見出し画像

祖母をたずねて1100里

22年と3ヶ月。僕が生まれてこの方過ごしてきた時間だ。そのうちの大半を、いや殆どを家族と過ごしてきた。

核家族化が進みきった現代において、「家族」というのは父・母・兄弟あるいは姉妹、もっというならペットのことを指すのかもしれない。僕も現在、核家族に属してはいるけれど、僕にとって家族の一員である大切な人がいる。

祖母のあーちゃんだ。

あーちゃんは僕が物心つくときには第二の母だった。僕の幼少期は彼女のつくる料理を食べて育ったといっても過言ではない。1人で排泄ができなかった頃も、あーちゃんと手を繋いでトイレへ行っていたほどだ。あーちゃんは僕を幼き頃から育ててくれた人だった。

ちなみに「あーちゃん」と呼んではいたものの、祖母の名前は「よしこ」であり、「あ」の字もなければ母音の「a」もない。熱海に住んでいるから熱海の頭文字「あ」を取って「あーちゃん」と呼ぶ説が有力である。ただし、邪馬台国がどこにあるのかといった歴史的ミステリーくらいには諸説ありそうだ。

幼少期は彼女と共に熱海で生活を送っていた。もちろんそこには母もいた。

しかし、いつかのタイミングで核家族になり僕は熱海を離れ、そして祖母とも離れることとなった。その「いつか」というのはもう覚えていないけれど、おそらく4,5歳の頃であろう。僕はあーちゃんとハグをして熱海を去った。

✳︎

父・母と小田原へ越して、ランドセルを背負う年頃になった。祖母とはおそらく定期的に会っていたとは思うが、運動会に来てくれたときは格別に嬉しかった。彼女に見守られ、たいして速くもない足で運良く駆けっこ1位。「速かったね」と褒められ、幸せだった。それでも彼女は熱海へ帰る。ハグをして別れる。小学校低学年ながらに虚しさを感じていた。

その虚しさはいっそう増すことになる。小田原—熱海間という電車でものの30分程度の距離感で虚しさを覚えていたのに、祖母は僕の住む家から遥か遠く、5000キロ先へ引っ越した。

彼女は熱海を離れ、祖父と二人マレーシアのペナン島へ移住したのだ。僕が当時知っていた国家はせいぜい日本とアメリカくらいで、マレーシアなんてまったく聞き馴染みのない国だった(もちろん、マレーシアに越すから「マーちゃん」になることも、ペナン島の頭文字をとって「ペーちゃん」になることもなかった)。

「あーちゃん、マレーシアに引っ越すよ」
祖母からの報告に戸惑ったが、正直さほど危惧していなかった。

「マレ市」的な場所が小田原から程近くにある。すぐに会える。会いに行ける。僕はとんだ勘違い野郎であった。

それから彼女は年に一度、夏に帰国し、僕らはそのタイミングでしか会えなくなってしまった。夏以外の季節の殆ど毎日、固定電話で話していたけれど、実際に顔を合わせることができたときは「嬉しい」に尽きる。あーちゃんが帰ってくる前日はソワソワして眠れなかったし、帰って来る日は学校から走って帰宅した。

夏休みは祖父母と共に小田原で生活をした。彼女の前で見栄を張って普段読まない難解な本を読んだり、野球の練習に打ち込んだりしていた。僕を褒めてくれるし、懐かしい料理の味もまたたまらなく好きだった。

あーちゃんが海外へ戻るときは虚しさを通り越していつも辛い。最寄りの駅でハグをして別れる。その温もりが消えてしまうことが辛かった。

一言でいうなら失恋をしたときと似ている気がする。心にぽっこりと穴が空くのだ。夏休みが終わり、学校へ行く。学校から帰るとそこにあーちゃんの姿はない。僕の部屋に置いてあった大きなスーツケースも、メンソレータムの香りもない。僕の部屋は物の多いがらんどうだった。空虚な部屋で一人、ひっきりなしに泣いた。とにかく、あーちゃんに会いたかった。

祖父母はいつかのタイミングで2度目の引っ越しをすることになる。「あーちゃんが引っ越しをする」と聞いて、日本で生活してくれるのか!とぬか喜びをしていたが、彼女はタイのパタヤへ越した(ここでも「ターちゃん」なり「パーちゃん」に改名することはない)。日本からの距離はマレーシアと比べて約500キロ短縮されたが、それでも約4500キロの距離。すこぶる遠いことには変わりなかった。

そんなタイの「おばあちゃん家」に足を運んだことがある。祖母と二人で暮らしていた祖父が亡くなった約半年後の頃である。彼女はタイで一人暮らし。その頃、僕は高校2年生。一人でも元気にしているのか、何かと心配したが、取り越し苦労に終わる。

日本語が殆ど通じない異国の地で、楽しそうに生活を送っている祖母の姿は実に頼もしかった。彼女は殆ど英語を話せないし、タイ語も決して多くを話せる訳ではない。それでも一人で楽しく生活をしている様子が垣間見ることができたのである。

そしてもう一つ気づいたことがある。日本とタイが4500キロ離れていようとも、飛行機で6,7時間で会いに行ける距離であるということだ。熱海に比べたらそれはそれは遠いけれど、いざ会いに行こうと思えば1日もかからない。実は容易に会えることに気づいたのである。

✳︎

2019年夏。大学1年生のはじめての夏休み、僕は叔父・祖母の三人で台湾へ旅行に行った。台中から台南へ移動するバスの車内での彼女の一言を覚えている。

「ナツが卒業するまでの四年間、毎年、一度は旅に行こう。ナツと会うためにお金貯めるから!」

彼女は後光が指すくらい眩しい笑顔で言った。旅行をしている最中なのに、未来のことをもっと楽しそうに話す。
僕は祖母と会えるだけでも嬉しかったけれど、大好きなあーちゃんと共に旅行ができることを考えれば胸が弾んだ。2020年の夏も旅へ行ける。あーちゃんと会える。そう思っていた。

しかし、現実にはその翌年に旅に行くことはなかったし、祖母と会うこともなかった。いや、行けなかったし、会えなかったのである。

新型コロナウイルスの蔓延に伴い、海外旅行は不可能に。当然、祖母の帰国も隔離等考えればできず、会うことすらできない。全部コロナのせい。コロナがなければ……
けれども、苦しいのは僕だけではなく世界もそうだった。

翌年には会える。今は我慢の時期だ。

2020年、世界は、そして僕はこのように考えていた。

だが、その翌年にあたる21年も全く同じ。なかなか会うことは難しかった。飛行機に乗れば簡単にタイへ行ける。ものの6,7時間で。そんな事実に気づいたのに、コロナによって僕たちの距離は遠くなってしまった。

そして2022年。まだコロナの脅威は残っているものの、海外旅行解禁の風潮によって僕の「海外へ行きたい欲」と「あーちゃんに会いたい欲」が高まりをみせた。大学院に合格したら、あーちゃんに会いにタイへ行く。それをモチベーションにして夏の院試を乗り越えた。第一志望の大学院は合格。急いでパスポートを発行し、飛行機のチケットを取った。

✳︎

迎えた11月。成田空港からスワンナプーム国際空港へ一人降り立った。待ち合わせは空港一階のレストランの前。手続きが早く終わったこともあって、やや早く着き過ぎた。まだ祖母の姿はない。僕がレストランの前に着いて10分後くらいだろうか。異国のタイで日本語が、聞き覚えのある懐かしい声で聞こえた。

「ナツ!久しぶり~!」

あーちゃんとは実に3年ぶりの再会だった。再会したときの嬉しさは年を取っても変わらない。

祖母をたずねて1100里。『母をたずねて三千里』のマルコくんほどの苦労はしていないけれど、それでもあーちゃんと再会を果たすまでの道のりは長く険しいものだった。

タイでは11日間を二人で過ごした。毎日一緒に食事をしたが、22歳の僕よりも75歳の彼女の方がよく食べる。乾季のタイとはいえ、強い日差しが降り注ぐ日中でも、歩く歩く歩く。スマホが示すには、滞在中、アベレージ1万5000歩ほど歩いてた。それに加えてよく話す。僕の口が開く余地がないくらいの勢いで威勢よく楽しそうに話す。

よく食べ、よく歩き、よく話す祖母のあーちゃん75歳。祖父が他界してもパタヤから離れず、一人、タイで生活を営む。

あーちゃんと一緒にチェンマイのロイクラトン祭りで灯籠を川へ流したとき、彼女の健康を願ったが別に願うまでもなかったような気さえする(私利私欲で自分のことを願えばよかったかも!)。

1年に1度のロイクラトン祭り。願いを灯篭に乗せ、そっと川へ流す。暗い川を照らす灯篭は佳景。

「私が死んだときにはパタヤビーチに散骨してほしい」

日本へ帰る日の午後、彼女からそんな話をされた。僕が次にパタヤへ訪れるのは散骨のときなのだろうか。

僕は彼女とタイで時間を共有し、いつの間にか安堵感を覚えていた。

「見守られる側から見守る側に」

大人になった僕にはそんな使命感みたいなものがあったけれど、まだまだ元気な祖母を見ていると、もう少し見守られていても差し支えなさそうだと甘えてしまいそうになる。

空港行きのバスがコンドミニアムまで迎えに来た。大きなスーツケースをトランクに積める。

「ナツ、来てくれてありがとう」
「こちらこそありがとう」

抱擁を交わしたとき、祖母の目には涙が溢れていた。またすぐに来れるかは分からない。それはコロナ次第ではある。しかし、1100里は6,7時間で会える距離である。

僕はタイが好きだし、何よりあーちゃんが好きだ。次にタイへ訪れる日が散骨目的なはずがない。入国審査で「What’s the purpose of your visit?」と聞かれたら「To see my Grandma.」と言わせてください。またすぐにでも会いましょう。会わせてください。

僕たちが交わしたあの日の抱擁は「さようなら」ではなく、「また会おう」のハグだった。


「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!