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長寿って実は悪なんじゃないか。という話

ここ数年、長寿って悪なんじゃないかと真剣に思い始めている。

悪なんて言うと怒られてしまうかも知れないが、本当に思っていることだし、決してネガティヴな意味合いではない。

以前にショートショートの中で、『80歳人間定年制』という法案を書いた。作品自体はコメディだけど、実は、本当に必要なんじゃないかと考えていたことだった。

ネットの何かの記事で読んだ話で、「資本主義は、現在の世界的な高齢化や人口の増加は想定していなかったシステムだ」と書かれていた。実際そうなんだろうと思う。

日本は世界一の長寿国で、国内だけを見ても、生産する労働者が減り、生産せず年金で生活する人口が増え続ける歪な状態。そしてそれは、日本に限った問題じゃなく、世界中で生じている地球規模の問題でもある。次に訪れるのは急激な人口減少。これまでの資本主義のモデルで、異常な少子高齢化からの急激な人口減少に、今のシステムは対応し切れるのだろうか。

例え長年年金を払ったと言っても、定年してから20年も30年も年金で暮らす人が多くいるのだ(65歳以上の労働者も世界一らしいけど…)。そんなことも有って、ずいぶん前から年金システムの崩壊が噂されている(運用の失敗もあったし)。メディアが無駄に不安を煽ることで若者には諦めムードが漂い、余計に納付率が落ちる。長引く不景気で、払うことが出来ない人も少なくないだろう。これ以上無いお手本のような、負のスパイラル。綺麗な螺旋。

有権者の中で選挙の投票率が高いのは、とりあえずは年金をもらえるであろうご年配達だ。政治家も力を持ってるのはその世代。後の世代のことなど真剣に考えてはいないだろうし、考える必要もない。死ぬんだもん、だって。自分が死んだ後のことなんて、実際どうなったって良いわけで。

『80歳人間定年制』はザックリした冗談混じりの思いつきだけど、70歳になったらそういう選択が出来るようになっても良いんじゃないかなぁ。政治的にも先々の計画が立てやすくなるしさ。

生命の尊厳云々とか、宗教的な観念とか、長寿は良いことだという幻想とか…、そんなのは全部人間が勝手に決めたこと。私は神が創造主なのではなくて、人間が神を創造したのだと思っているし、神という曖昧な存在は、地球人にとって世界中でゆるっと共通する、最も便利なツールだと思っている。宗教家の人ごめんなさい。

ただ、その曖昧な存在への偶像崇拝の延長線上に生まれた、生命の尊厳なる価値観よりも、将来の、自分達の子どものことを私は考えたい。こっちは逃げようのない現実だ。ひざまづいて祈ったって何も変わりはしないのだ。負担ばかりを残して死にたくはない。

病気や事故で死ぬのは嫌だけど、苦しむのも嫌だけど、死ぬこと自体は怖くない。死んだら無になるだけだ。その先のことは全て想像の世界で、事実は何処にも存在しない。人間は素粒子の塊に意思が備わった、それこそ神秘的で、奇跡的な生物だけど、死んだらそんなもん関係ない。みんな同じ、無だ。いや、勿論、無かどうかもわからないけど。

個人的には安楽死の導入を望みます。予定を決めて、準備万端で最期の時を迎えたい。今夜眠りについて、明日起きるか起きないか。ただそれだけの違いだ。葬儀の準備もしやすいだろう。最期の晩餐もちゃんと選べるしね。生命保険と遺族年金はちゃんと貰うよ。

この記事を書いている途中で、ホンマでっかTVで「人間の自然寿命は38歳」なんだと言っていた。ネットでもその話は見られるし、別の記事では55歳とも書いてあった。

安楽死は生命の尊敬を損う、神への冒涜だと言われる。でも神の与えてくれた寿命を、医学の力で無理矢理延命するのは正義なの?それ、誰が決めたん?人間じゃなくて?人間は神より上になったの?神への冒涜…そもそも冒涜って何?そんなことよりも、真剣に現実的な未来のことを考えてもらいたい。

最後に。

私は個人の信仰を否定するつもりは毛頭ありません。神の存在を肯定はしないけど、その存在によって形成された、多くの文化慣習を愛しています。今のご年配の皆さんに早く逝ね!なんて気持ちもありません。

あくまで選択肢の一つとして、安楽死による最期を容認してほしいのです。なんとなくだけど、制度化されたら需要あると思うんだよな。無いですかね?あ、若い子はダメよ。

盛大なひとりごとに最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。

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