見出し画像

アヒルの行進 ~ロリータ再び~

3月になると冬の寒さは少しずつ和らぎ、道すがら見掛ける梅の花は、春の訪れを感じさせる。

友人が所属している劇団に入れてもらってから3ヶ月が過ぎ、先輩や仲間とは打ち解ける事が出来た。4月に小さな劇場で公演する予定の演劇では、僅かばかりとは言えセリフのある役をもらい、3ヶ月前に比べれば間違いなく一歩前に進んだと思う。

だけど、前に進んだら進んだで、やはり新しい悩みが生まれてくるものだ。

団員は10名足らずの小所帯の劇団で、主宰と演出と脚本を団長である小山春樹が一人で担っている。小山さんはテレビドラマや映画にも出演経験がある、劇団においては絶対的な存在だ。人間的にも優しくて、リーダーとしては申し分がない。

ただ、僕が思う演技と、小山さんが求める演技には大きな差があり、僕なりに想いを込めて発したセリフを「全然ニュアンスが違う」と否定されてしまった事が、喉につかえた魚の骨のように、心につきまとっている。


深夜に差し掛かる22時過ぎ、レンタルビデオショップでのバイトを終えた僕は、帰りがけに自宅近くの公園に寄った。自販機で買ったアイスカフェオレは、3月半ばの夜更けにはまだちょっと冷たいけれど、もう自販機にはホットドリンクは無かった。

「難しいなぁ」

ブランコをゆらりと揺らしながら、静かな公園の地面に向かって僕は呟いた。

「ほんまやなぁ」

隣のブランコから、聞き覚えのある声がした。

振り向くと、そこにはやはりマリリン(真里凜)がいた。以前に会った時はロリータ系の白いドレスだったが、今夜は闇に溶け込むようなゴスロリ系の、漆黒のドレスだ。純和風でぽっちゃり体型のマリリンには、お世辞にも似合っているとは言えない。

しかし彼女には気配を殺す能力があるのだろうか。誰もいない静かな公園で、知らぬ間に隣のブランコにいるのだ。僕が一歩前進するきっかけをくれた恩人でもあるのだが、この登場の仕方には警戒心を抱かざるを得ない。

「ほんまに世知辛いわ」
マリリンが話を聞いて欲しそうに言った。

「何かあったの?」
仕方なく、僕は聞いた。

「なんや兄ちゃんか。あんなぁ、さっきオカンがコンビニでチップスター買うて来てん。ほんでな、開封したら中身ボロッボロに砕けとってな、そしたらオカンめっちゃ機嫌悪なって、早よ寝ろーって、ウチめっちゃ怒鳴られてん」

なんやって何だよ。確かにオカン怒り過ぎなのもわかるけど、10歳だし、もう寝ててもおかしくない時間だ。何より、何故それで今、ここにいる?

「まぁ、食べようとしたのにボロボロだったら、やっぱり嫌だしね」
大人の対応を試みる僕。

「いやいや兄ちゃん、オカン42歳やで?大人やん?しかもチップスターやで?カステラや無いねんで?しかもウチ全然関係あらへんやん!もう、わけがわからんわ」
マリリンがまくし立てるように言った。お母さん42歳なんだね。とっても怒りっぽいんだね。そして、カステラが何らかのボーダーラインなんだね。

「で、兄ちゃんはどないしてん?」
母への愚痴を吐き尽くしたマリリンが、僕に聞いた。

いろいろと思うところはあるけれど、劇団に所属したことや、そこで今悩んでいることを全て話した。僕はこの10歳の風変わりな少女に、何かを期待しているのだろう。

「そうかぁ。1つハードルを超えると、また次のハードルが現れるんやなぁ」
そう言って、夜空を見上げた。

「ウチのオトンが言うててんけどな、自分の評価って自分でしたらあかんねんて。自分の評価はずうっと他人がするもんやから、他人から見て自分はどうなのかを考えなあかんて、そう言うとった。社会に出たら『自分なりに頑張ってます』は通用しないんやて」

確かにその通りだ。舞台もテレビも結局評価をするのは観客だ。僕が良いと思ってやっていても、観る側に届かなければ意味が無い。小山さんはこの劇団では一番、多くの人に評価される場で演じて来ているし、何より、劇団の誰よりも努力をしている。団員はそれを知っているからこそ小山さんを尊敬し、ここで一緒に作品を作っているのだ。

「ウチもな、勉強ちゃんとやってるつもりやねんけど、通知表いっつもアヒルの行進やねん。2ばっかりや。先生に『人の話はちゃんと聞きましょう』って書かれてまうねん。落ち着きが無さ過ぎるとか、書かれてまうねん」
なんかちょっと違う気がするよ。口には出さないけど。

僕には尊敬している俳優がいて、その人を真似て演技をしていた。それを続けていれば、自分の物に出来るんじゃないか、そう思っていたのだ。でも、それはその人の演技であって、僕じゃない。まずは小山さんの指導を素直に受け入れて、求められている演技をしよう。そう心に決めた。喉につかえた魚の骨は、心の中で消化されたようだった。

「マリリン、ありがとね」
素直に感謝の言葉を伝えた。

「ええねん、ええねん。あ、あかん、もう帰らんと、また家閉め出されるわ」
そう言いながら、ドタドタとマリリンは走って行った。が、途中で立ち止まった。マリリンの前には公園のシンボルである、桜の木がどっしりと構えている。

「兄ちゃん、桜が咲き始めてんで。兄ちゃんの桜も綺麗に咲くとええなぁ」

なんだか粋な言葉を残して、今度こそマリリンは去って行った。本当に10歳なんだろうか。そして、またってことは、しょっちゅう家を閉め出されているのだろうか。彼女への疑問は尽きない。

カフェオレを飲み干した僕は、少しだけ花開いた桜に希望を抱き、なんだかとても嬉しい気分で家路についたのだった。

                完



この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?