落としたもの
とぷんと心を落としてしまったので、買いにいってみたのですが、どこにも売ってはいませんでした。
だったらイチからつくろうと、今度は材料を求めたのですが、肝心のレシピを知りませんでした。検索してもネットが繋がっていなくって、接続しろという命令しか出てきませんでした。それならと、メモ帳を手に、記憶の舌でぺろぺろ舐めて、どんな味か研究してみたのですが、甘くて辛くて無味でした。
交番を見かけたので寄ってみると、首をかしげるばかりだったので、届け出をと上目遣いで言ってみれば、今度は横にふりふり。その落ちていくふけの六花で、雪だるまを作りながらの交渉もむなしく、仕方なく外へ出て、それまで歩いてきた道を、さかさまに振ってはみたものの、落ちてくるのは砂と枯れ草と陽のにおいと、酔った人か立っていられなくなった人の、乾いた嘔吐物ばかりでした。
空では緑色の星が、赤色の星を喰い喰い、青色の星が、黄色い星を抱き抱き、そうして一番星は二番星へと転落して、月の影が、夜を引きずり回しながら高く高く、中空へとよじ登ろうとしていました。昼風と夕風の子である夜風が、どうにかして二人の親になろうと吹き荒れれば、彼岸花は根こそぎ飛んでいき、土とその湿りに絡んだココロが、ふっと舞っていきました。一瞬、心だと思ったのですが、よくよく見ればココロだったので、ひどく舌打ちをしました。胸を撫でました。
そうして、どうしようかとそぞろ歩いている途中に、どぼんと体を落としてしまったので、普段から持ち歩いていた保証書を片手に、電気屋さんへいってみたのですが、メーカーに直接問い合わせてくれと言われました。三十秒で確か二十円のもしもしをしてみたら、電気屋さんを介してくれと言われました。お金の跳ねる音を聞きながら、よくよく考えてみたら、明確に壊れたかどうかは不明であって、確かなのは落としてしまったことだけなので、また交番へと向かって、手続きをと伏し目がちに言ってみたら、今度は誰もいませんでした。一応聞いてみておこうと、耐水性はありますか防塵性でも構いませんと、そこのパイプ椅子に腰かけたまま、メーカーのお問い合わせセンターにぷるるを投げたら時間外で、ただただ硬い声が響くばかりでした。でも落とした体の半分以上は確かに水でできていると、カガクやショセキが言い切っていたのでたぶん大丈夫だろうと、ぐらぐらしていた右の奥歯をえいと抜きました。そうしているうちに、スマホのバッテリーもすっかり底から滴り切っていたので、本体ごと、電気屋さんのリサイクルボックスに入れておきました。SDとSIMカードを抜き忘れちゃったと、濃ゆい熱で毛が逆立ち、ぶるぶる震えましたが、外気が冷たかったので、どこも溶けずに済みました。
うつむきながらとろとろと歩いてゆくうちに、とぷんと音の柱が立ったので視線を上げたら、ただ道と街灯と街路樹と肉塊があるばかりだったので、また伏せました。そうしてコツコツと進んでゆくうちに、どぼんと音の柱が倒れたので視線を上げたら、ただ砂とコンクリートと虫草とたましいがあるばかりだったので、また伏せました。そのとき、口元からさらわれた青いにおいが、その身をよじりながらふっと鼻先をかすめていきました。だけどそのことに気づいたのは、香気がその翼をもがれ、汚臭へと堕されたときでした。ですから、歩数で言うと二十四歩か、三百六十五歩くらいあとです。
落としたものは見つかりませんでした。熱が蒸発していく濡れた指先で目を擦ったら、あらゆるものが光をまとい、二重にも三重にもなりました。遠くの緑や黄や赤はぐるりと溶け合って、どこか白っぽくなっていました。今なら飛べるだろうかと思ってふっと力んでみたのですが、重すぎるのかほんの少しも昇ることはできずに、だったら倒れようと今度は力を抜いてみたのですが、つま先が地べたに引っかかってだめでした。
家に着いたとき、鍵穴がまたずいぶん増えていることに気づきました。だけどぜんぶ挿し込めばちゃんと開くので、時間はかかったものの構わずに、ドアノブをたなごころで包みました。そうしたら暗闇で、おかえりという声が乱反射しました。こだまをひとつわし掴みにすれば、市が指定しているゴミ袋のなかでキャベツがわらっていたので、わたしも笑いました。電気をつけたら、床をたゆたう、抜けた長い毛の波が、ぽっと色づきました。
甘く氷解したお布団に倒れ込んで、そうして外の鼻息で目が覚めたとき、ポストにからんと、なにかの投げ入れられる音がしました。差し込んでくる輝きがまぶしくて、思わず左手で首をきつく絞めました。緩めたら、おぼろげな暗さが、どくんとこめかみに通いました。
するすると玄関までいけば、茶色くて細長い封筒がありました。銀色の二十四円切手が、金色の三百六十五円切手がまだら模様に、表にも裏にも、びっしりと貼られていました。差出人の名前も住所も、糊に屠られていました。
きゅっとちぎってのぞいてみれば、白い紙が入っていました。三つ折りのそれを開いてみれば、落としものを拾いましたのでお返ししますと書かれてありました。丸っこい、幼く小さな字で。
封筒に、息をふっと吹き入れて軽くふくらませて、左目を閉じてなかを見れば、別になにも入ってはいませんでした。
途端に頭痛がして、吐き気がして、胸の奥がざわざわして、鋭くて鈍い、二匹の痛みの鉄鎖に巻きつかれて、息ができなくなって、ひとりでげぇげぇ吐きました。なみだをほろほろ、こぼしながら。重たい封筒を、きつくきつく、握り締めながら。手が顔が、どろどろに溶けても、ずっと。
(了)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?