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寝息のリズムに乗る ~僕とオッサンと国連憲章~

その寝息はかつて聞いたことがないほど穏やかで、第三者までもを眠りに包むかのような美的リズムを奏でている。

メトロノームをギャフンと言わすほど正確且つ心地よいリズムだ。

しかし場所が悪い。いや、悪すぎる。

平日の市立図書館へ試験勉強を行いにやって来た僕の横でスヤスヤと眠るオッサン。ごめんなさい、、言葉を選ばすに言うなら非常に迷惑である。

彼の寝息をも意識の外に追いやるほどの集中力があればいいのだが、いかんせんそんなものは持ち合わせていない。

寝息の横で国際連合憲章の条文を読んでみるも、、無理!ムーディー勝山の例のネタみたいに右から左に流れていく条文。試しに声を出さずに口だけ発声の形にして呟きながら読んでみる、、無理!超難問英語長文を読んでいるみたいである。

困ったなあ。起きる気配はないし。僕が席を移動すればいいのだけれども、ほかに空いている席は無い雰囲気が漂っている。

こうなったらオッサンをどう起こすかという思考を巡らせるほか手立てはない。だが、「オッサン、うるせえよ!」とか、「すいません、静かにしていただけますか」みたいな直接的表現はオッサンを傷つけることになってしまう。人を傷つけないことを意識して生きている僕からしてみると、こんな言葉をかけることに当然ためらいが生じる。

それに、僕を含め活字を読む行動は副交感神経を刺激して眠気を誘うものである。特に疲れが溜まっているときなんかは活字という睡眠薬の効力は極めて高い。

オッサンもまた疲れているのだろう。家庭でのストレス、会社でのストレス、現代社会はストレスの温床だ。彼の快適な睡眠を直接的に阻害してしまえば、僕がストレッサーとなり、今まで溜まりに溜まったストレスがここで弾け散るかもしれない。例えるなら、オッサンは黒ひげ危機一発における終盤の状態なのである。

つまり、直接的起床法ではなく、間接的起床法を模索する必要がある。

間接的起床法としてまず思いついたのは咳払いである。咳払いは喉に異変を感じた時に行うと同時に、「気づいてくれ」という意味を持っている。考えたら即実践。

「うっうん!」

さあ気づいてくれ、と左を見るも僕の咳払いは彼の寝息に消されていく。

ああ、効果ナシか。水タイプのポケモンに「かえんほうしゃ」を使った気分である。しかし、グダグダと残念がっている暇はない。

授業中、居眠りをして急に起きるタイミングを思い出す努力をしてみる。あ、そういえば誰かがペンを床に落としたときの音で起きるなんてことがあったような、、

思いついたら即実践。一軍のペンを床に落とすというのはいささか気が引けるものであるから、筆箱を漁って、これならいいよな的ペンを手に取った。いくら二軍といえど故意に落とすというのはペンに対して申し訳なさを感じる。

本来ならばペンを鉛直投げ下ろしで床へ強く叩きつけるのがいいのだろうが、ペンを思えばそんなことはできぬ。

僕は膝くらいの位置から自由落下運動の実験みたいにペンを落とした。毎秒9.8メートルで移動するペンは一瞬にして床へ転がる。

カラコロロ…

スヤスヤ……ッ…スヤスヤ…

一瞬オッサンの寝息が止まりかけたが、田中将大も驚く修正力でまたも快適な睡眠は続く。

ペン落とし大作戦に敗れた僕は窮地に立たされた。もうあの手を使うしかないのか。

あの手とは、席を一時的に離れる瞬間にオッサンの椅子を軽く蹴飛ばすという荒技である。いや、それこそ無理だ。倫理的、道徳的にやっていいことと悪いことが世の中には存在する。

僕は一度、無音の大きなため息をついた。困難に陥ったときこそ呼吸を合わせることが肝要である。そのときだった。

むむ!僕の中の楽天カードマンが唸る。これだ。オッサンの寝息のリズムに合わせて呼吸をすればいいのだ。言い換えるなら、オッサンと一体になるのである。「おれの呼吸はおれの呼吸、おまえの呼吸もおれの呼吸」というジャイアンメソッドを用いれば、オッサンの煩わしい呼吸は僕のものとなるため、まったく気にならなくなるだろう。

一度深呼吸をし、オッサンの寝息と自分自身の呼吸を合わせるタイミングを見計らう。運動会で行った八の字跳びの縄に入るタイミングを見計らう感覚と同じだ。

スヤスヤ(はい!) スヤスヤ(はい!) スヤスヤ(はい!) スヤスヤ(はい!)

5回目の「はい!」のリズムでオッサンの寝息という名の縄へ飛び込んだ。僕は勇気を持って一歩を踏み出したのである。

スヤスヤ…スヤスヤ…スヤスヤ…

見事に重なった僕とオッサンの呼吸。さあさっそく国連憲章を読んでみよう。

どれどれ、、、うむ、、、、無理である。なんなら呼吸を合わせていないときの方がマシ。何せ気持ち悪いのである。誰だか知らないオッサンと呼吸のリズムが一緒になるなんて……

いや、オッサンどうこうではない。結局人間は生きるうえで各々心地よいリズムというものがあり、そのリズムは他者によって侵害されることはおろか、他者と合わせることもできぬ。他者と呼吸を容易にできれば、この世界に戦争はなかったことだろう。

そんな想いで手元の国連憲章を読んでみる。

寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し……

国際連合憲章(前文)

そうか、まず寛容でなくてはならない。全てを受け入れなければならなかった。僕は善良な(オッサンの席の横に座る)隣人として、寝息を受け入れる必要があったのだ。

起こす方法を模索してはいけなかったのか。国連憲章、やるじゃん。

そのとき、オッサンに異変が生じた。

スヤスヤ…スヤ…ム、ムグッッッ!!!!!

オッサン、お目覚めであります。目を擦り大きなあくびをしている。

僕が善良な隣人となった途端、彼は目を覚ますことができた。これは偶然ではないだろう。

オッサンは両腕を天に向かって伸ばした後、両腕を机に着けて徐々に前傾姿勢になっていく。

まさか、、、そのまさかだった。

スヤスヤ…スヤスヤ…スヤスヤ…

オッサンは図書館をホテルとして利用しているのだろうか。

僕はそっとその席を立ち、オッサンの椅子を蹴飛ばしたくなる衝動を抑えて偶々空いていた別の席へ移動した。

その席は、言わずもがな静かで、すこぶる集中できた。すこぶるな!!!!!!!!!!!

しかし、未だかつてないほど国連憲章を理解することができたのは紛れもなく、オッサンの寝息のおかげである。

この場をお借りして厚くお礼申し上げます。

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