められた時、最初は「自分は電車で来れるからいい」と断っていた。

私は自分が毎回一緒に行くのも大変だし、夫が自分1人で行くのも心配だし、こういう人たちに送り迎えしてもらえるのは自分にとってもありがたいと思って、

「一応お願いしてみたら?」

と言い、夫も了解してお願いすることになった。



わが家の門の前で待つ車

初めて放射線治療を受けた日

とりあえず頼んだのは良いけれど、最初は利用のしかたがさっぱりわからないままだった。
だからその後電話がかかってきたとき、誰からの電話か分からないので、夫は無視していた。

「本当に来るのかしら」
初めて放射線治療という日、私が言った。
「あれ、昨日何度もかかってきた電話、ひょっとしてあのチャリティーの人たちなんじゃない?」
そこで夫が慌てて折り返しをし、「今から行く」と言う話になったそうだ。
電話の相手は、夫が昨日電話に出なかったことに怒っていたみたいだった。

毎日定刻の5分前に家の前に車が

その後はどういう仕組みなのかがわかってきた。
前日に電話をして明日迎えが必要かと言うことを確認した上で、翌日その時間に来るのだった。

イギリスでは全てがあらかじめ聞いてた通りにならずいい加減なんだけど、この人たちはとても正確で、ちゃんと伝えた時間の5分ぐらい前に来て、私たちの家の門の前で待ってくれていた。

それはイギリスではとてもレアなこと。

今まで古い家の修繕を頼んだ人に1年のうちに数え切れないほどアポを取ってきてもらったけど、見積もりを取るときはをまぁまぁ正確に来るけど、実際の仕事になると正確に来るのは2回に1回位だった。

大体が家族が病気とかは子供の送り迎えとかが理由。でもとにかく時間にルーズというか適当なので、このチャリティーの人たちが、1回の例外を除き正確に毎日5分前に来ていた事は驚きだ。

家の前にとめられた車には必ず、運転手と助手席にもう1人乗っている。これはおそらく、万一ハラスメントなどが起きないようにと言う配慮だろうが、徹底している。

挨拶は普通にするが別に話しかけたりとかもしない。でも、こちらから話しかけると答えてくれてみんなフレンドリーだった。

マスクをしていない人がいた時が1回2回ほどあったけど、お願いすればつけてくれ、またそれ以外のときは皆マスクをしていた。

(イギリスはマスクに関してはもともと医療従事者がするものという認識であった。ただコロナ禍では政府は一般市民の公共の場でのマスクを義務づけていた)


英国北部の街ニューカッスル

当事者にしかわからないこと

送り迎えが始まって以来1ヶ月ほどたったある朝、夫が私に言った。
「君も一緒に来てくれないか」
「どうして一緒に行って欲しいの?」
夫は曖昧にしか答えない。
「家族も一緒に同乗できますか?」
「席が空いてれば大丈夫です。今日は他に誰も乗りませんから良いですよ」
その日初めて夫と一緒に同乗した。

ボランティアの人たちは、病院まで送って終わりではなく、大きな病院の中の課の受付まで患者に付き添う。
なのに、夫はあまりにも体力が低下しすぎて、精神的に不安なんだなと感じた。

その後は何度も同乗したけれど、ボランティアの人たちは夫だけでなく私にも丁寧に接してくれ、毎回車の中で少しだけ話をした。

がんというだけで、親戚から友人まで、全く経験がない人と会話してもぎこちなくなることが多い。
がんチャリティーの人ならまわりは患者や医療者の立場で経験者ばかりなので、患者や家族当事者にしかわからない気持ちを率直に話すことができる。

妻のがんのため始めたチャリティーで、妻とは離婚

それからはこのチャリティーを利用したい患者が多すぎたクリスマスを除く毎日2カ月以上、ボランティアのドライバーたちが夫を病院まで送り迎えしてくれた。

乗車中にボランティアの人から聞いたのだけど、このチャリティーの創業者の妻が乳がんになって、それで放射線治療の患者送迎というチャリティーを思いついたと言う。

「彼の妻は治療でがんが治ったのですか」
「そうなんですけど、その後離婚したそうです」
「離婚する前は一緒にチャリティー活動されてたのですよね」
「それが、不思議なことにチャリティー活動に必ずしも賛成ではなかったとかで、その後離婚したそうです」



病院の前で患者の治療が終わるのを待つ車

3県ぐらいにまたがって、今日もボランティアが送迎中

このチャリティーは私たちの住む英国北部だけで活動していると聞いた。
「どんなエリアまで行っているのですか」
「3つほどのカウンティーにまたがって活動してるんです」
イギリスではカウンティーと言うのが県に当たるので、相当広い範囲まで送り迎えをしているということ。

「ダフト・アズ・ブラシ」の車は、病院の駐車場にいつも5〜6台も並んでいる。しかも街を歩いてると割と頻繁にこの車を見かける。

ウェブサイトの写真で写っているのを見ると合計20台くらいあるんじゃないかと思う。

車は大きなバンで4人ぐらいの患者が乗れるようになっているけど、実際に私が乗ったとき満員だった事はなく、1番多くて患者2人に私だった。

というのも、同じ方角にいる患者が必ずしも同じ時間に重なるわけではないからと思う。でも、バンは後ろに4人、前に2人乗れるような、相当大きいサイズの車だ。

どの車でもブラシに顔のイラストが書いてある。だから、遠くから見てもすぐにわかる。

笑い飛ばせること


何にもわかってない遠い国に住み始めて、いきなり降りかかった夫のがん診断。

放射線治療の間は2〜3ヶ月毎日病院に行かなければならず、病院まで電車だと1時間かかる。

「ダフト・アズ・ブラシ」のボランティアが毎日送り迎えしてくれだおかげで、夫の体力的負担はもちろん、家族である私の心の負担と言う意味でも、また日常的な公共交通機関交通費が日本よりはるかに高いので経済的にもありがたかった。

先行きが読めないがん患者という状況でも、こんなばかばかしい名前と顔のあるブラシの絵を見るたび深刻にならずに済む。

なんだか笑い飛ばせるような感じっていうか。私はあの車を見るたび、なんだか心が軽くなる。この国の私の街にも、支えてくれる人がいるんだって思えるから。

イラストby 海南

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