鉄扉

 ようこそいらっしゃいました。遠路はるばるご苦労様です。ご自身の意志ではないのでしょうが、歓迎致します。

 さっそくですが、正面をご覧ください。大きな大きな観音開きの、鉄の扉があるでしょう。この扉の先は、非常に広々としたお部屋になっていて、なかへ入ると、そこには人間がいます。あなたのような存在が、たぁくさん。立っている人、しゃがんでいる人、叫んでいる人、暴れている人、泣いている人、笑っている人、遊んでいる人、いろいろです。そこでは、そばにいる人たちと同じようにしていないと、悪口を言われてしまいます。なのであなたは、他人が楽しそうになにかをしていれば、同じように歯をこぼしながらやらなければなりません。他人がじっと座っていたら、まったく同じように、膝を抱えていなければなりません。ほらほら、表情も忘れないように。ここはよいお部屋だと周りが言っていたら、よいお部屋だと、あなたも声にしなければなりません。幸せなんだと叫んでいたら、同じように、自分もこれで幸せなんだと思わなければなりません。自分のしたいことをするのは、言いたいことを述べるのは、禁忌ですので控えましょう。

 もちろん、自分のやりたいようにしても、思ったことをそのまま言っても構いはしませんが、いじめられること、蔑まれること、虐げられることは、覚悟しなければなりません。それで本当に幸せなのか。そう、遠回しに諭されることもあるでしょう。ですが、仮に禁忌へ手を伸ばさなかったとしても、他人とは、たくさんたくさん、言葉を交わすことになるでしょう。多くの声を聞くことになるでしょう。無数の視線に縛られることになるでしょう。そうして、多くの決まりごとを、すり傷だらけの体で暗記することになります。

 また、入って間もなく、労働に勤しむことになります。そう、労働です。眠る時間は少なくなりますし、休むことなど許されません。なんせ、なかにいる人たちにとって労働とは、やらざるを得ない行為であって、しかも魅力ある行為だそうなので。生きがいですよ、やりがいですよ、自己表現ですよ。頑張ってください。対価として得られる金銭や評価というものは、ほとんどの場合、極めて少ないものですが、あなたがどれくらいもらえるようになるのかは、正直分かりません。運が決めることですので。ちなみに働きたくなくなった場合、いずれはやめられますので、ご安心を。

 なぜ労働というものを、と思われるかもしれませんが、なかに入った人間の肌には、義務と呼ばれるものが刻印されます。労働はそのうちの一つで、ほかにもたくさんあるんですよ。幸せになる義務、他人を思いやる義務、嘘をつかない義務、税金というお金を支払う義務、他人を裏切らない義務。まだまだあるんですが、きりがないのでこの辺りで。ちなみに、義務とはそもそもなんなのか、なぜそんな文字を最初に刻まれなければならないのか、といった疑問には、こちらでは答えられませんので、人間にでも訊いてください。答えなど、返ってきはしないでしょうが。

 ところで、お部屋に入ったその瞬間から、ほしいものがいっぱいいぃっぱい、見つかることでしょう。しかし残念ながら、そのほとんどは手に入りませんので、事前にお伝えしておきます。なかでもし、努力すれば得られるとか、頑張れば自分のものにできるとか、そういうことをおっしゃる人間と出会ったとしたら。それは嘘ですので、ご注意を。ある人間がどうなるのか、なにを得られるのか。それを決めるのは頑張りではなく、努力などではなく、等しく運です。運からは逃れられません。ですがあなたもまた、同じように言うことを強いられますし、いずれ言うようになりますので、今のうちに練習でもしておきましょう。ぜひ復唱なさってください。いきますよ。努力すれば叶います。努力すれば叶います。

 さてさて、お部屋に入った直後から、あなたはたくさんの病気にかかります。咳だけで済むこともあれば、吐瀉物が足にかかることもあるでしょう。あるいは血を吐くかもしれませんし、髪がすべて抜け落ちるかもしれません。はたまた、あまりにも心の重みが増して、体がぎしぎし軋むようになるかもしれません。聴こえないはずのものが聴こえてくるようになったり、健康なはずの手足が、一切動かなくなったり。それと同じくらい、怪我もするでしょう。骨が折れるか、傷口が膿むか。腱が切れてしまうかもしれません。いずれにせよ、どんな病に蝕まれるのかは、どんな傷を負うのかは、すべて偶然が決めることですので、黙って従ってください。不平不満を口にしたとしても、特に効果はありません。傷は治りませんし、病は寛解しません。こちらでも聞き入れかねます。どうぞ耐えてください。繰り返し繰り返し、我慢なさってください。

 ところで、なかに入ると、そこにいる人間の誰かに、凄まじい勢いで吸い寄せられることがあるかもしれません。しかし残念ながらほとんどの場合、一定の距離までしか近寄れません。相手に触れることは、多くの場合許されないんです。あるいは手が届いたとしても、その相手は必ずいなくなってしまいます。それも仕方のないことですので、諦めてください。無理矢理触れた場合は、罰という色をした石が飛んでくることでしょう。いなくなった相手に関しては、絶対に見つけることができません。受け入れてください。そうしてあなたもまた、触れられたくない相手に、これでもかというほど、近づかれることでしょう。また、見たくもない相手の顔を、毎日のように見続けることを強いられることでしょう。それもどうぞ、甘んじてください。

 そうそう、言い忘れていました。扉を開けた拍子に、あなたは自分の持ちものを落としてしまう可能性があります。それは眼球かもしれませんし、力かもしれません。あるいは豊かさかもしれませんし、人間に好かれる容貌かもしれません。逆に、他人が持っていないものを、あなたは拾うかもしれません。それは不健康な臓器かもしれませんし、過敏な神経や感覚かもしれません。先ほど述べたお金かもしれませんし、人間たちのあいだで有効な、地位や権力という手形かもしれません。努力できる、あるいは継続できるという環境かも。いずれにせよ、あなたがなにを持ち込めて、なにを持ち込めないのか、それもまた、運が判断することです。こちらでもあなたでも、絶対に決められないことですので、ご了承ください。

 ちなみに、一歩入ればお腹が空くようになりますので、ほかの命を殺すことで満たしてください。動植物という生命を、自分のために徹底的に利用なさってください。豚や鳥や牛や魚の肉を裂いて、焼いて、煮て。あるいは葉を引きちぎったりなんかして。ぐしゃりと果肉をつぶすのもいいでしょう。耳を澄ませば、あるいは叫び声が聴こえてくるかもしれませんが。飲みものもありますよ。足りないかもしれませんが。あと、心も空くかと思いますので、そのときは人間をお食べください。その際、あなたもまた、確かに喰われる存在であるということを、どうぞお忘れなく。このお部屋のなかで人は、絶えず誰かをむさぼり喰っています。くれぐれもお気をつけて。まぁ、どれだけ咀嚼音を撒き散らそうと、満腹感はすぐさま消えてなくなってしまうでしょうが。あごを動かし続けることになるでしょうが。

 入って、人間をその目でご覧になる。そのうちに、あなたの体は重たくなります。見目形はがらりと変わり、病と出くわす頻度は増して。怪我はよりひどいものへと、そのお面をつけかえます。周りからいなくなる者も増えてゆくことでしょう。でもそれは、誰もが等しくそうなんです。必ず経験することなんです。ですので安心なさってください。その点でのみ、あなたも人も平等です。よかったですね。平等ですよ。人間が大好きでたまらない、求めてやまない、あの平等です。これ以外の部分だと、人間はもれなく不平等であり、ならすことは絶対に敵わないので、大切になさってください。

 そうしてあるとき、それがいつになるのかは分かりませんが、それまでに得たものを、あるいは本来持っていたものを、すべて失くしてしまうときがくるでしょう。とはいえ、こんなことを言われても、今はまだ、よく分からないかと思いますので、お部屋に入ったあと、試しに想像なさるといいでしょう。なにもかもがなくなるところを。もし怖くなってしまったら。その後はなるべく、考えないようにするといいそうですよ。なにかにのめり込めばいいそうですよ。ごまかしですね。人間はみんなそうしています。あなたもいかがですか。

 この先はそういったお部屋なのですが、ところであなたは、今のあなたのような存在を、この扉の前に立たせることができます。なかへ入って少し経てば、決めることができるんです。あなたに与えられた権利だそうですよ。そうして義務でもあるそうですよ。立たせれば、幸福になれるんだそうですよ。とっても気持ちがいいそうですよ。ちなみに、義務のときにも述べましたが、権利や幸福についての質問も、どうか人間になさってください。決めたのは、定義したのは人ですので。

 説明は以上です。以上ですが、これまでお話ししたことを、あなたはすべて、忘れてしまうことでしょう。それもお伝えしておきます。

 それではどうぞお進みください。そうしてお選びください。立たせるのか、立たせないのか。

 改めまして、ようこそいらっしゃいました。

                               (了)

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