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マリリンと僕5 ~マリリンの憂鬱~

「本当ですか!?」
「ウソだよ」
「え…、ウソなんですか…」
「いや、ほんとほんと。本当だよ。」

劇団の主宰である小山さんに呼び出され、僕らは中野の片隅にある、古びれた喫茶店にいる。築40年越えの木造建築、店内はランプの灯りのみで薄暗く、天井は低いし床は歪んでいて、メニューもブレンドコーヒーのみ。かろうじてホットかアイスは選べるけれど、作っている主人の顔は見えないし、声も出さない。コーヒー以外の持ち込みは全て自由で、店内には小さな音量でクラシックが流れている。小山さんの若い頃からの行きつけで、大事な話がある時は大体このお店に来るのだそうだ。お店の名前は『街角』。中野の片隅の街角にあるから『街角』。その飾らなさが落ち着くのだと、小山さんは言う。

「ネットでも話題になってるみたいだし、何よりタケちゃんがさ、お前さんのことを気に入ったんだってさ」

先日僕は脇役ではあるけれど、地上波のテレビドラマに出演することが出来た。その時の役柄は主人公の高校時代の同級生で、その回だけの出演だったが、過去に出演した配信ドラマも併せてSNSを中心に話題になっているらしい。小山さんがタケちゃんと呼ぶのはチーフディレクターである武内さんのことだ。小山さんとはAD時代からの戦友で、僕がオーディションに参加出来たのも、2人の関係があったからだ。その武内さんが僕を気に入ってくれて、準レギュラー的な位置付けで今後の出演を決めてくれたのだった。

「ありがとうございます!」
「バーカ。俺に礼言ってどうすんだ。お前の力で勝ち取ったんだよ。誰のおかげでもない、お前さんの実力だ」

僕はふと、マリリンが同じことを言っていたのを思い出した。「結局頑張ってんのは兄ちゃん自身やん。ウチ、何もしてへんで」そう言っていた。全く同じだ。だけど、僕は素直に頷けない。マリリンがいなかったら僕はこの場にいないし、小山さんがいなければ、オーディションを受けること自体叶わなかったかも知れない。だから、これが僕の実力だなんて、自信を持って言うことは到底出来ない。

「なんだ、迷ってんのか?」
「い、いえ。」
「迷ってますって思いっきり額に書いてあんぞ。キン肉マンか、お前さんは」
「そ、そんな」
「ここのコーヒー美味いだろ」
「え?あ、はい。深みがあって、普段飲んでる缶コーヒーとは全然違います」
素人の僕でもハッキリわかるぐらい、格別に美味しいコーヒーだった。
「お前もこれを目指せ」
「ど、どういうことですか」
「ここのご主人はな、このコーヒーにプライド持ってんだ。だから、他には何もいらないんだって。こんなに飾らない店なのに、常連客が来続けてるのも一本筋が通ってるからだ。雑誌にもネットにも掲載されてないのにな。お前もさ、『これが俺の演技なんだ』って自信持って言えるところまで、自分を磨くんだよ。お前さんはまだ、原石なんだから」
「はい!頑張ります!」

「近い内にタケちゃんから連絡入るからな」
そう言われ、僕らは別れた。

小山さんの手前、勢いで頑張るとは言ったものの、やっぱり自信はまだ持てていない。ネットで高く評価されていると言われても、悪口も書かれていそうだから、見ないようにしていた。準レギュラーという大役を僕はやり切れるのだろうかと、とても不安だった。

8月も終わりに差し掛かり、少しずつ陽が落ちる時間も早くなってきた。夜7時頃、夕暮れをやり過ごしても、気温はまだ30℃近い。さっき夕立ちが降ったばかりだからか、蒸し蒸しとして、ただ歩いているだけでも額に汗が滲んでくる。

自販機でアイスコーヒーを購入し、いつもの公園に向かった。

どれだけ美味しいコーヒーを飲んだ後でも、缶コーヒーには缶コーヒーの美味しさがあると、僕は思う。1つの自販機に何種類もの缶コーヒーが並んでいて、選択肢も豊富だ。それとも自分が貧乏舌なだけだろうか。ベンチに座りながら、そんなことを考えていた。

「ジジーっ!」

聴き覚えのある声と聴き覚えのある名前が薄暗くなった公園に響き渡り、それと同時に、ぽっちゃりした赤いリボンの黒猫をぽっちゃりしたロリータ系の白のフリフリドレスを着た少女が、ドタドタと追い掛けて走って来た。

「ジジ、勝手に行ったらあかんて。またオカンにエサもらえんくなるで」
「ニヤァッ」
「ほんまにわかっとんのやろな」
「ニヤァッ」
「よし、ほな一緒にシベリア食べよか」
そう言ってマリリンはポシェットからシベリアを取り出し、慣れた手つきで封を開け、半分をジジにあげ、半分を自分で食べた。なんだか兄弟のようにも見える。ジジも怒られると、エサをもらえなくなるんだね。

僕の存在には気づいていないようなので、僕の方から声を掛けに言った。

「こんばんは」

マリリンとジジが同時に振り向いて、こちらを見た。動きまでそっくりだなと思った。

「兄ちゃんやん。こんばんは」
マリリンはしっかりお辞儀をしながら挨拶をしてくれた。

僕は小山さんからされた話を、マリリンに説明した。ふんふんっと頷きながら、真剣な顔をして、でも楽しそうに聞いてくれる。

「めっちゃえぇやん!兄ちゃんすごいな。SNSって言うたら口コミやろ?しかもデレクタってえらい人やろ?なんでそれで自信持てへんの?ウチなら羽生えてどっか飛んでってまうわ」
「そうなんだよね。わかってるんだけど、まだ1から自分で作った実績じゃないからだと思うんだ。マリリンや小山さんに、きっかけもらって。ただ運が良いだけかも知れないって」
「そっか。兄ちゃん真面目やな。なんや初めて会うた時と全然違う感じするわ。でもな、オリンピック出て、メダル獲って、『初めて自分で自分を褒めたい』って言った人もいてるし、きっと兄ちゃんはそういうタイプなんやろな。なんて言うんやったっけ。リトミック?アトミック?ストッキング??…わからへんわ」

マリリンが僕の目をじーっと見て、そう言った。心の中を見透かされているようで、この子は本当になんなんだろうと不思議な気持ちにさせられる。有森裕子の名言はすらっと出るのに、ストイックは出て来ないし。

「えーなぁ兄ちゃんは」
そう言って、マリリンは夜空を見上げた。どこか物憂げな雰囲気を…と言うより、「物憂げです」とこちらにアピールしている感じがする。
「何かあったの?」
僕は聞いてみた。聞かざるを得なかった。
「聞いてくれんの!?」
よくぞ!と言わんばかりの反応だ。
「あんなぁ、ウチ明日から小学校で林間学校行かなあかんねん。日光やて」
「え、良いじゃない」
僕は軽い気持ちで言った。
「いやいや兄ちゃん、えぇことあるかいな!こんな格好で東照宮歩いてる小学生どこにもおらんで?ガイジンさんにどんな顔されんねん。三猿より注目集めてまうわ。しかもこんな服ばっかやからウチだけリュック以外にキャリーバッグ持ってくねんで?ガラガラガラガラ。最悪や!」
軽い気持ちで言ったことを後悔した。確かに最悪だなと、僕も思う。普通の服も買ってあげてよって、心から思う。

その時だった。

「マリリーンっ!マーリーリーンっ!」

公園の入口の方から、マリリンを呼ぶ男性の声が聞こえた。低音だけど良く通る、渋い声。

「あ、オトンや。ジジ、帰るで!」

暗くて距離も遠いからハッキリと顔は見えないが、黒いスーツ姿のガッシリした体型の男性だ。あれがマリリンのお父さんか。

「兄ちゃん、ほな!」

声のする方に、一人と一匹がドタドタと走って行った。挨拶をする勇気まではないけれど、やはり気になるのでゆっくりめに後を付いて行った。

公園の外には黒くて長い、暗くてもわかるぐらいピカピカに磨かれた車が停まっていた。それはたぶん、ロールス・ロイスだった。児童公園の前に停まるのは、あまりにも不似合いだ。
運転手らしき人がドアを開け、ジジが飛び乗り、その後にマリリンが乗り込んだ。そして運転手がエンジンをかけ、ロールス・ロイス(たぶん)は走り去って行った。

やっぱりお金持ちの家の子なんだろうな。でも、お父さん普通にスーツだったしマリリンの個性的な服の趣味は、お母さんなのかな。お金持ちとゴスロリやらメイド服ってあまり関係なさそうだし。なんでシベリア持ち歩いてるんだろう...。猫ってシベリア食べるのか?なんだか気になることばかりだ。

違う。

それよりも、ドラマの撮影を頑張ろう。まずは目の前のことに全力を尽くそう。そうしていれば、いつか自信が持てる日が来るはずだ。それに、マリリンの悩みに比べたら、僕は今とても恵まれているじゃないか。

そんなことを考えながら、僕は帰路に就いたのだった。

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