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居心地の良い世界を飛び出し、人とかかわりリアルを知る体験を!

一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォームは設立4年を迎え、これからの10年を思い描いたときに、ビジョンを共有し、新しい発想とアイディアで力強く一緒に未来を築いていくために、日本を代表するリーダーの方々に「ビジョン・パートナー」となっていただきました。このシリーズでは、ビジョン・パートナーの皆さんが思い描かれている未来についてお聞きしていきます。

ビジョンパートナー 高橋広敏様
早稲田大学卒業後、1995年パーソルキャリア(旧インテリジェンス)入社。人材派遣、転職支援、アルバイト求人情報等のサービスや新規事業を立ち上げ、推進。2008年同社代表取締役 兼 社長執行役員就任を経て、2013年パーソルホールディングス取締役副社長COOに着任。2019年4月「パーソルイノベーション」を立ち上げ、HRテックを活用した既存事業の革新と新たな事業創造にも注力。2021年4月より代表取締役副社長、2023年6月退任。

インタビューアー 水谷 智之
一般財団法人 地域・教育魅力化プラットフォーム 理事・会長
1988年慶応義塾大学卒。(株)リクルート入社後、一貫して人材ビジネス領域に携わり、「リクナビNEXT」などを立ち上げる。グループ各社の代表取締役、取締役を歴任し、2012年には(株)リクルートキャリア初代代表取締役社長に就任。2016年に退任後は、社会人大学院大学「至善館」理事兼特任教授、経済産業省「我が国産業における人材力強化に向けた研究会」委員、「『未来の教室』とEdTech研究会」委員、内閣官房「教育再生実行会議」委員などを務める。2017年より現職で地域みらい留学を推進。

水谷:高橋さんは、大学を卒業してインテリジェンスに入社して以来、ずっと人材業界で活躍してこられました。特に、「どこに行っても通用する生きる力=ポータブルスキル」の大切さを主張してこられた姿がとても印象的です。そんな高橋さんの原点、原体験はどのようなものだったのでしょうか?

高橋:子どもの頃に、家業を手伝っていた経験ですね。私は大分県国東半島の小さな町の生まれで、実家はプロパンガスの販売店をやっていました。プロパンガス以外にもガス器具やお米、タバコ、お酒などいろいろ扱っていて、地元の方々はお得意先でもありました。それもあって、幼い頃から「町の人にはちゃんと挨拶をしなさい」と言われて育ちました。そして、お中元やお歳暮の時期には、200軒くらいに品物を配って回るのが子どもの仕事で、親にリストを渡されて贈答品の選定からやるんです。小学校高学年から高校生まで7年間ほどやっていましたが、だんだんコツを掴んで効率よく配れるようになるんですよ。あの家は何時くらいなら在宅だとか、このお宅で買い物もしつつ、商品を待っている間に10軒は回れるなとか、あそこの人は話が長いからうまく言って早く切り上げよう…とか(笑)。

水谷:それは面白いですね。効率を重視しつつ、相手にも合わせて…いろいろ考えながらやっていたんですね。

高橋:店は朝早くから夜遅くまで開けていて、中学生になってからは店番や配達、最後の戸締りなどもやっていました。火事が起きると、夜中でもガスボンベを外しに行ったり。店の一角で地元の大人が酒を飲んでいれば、話の相手をしたり。手伝うというよりは、「自分ができることをやる」というのが染み付いていました。それは、今思うと結構大きかったなと思います。一方で、お歳暮やお中元を配るとか店番や配達をするといったことが、自分や家業に対しての評判の良さにつながるんだ…みたいなことも子どもなりに感じていました。自分がやっていることには意味がある、人の役に立っている、評価されている、という喜びに似た感覚が、どこかにあったと思います。

水谷:周囲の人からの激励や感謝が直に感じられて、自分が地域に貢献しているという実感がある。それが、高橋さんの原体験なんですね。

高橋:評価されたり感謝されたりすると、「別に大したことやってないし」みたいな穿った感情も芽生えてはいたんですが、やっぱり喜んでもらえるのはうれしかったですね。店を空けることができなかったので家族旅行などはほとんど行ったことがありませんでしたが、父親が「町の大事な(ライフラインの)一端を担っているんだ」とよく言っていたので、大して儲からないし大変だけどいい仕事だなと、誇りに思っていました。

水谷:高校時代も、ずっと家業の手伝いは続けていた?

高橋:高校時代は野球三昧でしたが、部活の合間に手伝っていましたね。東京の大学に進学して上京したんですが、最初の印象は、みんなカチッとしてちゃんとしてるなあと。そこに憧れもありつつ、どこか傍観しているような部分もありました。上京して1年は遊びまくったんですが、なんか違うなと。父親のように、誰か・何かに貢献できる仕事がしたい…という漠然とした思いがあって、そこからはいろんなアルバイトをするようになりました。二十歳のときに偶然出会ったのが、インテリジェンスという会社。そこでアルバイトを始めたのですが、家業のおかげで大人と接するのには慣れていましたし、野球部だったこともあり礼儀作法はひと通り身につけていたので、便利なヤツが入ってきたと思われたんでしょう、そのまま就職しました。

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水谷:そこから人材業界ひと筋…というわけですね。経営者になって、子どもの頃の経験や体験が今につながっているなと思うことはありますか?

高橋:「高橋さんって、儲かりもしないのに、商売抜きに困っている人を助けに行こうとしますよね」と言われたことはあります(笑)。そう考えると、儲けだけじゃない、掛け値なしにみんなのためにやる…みたいなところは、親の姿そのものですね。

水谷:こうしたご自身の経験も踏まえて、どこで何をやるにしても必要になる力、どこに行っても通用する力(ポータブルスキル)って、どんな力だとお考えですか?

高橋「やってみる力」ですね。そのためには、何かをやってみたら誰かに喜んでもらった、誰かの役に立った、ありがとうと言ってもらえた…といった経験が、私自身を振り返っても、すごく大事な気がします。周囲を見ていても、何かに挑戦して、成功する喜びや失敗する悔しさをたくさん感じてきた人は強いですよね。偏差値じゃないなと思います。

水谷:「自分がやったことや自分の存在が、誰かの役に立つ」という経験は、都会よりも地方の方がしやすいように感じます。都会はたくさん隠れ場所があるけど、地方には逃げ場がない。嫌でも人とかかわり合いながら生きていかないといけないですからね。

高橋:地域では、人間関係も含めて、工夫しないと気持ちよく暮らせないですよね。その工夫をすることが、実は生きるうえですごく大事なスキルなんじゃないかと思います。社会全体を見ても組織を見ても、人と人との関係性が希薄になってきていると感じますが、強くていいチームの方がビジネスでもなんでも生き抜く確率は高くなります。いかにいいチームを作るか、人との関係性をいかに構築するか、そのヒントは人間関係から逃れられない地域にあるのかもしれませんよね。

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水谷:高橋さんは、大分で生まれ育って大学進学を機に上京されたわけですが、高校時代は地元を飛び出したいという思いは強かったんですか?

高橋:野球をやってなかったら、大分から、いや日本から、脱出していたかもしれませんね。地元はいい所だけど、高校生当時の自分には刺激的ではなくなっていて。新しい人との繋がりや情報が欲しくてたまらなくて、バイクで行ける限り遠いところに出かけていました。当時、東南アジアの国々は、今よりも物価も安くてもっと混沌としたイメージがあって、住んでみたいとも思っていました。

水谷:知らない世界に飛び込みたい、旅してみたいという憧れがあったんですね。自分の枠を超える「越境」や、自分の世界を広げる「拡張」というのは、地域みらい留学でも大事なキーワードなんですが、それができる人・できない人、もしくは、それをする人・しない人というのは、どういうところで決まってくるのでしょうか?

高橋:越境も拡張も、したいけど我慢している人が多いように感じます。本人は無自覚かもしれませんが。これは偏差値教育の弊害だと思うんですが、70〜80点取れたらいいやって妥協している人が多くないですか?

水谷:いやあ、私もそういう人が増えていると思います。底辺は嫌だけど、そこそこでいい…みたいなね。

高橋:そうなんです。効率よく教えるという点では偏差値で切り分ければいいのでしょうが、その結果、高校には近隣地域の同じような偏差値の生徒が集まります。そして、高い同質性のなかで、ここからここまでがセーフゾーン、ここからはアウト、突き抜けた人は別世界…みたいな価値観が生まれ、同調圧力が働いて、セーフゾーンの枠内にいることが目的化してしまう。これはすごく良くないなと思いますね。

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水谷:まさにそうなんですよね。居心地の良い仲間と一緒にいれば楽ですから。でも、同質なのは学校内だけで、卒業して社会に出ればいろんな人がいる。自分と異なる多様な価値観をもった人とどう付き合っていけばいいかわからず、戸惑ってしまう人、それゆえに偏狭になってしまうも少なくありません。

高橋:70〜80点でいいやっていう空気感は、上京したときに特に強く感じましたね。そして、今も感じています。

水谷:例えば、地域みらい留学の先駆けとなった島根県立隠岐島前高校には、偏差値でいうと下は30くらい、上は70くらいまでの生徒がいるんです。全国から集まっているので生まれ育った環境もバラバラだし、背景もさまざま。中学時代に自分の居場所や人間関係について悩んだり苦しんだりした子、「同調」に対してアンチな子も少なくなく、驚くほど多様です。

高橋:いいですね。私が通っていた高校も多様校で、卒業後は漁師になるという同級生もいれば東大に行くのもいました。そういう環境で高校3年間を過ごせたのは、とても良かったなと思います。

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水谷:高橋さんは、なぜ、地域みらい留学を応援してもいいなと思われたのでしょうか?

高橋一つは、自分が子育てをしてきたなかで、こういう選択肢があったら息子が興味をもったのでは…と思ったから。もう一つは、自分の地元でもやってほしいと思ったから。国東地域は市町村合併したり高校が統廃合されたりしていて、自分の故郷が人口も減少する中、活気がなくなっているように感じていたときに、いやいや海士町の勇気と元気がすごいなと。そして、海士町にある隠岐島前高校から始まった高校魅力化の動きが、島根県全体に広がり、全国に広がり、今や70校を超えていると聞いて、いやすごいな、国東でもやってほしいなと思いました。

水谷:自分の子どもを行かせたかった…というのは、私もまったく同じなんです。どういうところに魅力を感じて、そう思われたのでしょうか?

高橋:親元を離れること、そして、親以外の大人とふれあう機会が豊富にあることですね。都会で暮らす高校生って、大人に出会う機会が極端に少ないですよね。大人って、尊敬できる人もいれば、そうでない人もいる。そういうリアルを知ることって、大事だと思うんです。私は家業の関係で子どもの頃からいろんな大人に接してきましたが、今思えば小学生相手にそんな態度を取るのかというような人もいて、本当にいろんな人がいるんですよね。でも、それが私にとっての当たり前だったので、大学生や社会人になって苦手なタイプの大人に出会ったときに、ああこういう人もいるよな、と思えたんです。

水谷:地域とのつながりが希薄な今は、子どもが大人とコミュニケーションをとる機会が本当に減っていて、リアルな大人の姿を見ないまま大人になる人が多いですよね。

高橋:大都市には人がたくさんいますが、集団としての塊が大きいため、物事の全体像が見えにくく物の側面や断片しか見えてこない。地域は人も多くないので、かかわりも深くなりやすい、そこで誰がどんな暮らしをしてるのか、何を考えているのか、誰が権限を持ち決めているのかが分かり易い。高校時代にそういうリアルな社会に触れる体験をすることって、とても大事だと思います。

水谷:都会にはない可能性が、各地域にはある。そう信じて、私は地域みらい留学の魅力を発信してきましたが、今日は高橋さんに背中を押していただきました。素敵なお話をありがとうございました。

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地域みらい留学公式サイト https://c-mirai.jp/

【カメラマン:荒川潤、ライター:笹原風花】

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