見出し画像

マリリンと僕10 〜 過去との遭遇 ~

クリスマスの夜、いつもの公園でマリリンと会った後、自宅アパートに戻ると、1人の女性が僕の部屋の前に立っていた。

顔を見て、すぐに誰なのかが認識出来た。

「絵莉…」
彼女の名前は深谷絵莉。元カノだ。

元カノと言っても、当時の僕は多い時で5人の女性を掛け持ちしていた。専門学校の同級生、バイト先の後輩、友達の友達、バイト先のお客さん(たぶん既婚者だったと思う)…。どれも僕からではなく、アプローチを受けて、なんとなくそういう感じになってしまった。気がつけば、その人数が5人になっていたのだった。

絵莉は、僕と同じように俳優を目指してワークショップに参加していた娘だった。そして、年齢と共に僕を見限って行った元カノ達の中で、最後まで一緒にいてくれた娘でもある。

「ねぇ、ズルいわよ」
開口一番、絵莉はそう言った。
「ずっとあなたの事好きだったのに、でも、全然何も行動しようとしないから、先のこと考えたらもう無理かなって思ってアタシ、あなたから離れたのに…」

少し間を置いて、僕の方を睨みつける。
黒髪のワンレングスのロングヘアーに、切長の瞳。睨む姿も美しく、様になっている。

「しばらく会わない内に劇団に入って、なんかテレビドラマにも出てるし、ネットでも“注目の俳優”って扱いになってて、本当にびっくりした」

「ごめん」
僕にはそれしか言えなかった。

絵莉と一緒にいた頃は、俳優を本気で目指すことなどほとんど諦めていて、既に自称夢見るフリーター状態だった。ルックスにかまけて、モテるというそれだけがアイデンティティだったし、それすら受け身で、まるで主体性の無いダメ男。それを棚上げにして、「始めは何も求めなかったのに、どんどん多くを求めるようになって、最後は勝手に離れていく。女性って勝手だな」なんて思っていた。思い出すのも恥ずかしいし、だから、絵莉に何を言われたって謝る以外に何も言えることがない。

「その辺は相変わらずなのね。何があったのか知らないけど...、別れて損しちゃった。優しくて、顔も良いし背だって高い。後は…成功しなくても良いから何かを頑張ってくれたらそれで良かったのよ。俳優じゃなくたって…。それが何?別れた途端に大活躍じゃない。何なの?アタシのせいだったの?あなたがダメだったのは」
絵莉が興奮気味に言った。

「そんなことはないよ。僕がダメだったのは、ただただ僕のせいだ。絵莉のせいなんかじゃない。絶対にない」
それは本心だ。

絵莉がいなくなった時、僕は過去に経験がないぐらい、大きく打ちひしがれていた。他の娘たちと違って、同じ夢を追っていた絵莉は最後まで僕と向き合って、背中を押そうとしてくれた。でも、僕はその期待を裏切った。そして去っていく絵莉の姿を追うことも出来ず、時間と共に喪失感に襲われ、結果として自分への失望から夢を完全に諦めようとしたのだ。

それからしばらくして出会ったのがマリリンだった。だけど、絵莉にその話は出来ない。もしかしたら、どん底に落ちた時だったからマリリンの言葉が心に刺さったのかも知れないが、絵莉に言われても行動しなかったのに、10歳の、風変わりな少女の言葉を真に受けて行動を起こしたなんて、言えるはずがない。

「ねぇ、アタシお腹減っちゃった。まだご飯食べてないんだ。あなたはご飯食べた?」
「いや、僕も食べてない」
そう言えば、昼に簡単な食事を摂ったきり、公園で缶コーヒーを飲んだ以外、何も食べていなかった。
「良かったら一緒にどう?アタシ、せっかくのクリスマスなのに、今ぼっちなのよね」

返事に困る僕の手を掴んだ絵莉は、「いいから行くわよ」と言って強引に腕を組んだ。その強引さもまた、絵莉の魅力だった。

結局そのまま2人で食事をした。駅の側にあるピッツェリア。付き合っていた当時も何度か入ったお店だ。新窯で焼いた自家製のナポリピッツァがリーズナブルな価格で楽しめる。

店内に入ると、絵莉は羽織っていたダウンのロングコートを脱いだ。中に来ていたのはボディラインがハッキリと出るカフェオレ色のニットのワンピースで、スタイルの良さが際立った。僕と同い年の28歳だが、以前と変わらない可愛らしさと、大人の色気が同居している。店内の男性たちが、チラチラと絵莉に視線を向けているのがわかった。

オーダーしたのはプロシュートとイタリアンサラミの盛り合わせ、水牛モッツァレラのカプレーゼ。そしてピッツァはビスマルクを選んでそれぞれシェアして食べた。ワインも白と赤を一杯ずつ飲み、デザートにティラミスとコーヒー。空腹は十分に満たされた。

食事中はお互いの、離れていた間のことを話した。僕の方は、マリリンの部分を端折りながら話さざるを得なかったが。

絵莉は現在も女優を続けていた。舞台に出たり、ドラマでも小さな役をやっているそうだが、本人曰く「パッとしない」。

正直なところ、ここ最近少なからず名の売れている女優とも共演したが、個人的には絵莉ほど魅力を感じる女性はいなかった。「絵莉ならもっと売れても良いと思うのだけど」と、僕は率直に言った。

「結局全部『運』なんだと思ってるの」
絵莉が言った。
「出会いとかタイミングとか。どれだけ才能があって努力をして、評価をされていても、運が無ければきっと世間には届かない。あなたは運が良い」

その通りだった。マリリンとの出会い、桜井の存在、小山さんとの出会い…。僕のこの1年の成長は、ほとんど運だけで生まれたものだと思う。

「でもね」
絵莉が続けた。
「行動を起こさなければ運には恵まれないし、運が近寄って来ても、それを活かすか殺すかは自分次第だとも思う。だからあなたは、行動して近寄って来た運を、全部活かしているのよ」
「そうかな」
僕には自信がなかった。
「本当に相変わらずね。あなたは魅力的なのに、全然それを受け入れない。いつも遠慮がちで、後向きなの。でも…、そんなあなたが好きだったし、今のあなたの評価は正当なものだと思ってるわ」
絵莉が真剣な目で、僕を見つめている。
「だからアタシ、今日はその幸運にあやかりに来たんだ」
表情を緩め、悪戯に微笑んだ。

食事を終え、支払いを済ませて店を出ると、また絵莉に手を引かれるまま僕のアパートに戻った。

部屋に入るなり、絵莉は僕を強く抱きしめ、キスをして来た。ここまで積極的だっただろうかと想いを巡らせながら、僕もお返しした。強引だけど、極めて自然であり、とても懐かしい感覚だ。

僕らはそのままベッドに場所を移した。「電気消す?」と僕が聞くと、「アタシが電気消してって言ったことある?」と絵莉が言った。「ない」と僕が言って、2人で笑った。

彼女は僕の体の事を熟知していたし、僕だって彼女が何処を刺激したら喜ぶか、しっかりと理解していた。行為は間を置いて2回。絵莉はその為の準備も怠っていなかった。濃密な時間が過ぎて行き、やがて眠りに落ちた。

カーテンの隙間から差す朝の光で目覚めた時、既に絵莉の姿は無かった。

気怠さの残る体を動かし、ベッドから降りると、テーブルの上に『あなたが前と変わってなくて安心したわ。お互いこれからも頑張りましょう。またね』と書かれたメモが残されていた。僕にはそれが“継続”を意味するのか“終了”を意味するのかもわからなかったが、心も、体も、絵莉を強烈に求めていることだけは間違い無かった。

テーブルの上のスマートフォンを見ると、着信のポップアップがあった。『起きてからで良いから電話くれ』それは親友、桜井からのメッセージだった。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?