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猫になりたいわけじゃない【短編小説】

現在中学3年生の戸川晴人は、ベッドの中で悶々と思考を巡らせていた。

晴人には今、片想いの相手がいる。同じクラスの岬夕美だ。

夕美は身長順では常に一番前になる小柄な女子で、垢抜けた派手さは無いが、リスやハムスターのような愛玩動物を思わせる可愛いらしいタイプだ。鼻に掛かった声も相まって、隠れアニヲタである晴人の好みのど真ん中なのだ。

授業中も、隙あらば対角線上の席の夕美を見ているし、家には、ひたすら岬夕美と名前を羅列したノートがある。勉強に集中している時以外は、もうずっと夕美のことばかり考えている(例の処理には夕美を想像しない。聖域なのでね)のだ。そんな感じだから、他のクラスメイトにもあっさりと見抜かれそうなものなのだが、実際はそうでもなかった。それは周りからすれば「まさか」だったからだ。

晴人は15歳にして身長が175cmあり、所属している陸上部では、高跳びで都大会に出場した実力者である。それ以外のスポーツも万能だし、学力の方も学年トップクラス。顔だって「ジャニーズ入れば?」と言われるほどのイケメンだ。陸上競技の雑誌に写真が載った後からは、スカウトと他校の女子生徒がこぞって見学に来るようになったし、既に校内カースト上位の女子の数名が告白し、玉砕していた。

そういうモテ男だから、まさか晴人が、どちらかと言えば地味めな夕美に片想いをしているなんて、誰一人として思いもしないのだ。勿論想いを寄せられている当の夕美だって「住む世界が違う人」という認識だから、自分のことを見ているだなんて露ほども思っていなかった。

しかし「あぁ、俺どうしよう」とベッドでひとりごとを言う晴人は、実は超絶奥手ボーイ。他人様からしたら「さっさと告白したら、二つ返事でOKだろ」と思うところだが、本人は自信が持てないまま、片想い期間はかれこれ半年が経過し、未だに告白出来ずにいる。これまでに何回かベッドの中で「明日告白しよう」と決意をしたが、目が覚めると昨日の決意は損なわれてしまっているのだった。

決意が決まったタイミングで瞬間移動出来たら良いのにと、晴人は思う。
「神様、俺に瞬間移動する能力を下さい」
そんな思春期らしい祈りを捧げながら、浮き足立った下半身の処理をして、今日も眠りにつく晴人であった。

翌朝、目を覚ました晴人の視界には、見慣れない景色が広がっていた。ベッドの上なのは間違いないようだが、どうやらそこは女の子の部屋のようだ。

「夕美、起きなさーい」
聞こえて来たのは大人の女性の声だった

ん?夕美ってもしかして…、え?

瞬間移動じゃなくて入れ替わった系?あのドラマとかでよく見るアレ?ってか俺そんなの望んでないんだけど。入れ替わっても意味ないじゃん!岬が俺になっても全然意味ないじゃん!どうしたら良いんだよ!そう心の中で叫ぶ晴人。

「はーい」
今度は若い女の子の声だ。それは間違いなく、夕美の声だった。そしてその声は、すぐ側から聞こえて来ている。

「えぇ…どうなってんだよ…」
晴人はこれが現実かどうかを確認する為に、自分の頬をつねろうとした。が、つねることが出来ない。頬には「ぷにっ」という感触があるだけで、指がいつものように動かない。
「ぷにって何?」
自分の手を見てみると、手にはピンク色の、弾力豊かな肉球が付いている。体全体を見回すと、もふもふしている。手には肉球があり、体はもふもふ。そうだ、猫だ。どうやら岬家の飼い猫になっているのだ。で、一体どうしたら良いんだよ…。晴人は困惑した。

「ハル、おはよう」
目の前にあったのはどアップの夕美の顔だった。そして、晴人の体を優しく撫でている。

あ、なんか嬉しい。あと俺、ハルって呼ばれた。飼い猫の名前、ハルって言うんだな。俺と名前似てるじゃん。

「お前は可愛いのぉ」と言いながら、晴人の…、いや、ハルのお腹に顔を押しつけ、猫吸いをする夕美。「あぁ…」なんとも言えない恍惚感に満ちる晴人。「たまらん」と満足気な夕美。

「夕美ー、早く起きなさーい」
再び聞こえて来た女性の声は、どうやらお母さんだろう。「挨拶しないと」と一瞬思ったが、今の晴人は飼い猫のハルである。
「ハルも行こう」
夕美に言われ、ベッドから降りて一緒にリビングへ移動した。リビングには夕美の父と母と小学生の妹がいた。岬家はちゃんと揃って朝食を食べるようだ。

夕美たち家族はテーブルで朝食を摂り、晴人はハル用に用意されたスペースでキャットフードを食べた。体が猫だからか、猫的な動きは特に意識しなくても自然と出来るし、寝ようとすると、体が勝手に丸くなる。何よりもこのキャットフードの美味しさに驚いた。思わず「うまっ」と言ってしまった晴人だったが、「ニャア」とでも聞こえているのだろう。「美味しい?」と夕美の母から聞かれたので「美味しいです」と返事をすると、「じゃあまたそれにしてあげる」と言われた。またと言われても、いつまでこのままなのだろうかと、晴人は途方に暮れるしかなかった。

夕美の父が先に仕事に行き、夕美たちはそれぞれの部屋に準備をしに戻った。学校まで少し時間があるようで、夕美はベッドに座ってスマホをいじっていた。その間晴人は猫らしく夕美に膝の上に寝そべり、幸せな時間を過ごした。その時だけは「俺、ずっとこのままでも良いかも」と思うのだった。

しばらくして、妹と夕美は学校に行き、母も何処かに外出した。さすがに猫のまま学校に行くことは出来ず、ハルは室内飼いだから、家で留守番をするしかない。

しかし、俺の本体は一体今どうしているのか。学校に行っているとしたら、そいつはきっと俺じゃない。それに瞬間移動したいとは思ったが、猫じゃ意味がないのだ。側にいられるし、可愛いがってはもらえるけれど、話をするどころか手をつなぐことも、そこから先のアレもコレも出来ないじゃないか。告白する決意も昨日は決まってなかったしさ。

こんなの夢に決まっていると思いたいが、だとしてこの夢はいつ覚めるのだろうか。一人(一匹)になった瞬間に、いろいろと考えてしまう。幾ら考えたって、答えなんてあるわけもないのに。

結局仕方がないので、晴人は猫生活を満喫することにした。

廊下の端から端を、全力で走ってみる。何回往復しても疲れない。そして想像以上の疾走感と、肉球のグリップ力に驚いた。どれだけスピードを出してもしっかりと止まれるのだ。今度はキャットタワーも登ったり降りたりを繰り返し、その身軽さと跳躍力を体感。晴人なりに考えてはみたが、どうにも高跳びの動きには活かせそうにはなさそうだ。爪研ぎ用のボードもひたすらガリガリしてやった。説明が難しいが、やり始めると止まらない。無心で、ガリガリし続けるのみ。ストレス解消にはもってこいの逸品と言える。

ひとしきり猫活動を終えると、急に眠くなってきた。寝子が語源と言われるだけあって、すぐに寝たくなってしまうようだ。睡魔に抗うことは出来ないので、専用のネコベッドで眠ることにした。

夕方になり「ただいまー」と始めに帰って来たのは夕美の母で、それから妹、夕美の順で帰宅。帰って来た順で猫吸いをされて、晴人は嬉しいようなそうでもないような、複雑な気分になった。眠い時に毎回やられたらさすがにちょっと嫌かも知れないと、知らぬ間に猫心理がわかるようになってきていた。夕美と妹は帰宅して間もなくそれぞれ塾に行ってしまった。普段なら晴人も塾に行き、受験勉強をしている時間である。夕美はいないし受験勉強も出来ないし、ニャンだかなぁと心の中でつぶやくのだった。

夕美の母が洗濯物を取り込み、夕食を作り終え、シャワーを浴びて浴室から出て来た。他に誰もいないからだろうが、下着姿でウロウロしている。中途半端に晴人としての自我があるせいで、猫なのにドキドキしてしまうから、無駄に部屋の中を徘徊する。しばらく徘徊しながら考えた結果、本能を…晴人としての本能を優先し、足元にすりすりしに行った。まんまと下着姿の母に抱き抱えられ「お前はメスなのにエッチだなぁ」と言われた。え、メスなの?猫になるのも望んでないのに、まさかの雌猫なの?もう複雑過ぎて、このエロい状況すら喜べない。

そうこうしている内に、二人が塾から帰って来た。お父さんは帰りが遅いらしく、3人で夕食を食べ始めた。晴人も夕食はキャットフードではなく、焼魚をほぐした物。「キャットフードの方が美味いな」と晴人が言うと、「贅沢さんねぇ。毎回キャットフードは高いのよ」と母が返した。そうなんだと思いながら、なんだか普通に会話を出来ている気がした。

夕食を食べ終わり、妹、夕美の順でシャワーを浴びる。浴室から出て来た夕美は少しゆったりめのTシャツに、太もも丸出しの短パンという格好だった。上もTシャツの下は何も着けていないから、胸の膨らみがよくわかる。この時ばかりは雌猫で良かったと晴人は思った。雄人間として見たいのはやまやまだが、中3の晴人には刺激が強過ぎて、体の、主に下半身の反応を抑えることは出来ないだろう。

自室に戻る夕美の後を歩いていると、ちょうど帰って来た父に捕まった。ゴツゴツした手で撫でられた後、やはり猫吸いをされる。どうせされるなら女性の方が良いなぁと晴人は思うのだが、ハルは雌猫なのである。ハルは普段どう思っているのだろうと思いを馳せらせた。

満足した父から解放され、夕美を追ったが既に部屋に入ってしまっていた。当然自分で開けることは出来ないから、ドアに前足の爪を立ててカリカリしてみると「ドアにキズつけちゃダメだよハルー」と言いながら、抱き抱えて部屋に入れてくれた。

夕美は既にパジャマに着替えていて、それはちょっと残念だったが、パジャマ姿もそれはそれで良いなぁと思った。

「今日は晴人君お休みだったんだ」
夕美がハルに話し掛けた。
…え?俺のこと?
「晴人君カッコ良いんだよー。って、ハルには何回も言ってるよね。あなたの名前も晴人君から拝借したくらいだしね」
晴人の思考は現在停止中。
「明日は来るのかなぁ。まぁ、来てもアタシなんて話掛けることも出来ないけどさぁ。ヲタっぽいアニメとか興味無いだろうし、何話したら良いかわからないもん」
そう言って残念そうな顔をする夕美に、晴人は「そんなことない。全然俺も話したい」とアピールするが、今、晴人は猫である。全ての言葉は「ニャア」に変換されるのだ。
「そっかぁ。ハルもわかってくれるのかぁ。明日は晴人君来ると良いな。なんか漫画みたいに奇跡起こらないかなぁ」
夕美は晴人の…いや、ハルの濡れた鼻にチュッとキスをした。

両想いであることを知った晴人は、こうしてはいられないと焦るが、焦ったところで何をすれば良いのかわからない。部屋の中をウロウロと徘徊してみても、「どうしたの」と夕美に言われるだけだ。何か想いを伝える手立てを探そうと天井の方を見ながら思案に暮れたが、答えに辿り着くことは出来なかった。

「俺も岬のことが好きだ」

今の自分に出来ることは、これしかない。そう思って、何回も何回も、晴人は繰り返し言った。きっと全部「ニャア」としか聞こえていないのだろう。それでも、晴人は何回も何回も繰り返した。もし元の姿に戻れたなら、直ぐにでも想いを伝えられるように、その時の予行演習のつもりで、伝わることのない想いをひたすら叫び続けた。そうしている内に力が抜け始め、だんだんと睡魔に襲われていった。「ありがとね、ハル」と言いながら夕美がハルの体を撫でた頃には、既に晴人は…ハルはもう眠りについていた。

「晴人ー、もう起きなさいよー」
聞こえて来たのは母の声だった。岬家ではなく、戸川家の方の母の声だ。
「えっ」と言って起きた晴人は、手を見て肉球が無いことを確認し、顔や体がもふもふしていないことを確認し、念の為に下半身に有るべき物がちゃんと有るかを確認した。
「よっしゃー!」
五感が若干馬鹿になっている晴人は、これでもかと言わんばかりに全身全霊の声で叫んだ。あまりの声の大きさに、なんだなんだと両親と兄と妹、そして祖父母まで集まって来てしまって晴人もさすがに焦った。
「あっ、ごめん。朝目覚めた時に全力で声出すと、良いことがあるってテレビでやってたんだ。もうやめます」と晴人が急場凌ぎの言い訳を言うと、人騒がせな奴だと言いながら、各々朝の準備に戻って行った。

しかしどういうわけか、家族の誰も昨日のことについては触れて来なかった。昨日一日の出来事が現実なのであれば晴人は学校を休んでいたはずで、誰も何も言って来ないのはあまりに不自然だ。そう思って枕元のスマホを見ると、日付けは昨日のまま。要するに、進んでいなかった。やはり夢だったと言うことか。人間に戻れたのは良かったけれど、夕美が晴人を好きだというのも夢の中の話だったことになるのだ。

晴人は「ふぅっ」と大きく一つ息を吐いた。
それは、ため息ではなく、気合いの一息だ。

夢だったかも知れないけど、あれだけ全力で予行演習をしたのだ。今の俺ならきっと出来る。「やってやるぞ!」今度は小さく気合いを入れて、両の拳を握り締めた。

朝食を食べ、歯を磨いて家を出た晴人は「まずはお互い好きなアニメの話から始めよう」と、少し低めに変更したハードルをクリアすべく、学校へ向かうのであった。

おしまい

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