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カフンショウ

 来世は東京のイケメン男子になりたかった僕も、もう一つだけ切実な来世への期待というものがある。それは、脱花粉症である。

 なぜ春になると、こんなにも花粉に頭抱えることになるのだろうか。(頭を抱えるというよりはクシャミで口を手で覆うから、実際には頭は抱えていないのだが。)

 春とは四季の中でも根強い人気を誇る季節だ。寒い冬が終わり暖かい日差しがほのかに肌に照りつける感覚は僕も大好きだ。また、冷たい冬の風が、あたたかい風に変わるというのもなかなかに趣を感じる。

 しかし、花粉のせいでそんな趣に浸っている余裕が全くない。清少納言は『枕草子』で「春は夜明け前が良い…」的なことを言っているが、仮に夜明け前に起きても、花粉という自然のアラームで起こされる訳だから、朝からイライラしてしまう。

 また、孟浩然の『春暁』では「春眠不覚暁」と孟浩然は春、布団の中でまったりと眠っているようだが、コイツは花粉症ではないからこのようなことが言えるのだ。彼は花がどれほど落ちているか気にしているのようだが、僕は、今日はどれほど鼻水が出るのかを気にする。春は花粉症と花粉症でない人で受け取り方が180度異なる。

春暁 孟浩然

春眠不覚暁

処処聞啼鳥

夜来風雨声

花落知多少

現代語訳

春の明け方ぬくぬくと気持ちよく眠っている

あちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる

そういえば夕べは風雨の音がひどかった

花はどれほど散ってしまっただろうか。

 この世界には花粉症でない人と花粉症である人で構成されているのだが、なにゆえ花粉に対してのアプローチの仕方が人によって異なるのだろう。調べてみると、「コップの中にアレルギー素因などの先天的因子があり、そこに花粉の侵入やストレス、生活環境の乱れといった後天性因子が積み重なっていき、ある一定の量になると溢れ出します。それが花粉症の発症です。コップの大きさは体質によって異なるため、花粉症になる人とならない人がいるのです。」と耳鼻科医が述べている。これを「アレルギーコップ説」というらしい。

 このアレルギーコップ説が本当なら、僕のコップは小さめということになる。僕のアレルギーコップが給食の牛乳瓶くらいで、花粉症ではない人のアレルギーコップはビールジョッキとか、はたまた上水道貯蔵システムくらいの大きさを誇るのだろうか。上水道貯蔵システム級のアレルギーコップの持ち主が羨ましすぎる。

 では、どうしてアレルギーコップの大きさが人によって異なるのだ。「天は人の上に人をつくらず」ではなかったのか。現実問題違うようだ。花粉症ではない人たちが楽しそうな春を迎えている一方で、花粉症の人たちは涙目で目を擦り、クシャミを連発し、鼻水をかみながら苦痛な春を過ごすのである。もはや花粉による涙なのか、非花粉症患者への嫉妬による涙なのか分からない。全く、日米和親条約くらい不平等である。

 だから、もうここで新説を説きたい。

アレルギーコップの量は前世の行いによって違ってくるのではないか。という、全てを前世のせいにする愚論である。

 つまり、前世に良い行いをした人ほど花粉症になりにくく、前世で悪い行いをした人ほど花粉症は重篤化するということである。ちなみに僕は重篤な花粉症を患っているから、前世の行いは甚だ悪かったことになる。死後の世界がどうなっているかは検討もつかないが、閻魔大王的な人が、「おまえは来世、花粉症にしてやるう!」なんて言っているのである。

 この説は全くと言って信憑性に欠ける。科学的なエビデンスは全くないし。また、輪廻転生という概念を信じる人たちからすれば、ふざけるのもいい加減にしろといったところだろう。だが、もう花粉症というのをプラスに考えるほかないのだ。今世で良い行いをすれば、来世は花粉症になりにくくなると考えれば、明日を生きる活力になるでしょ? 来世は東京のイケメン男子兼、非花粉症患者になれることを願うのみ。楽天ポイントみたいに、今世でたくさんの得を積もう。

 花粉症を薬などの科学の力で治せると言われたらそこまでなんだけど。(そもそもこの説唱えた張本人の僕が信じてないからね。)

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