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異質との出会いが、人生を変える。ぬくぬくとした箱庭を飛び出せ!

一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォームは、日本を代表するリーダーの方々に「ビジョンパートナー」となっていただき、新しい発想とアイディアで、力強く一緒に未来を築いていただいています。
このシリーズでは、ビジョンパートナーの皆さんが思い描かれている未来についてお聞きしていきます。

ビジョンパートナー 栁澤 孝旨氏
株式会社ZOZO 取締役副社長 兼 CFO
1971年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。
(株)富士銀行(現・みずほ銀行)、(株)NTTデータ経営研究所、みずほ証券(株)を経て、2006年に(株)スタートトゥデイ(現・ZOZO)常勤監査役に就任。同社取締役兼経営管理本部長、取締役CFOを経て、2017年より現職。現在は(株)コロプラなどの社外取締役も務める。

ビジョンパートナー:栁澤 孝旨 氏

インタビューアー 水谷 智之
一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォーム 理事・会長
1988年慶応義塾大学卒業。(株)リクルート入社後、一貫して人材ビジネス領域に携わり、「リクナビNEXT」などを立ち上げる。グループ各社の代表取締役、取締役を歴任し、2012年には(株)リクルートキャリア初代代表取締役社長に就任。2016年に退任後は、社会人大学院大学「至善館」理事兼特任教授、経済産業省「我が国産業における人材力強化に向けた研究会」委員、「『未来の教室』とEdTech研究会」委員、内閣官房「教育再生実行会議」委員などを歴任。2017年に一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォームを設立、地域みらい留学を推進。

インタビューアー:(一財)地域・教育魅力化プラットフォーム 水谷 智之

水谷:栁澤さんのキャリアって、良い意味で設計図がないというか、どんどん新しい世界に飛び込んでここまで築いてこられた感じがしていて。高校時代に『ウォール街』という映画を見て金融業界に憧れたのが最初だったのだとか?

栁澤:そうですね。ウォール街を闊歩する姿に憧れて、大学では金融系のゼミに入り、卒業後は銀行に入行しました。当時はそこまで深くは考えていなくて、お金を稼ぎたいという気持ちが強かったのですが、銀行で働くうちにどんどん仕事がおもしろくなってきて。いろいろな企業を見てみたい、より直接的に企業の成長に携わる仕事がしたいと思うようになり、コンサルティング会社に転職しました。その後、銀行時代の上司に誘われてというか自分を売り込んで証券会社に転職し、その9ヶ月後に、現在のZOZO(当時はスタートトゥデイ)にジョインしました。それが34歳のときでしたね。

水谷:いやあ、軽やかですね。パッと決断してパッと行動して。栁澤さんの自分で決めて飛び込む力、飛び込んだ新しい世界で漂う力というのはどこから来ているのでしょうか?

栁澤:両親の影響が大きかったと思います。父からも母からも、「これをやりなさい」「これはダメ」と言われたことがほとんどなくて。僕がやりたいと言うことには基本的にOKを出してくれて、まあ自由に育ちました。勉強しろとか塾に行けとか言われたこともなくて。中学時代に周りの友だちが受験のために塾に通い出して、そろそろ勉強せんとまずいぞと思い、お願いして塾に行かせてもらったくらいです。父は銀行員で忙しくほとんど家にいなかったので、今思うと、母がすごかったのでしょうね。

水谷:いろいろ言いたくなくても、我が子にはつい口うるさく言ってしまうものじゃないですか。素晴らしいお母さまですね。そんなご両親のもとで育って、栁澤さんは何を身につけたのでしょうか?

栁澤:好奇心と判断力ですね。何をするか自分で決めるしかないから、おもしろそうなこと、やりたいことにアンテナを張って、これだと思ったら飛び込む。それを幼いうちから無意識に繰り返してきたのだと思います。飛び込んでみた先では成功もあれば失敗もありましたが、ダメだったらなぜダメだったかを他責にせず自分で考えるんですよ。そういう力や習慣が身についたという点では、親にすごく感謝しています。

水谷:「自分で決める」が幼い頃から当たり前になっていたのですね。これまでのキャリアを振り返って、大きな決断をしたときって、どんな感じだったのでしょうか?

栁澤:銀行からコンサルティング会社に転職した際はたまたま拾ってもらった感じでしたし、証券会社でもうまいこと元上司に拾ってもらいましたし、大きな決断というよりは運が良かったという感じでしたね。一方、ZOZOへの参画を決めたことは、いま振り返ると大きな決断だったと思います。銀行時代の先輩からオファーがあったのですが、当時はまだ全然知られていなくて。私自身もファッションに疎かったので、知りませんでした。ただ、ITに詳しい後輩に相談したら、来訪者数がこんなに多いサイトはなかなかないと言われて、ファッション好きの間では注目されている会社なのだというのが第一印象です。最終的に決めたのは、前澤さん(ZOZO創業者)にお会いして、ですね。オフィスに行ったら、すごい格好の若者ばかりで、僕は完全に浮いていて…。オレ大丈夫か!? と思いましたが、なるようになれという感じでした。ダメだったら転職すればいいわけだし、とりあえずチャレンジしてみようかなと。

水谷:「なるようになれ」ですか。それは、ご自身の判断力にある程度の自信があるから、そう思えたのでしょうか?

栁澤:それもあるかもしれませんが、僕の根底に「まあ、なんとかなるさ」っていうのがありまして。人生どうにでもなるというか、どうやってでも生きていけるというか。

水谷:おもしろいですね。それは、何か原体験があるのですか?

栁澤:エジプトへの旅ですね。中学を卒業した春休みに、母の弟がエジプトに駐在しているから行ってきたらと言われて、じゃあ行ってみるかと。親友と二人で、南航路で20時間かけてエジプトに行きました。そこで見た光景が衝撃的で。貧富の差なども目の当たりにしたわけですが、決して裕福ではなさそうだけど楽しそうに働いているタクシーの運転手さんらを見て、これはこれでいいなと思ったのですよね。この人たちの生きる力はすごいな、人間ってどんなふうにでも生きていけるのだなと、異質に触れたことでまさに人生観が変わりました。それからはエジプトの古代史にも興味をもつようになり、今でもエジプトは大好きです。

水谷:異質との出会いが、人生観を変えたと…。おもしろいですね。あと、先ほど「たまたまだった」「運が良かった」とおっしゃいましたが、偶然とか運とかって、来る人と来ない人がいると思うのですよね。偶然や運の良さの背景には必然が隠れていると私は常々思っているのですが、栁澤さんはどうお感じですか?

栁澤:運が良いことに理由があるなら、それは数を打ってきたからかなと思います。ずっと自分で決めてきて、その結果、良いこともそうでないこともいろいろな経験をしてきたから、ある程度の目利きができるようになっているのかもしれません。

水谷:場数を踏んできたから、チャンスが来たときに、これだと思って掴みにいける?

栁澤:そうですね。あとは、周りの人がやらないことをやり続けるという選択をしてきたから、来るものが来るのだろうなという感覚はあります。出された餌を一生懸命に食べていたら、気づいたら自分の糧になっていた…という感じでしょうか。

水谷:出された餌をなんでも食べるって、簡単なことじゃないと思うのですよ。多くの人は、出された餌に不平・不満があれば、食べないか、食べたふりをしてベッと出しちゃうか。栁澤さんは、与えられた環境や起きた状況を常に肯定的に捉えている印象があって、実際にネガティブな発言をしたり困惑したりするのは見たことがないですが、不平・不満はないのですか?

栁澤:若い頃はありましたよ。でも、不平・不満でいっぱいで、こんなことやっても意味がないと思っていたことが、後になって活きてくるのですよね。そういう経験を何度もしてきたから、今となっては何がきても拒否しない、どんな状況も否定しないようになりました。例えば、コンサル時代に、ある企業の総務部門の業務改革を担当したことがあるのですが、コンサルタントにとっては、言ってみれば地味な案件で、正直やりたくはありませんでした。でも、やっているうちに、クライアントと仲良くなって、仕事としてはつまらないけど相手に喜んでもらえて、だんだんおもしろくなってきて。最後にはやって良かったと思える、そんな案件の積み重ねでここまで来ました。

水谷:与えられた仕事をとりあえずやってみる。そして、その中に自分なりのおもしろみを見つけて、そこで得たものをどこかで活かす。そんなスタンスだから、偶然や運が巡ってくるのでしょうね。

栁澤:社長の澤田(ZOZO社長)はコンサル時代の同期で20年近い付き合いなのですが、「お前は(運を)もっているから、俺が社長でいる間は絶対に(ZOZOを)辞めないで」と冗談半分でよく言われますね。でも、ここで自分は運がいいのだと自惚れちゃいけないと思っています。

水谷:ところで、栁澤さんが「地域みらい留学」をサポートしようと思ってくださったのは、どういうところに意味や魅力を感じてのことなのでしょうか?

栁澤:理由は大きく二つあります。一つは、僕自身が10代のときにエジプトで異質を経験して、衝撃を受けたから。やっぱり僕の人生において、エジプトでのあの経験は大きかったのですよ。高校生のときに、生まれ育ったのとは違う環境に身を置くこと、異質と出会うことには、大きな意味があると思うのです。それを国内でやろうとしているのがおもしろいなと思い、ぜひ応援したいと思いました。もう一つは、僕自身が地方に住み始めたことですね。

水谷:栁澤さんは、東京生まれ東京育ちですよね?

栁澤:はい。コロナ禍を機に移住して、今は妻の実家がある長野県佐久市に暮らしの拠点を置いています。僕にとっては人生で初めての首都圏外での生活なのですが、すごく快適で。一方、地方に住んだからこそ見える課題もたくさんあり、過疎化、少子高齢化、移動手段が限定的など、身をもって実感しました。また、各地方に魅力的な観光資源や産業があるものの、それをうまく発信できていないのも課題だと思います。僕自身、いずれは自分が暮らす地域を盛り上げることをやってみたくて、地域みらい留学では高校生がそういう地域課題に取り組むと聞き、これはおもしろいなと思いました。地域に留学した高校生が、その地域に魅力を感じてそこで頑張ってくれたら、すごくいいですよね。地方から都会へという人の流れの逆を増やさないと、地域の活性化はどうやったって進みませんから。

水谷:なるほど、ご自身の原体験と現在進行形の体験から、共感していただいたわけですね。ありがとうございます。最後に、これから高校生になるお子さんをおもちの保護者の方に向けて、メッセージをお願いします。

栁澤お子さんを、箱庭で育てていいのですか?…ということですね。実はこれは、僕自身にも当てはまることなのです。二十歳の息子がいるのですが、なんというか、生命力が弱い。親としては、自分の好きなことをやって伸ばせと伝えてきたつもりなのですが、ぬくぬくとした環境で育ったからか、肝心なことを自分で決められないのです。強制的にでも外に出す、親元を離れて生活させることで、自ずと判断力がつくようになるのではないか、そういう選択肢もあるのではないかと、保護者の方にはお伝えしたいと思います。

水谷:私にも二十歳の息子がいるのですが…まさに同感です。異質との出会いによる価値観の転換を10代のときに経験された栁澤さんに、ビジョンパートナーとして参画していただいたこと、改めて光栄に思います。今後ともよろしくお願いいたします。

株式会社ZOZOオフィスにて

地域みらい留学公式サイト https://c-mirai.jp/

【カメラマン:荒川潤、ライター:笹原風花】


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