歌詞を書いてと頼まれて

 歌詞を書いてほしいって、そう言われたことがありました。

 無理かなぁって返事を送って、そうしてお風呂から上がってきたら、その子から通話がきていて。出たら、お願いって、まじめな声がにじんできました。

 私は渋りました。そもそも音楽なんてものに縁なんてなかったからです。私は音痴でした。カラオケで言えば、六十点台前半がやっとです。

「なんで私なん?」

 そう問わずにはいられませんでした。私はただ、詩を書いて短歌を紡いで、それをぼんやりネットに載せていただけの、そんな人間だったからです。私はその子みたいに、創作に命なんてかけたこともなければ、時間も手間もかけたことのない、そんな人間だったんです。

 でも、その子はくっきりと言いました。あんたの言葉がほしいって。

 苦笑しか出てきませんでした。そうしたら、その子はいきなり、電話越しにピアノを弾き始めました。黙って聴くほかありませんでした。

 その子の音楽は暗いものでした。夜中にはっと目が覚めたときの、あの鼓動が蘇りました。暗いなかに流れる黒い水を、そこに映り込んだ光の刃を思い出しました。真剣に聴いてはいけないという直感に襲われた私は、半分聴き流しました。

「音源送るから」
「自分で書きぃや」

 その子は、歌詞の生み出せない子ではありませんでした。作曲から映像の制作まで、ぜんぶ自分でやる子だったんです。動画共有サイトへの投稿を中心に、自分の世界を音という色で描き出す、市井の音楽家だったんです。事実その子は、歌で人を惹きつけていました。寡作ではありましたが、ファンもいました。私もその子の詞が、声が、音が、世界が好きでした。憎いくらい、恋していました。なのにその子は、よりにもよって私に、言葉をよこせと要求してきました。あんたの言葉に合わせて修正もするからと、映像をつくるからとさえ言ったんです。ほかの人に頼みぃやって、そう首を横に振っても。

 しつこいくらい頼まれて、結局は断り切れず、私は歌詞を書くことになりました。でも、何度聴いても、どれだけリピートしても、一文字も、言葉は出てきませんでした。

 聴いていると、お尻を支えている緑の座椅子がとろけていく。机の向こうにあるクリーム色の壁の黒い染みが、少しずつ形を変えていく。マウスに重ねた右手の感覚はなくなっていき、パソコンのメモ帳の白はますますぎらついていく。不安が、胸の奥でとぷんと波打つ。汗がふっとにじんでくる。音だけで、私は私という存在を、まったく奪われてしまったんです。自分が座っているのか横になっているのかも、もはや分からず、ただ眼前が揺らめき、息が浅くなって。気づけばただ、時間だけが過ぎている。三十分も、一時間も。

 だから言の葉なんてもの、唇から散っていくはずもないんです。私は震えました。ちょっとキーボードを叩いてみても、そこに現れた文字がたまらなくなって、すぐに消しました。

 一日経って、二日経って、一週間、十日。連絡がきました。どぉ? っていう、真面目な。

「やっぱ無理やって」

 そうつぶやけば、その子は一言だけ残して、電話を切りました。待っとるって。

 真っ白の上で、ひとりぽつんぽつんと点滅し続けるカーソルを、私はじっと、見つめ続けました。

 そうして二週間が過ぎ、一ヶ月が経って、二ヶ月がその顔をちらとのぞかせたころ、私はぼんやりと、歌うようになっていました。その音楽に合わせて、ラララって。

 いくら言葉を弄しても、どれだけ知っている語彙を並べても、決してしっくりこなかったけれど、「ラ」だけは、なんとなくきれいにはまるような、そんな気がして。

 音感がなくてよかったと思いました。もしあったら、その「ラ」の房はきっと、ぶどうの実ではなくハスのあのぶつぶつみたいに、気持ち悪く見えただろうから。

 三ヶ月経って、ひさしぶりに会ったその子に、私は一枚の紙を渡しました。手書きの詞です。ぜんぶ、「ラ」の。響きの数を、何度も何度も書き直したそれを、その子は黙って見つめて、見つめて、そうしてにこりと微笑みました。ひとり、口ずさんでいました。

 それからさらに五ヶ月は過ぎたでしょうか。その子が久方ぶりに動画を公開しました。「ラ」だけの歌。暗い背景を底に、無数の「ラ」の字で満ちた画面。膨らんでは弾け、伸びては縮み、色が変わってはしぼんでいく無数の「ラ」。流れては降り、滑っては昇っていく「ラ」。世のなかのどこかには、あるいはほかにも、「ラ」だけの歌があるのかもしれません。でもその歌は、私を揺さぶり困惑させる、その怖ろしいくらい澄み、空気を不気味なほど震わせる高くて低い声は、ときおり裏返る響きは、湿った吐息は、私という境界線を容赦なく溶かし、世界のあらゆる何かと一体化させ、不意に分離させてくるその音は、ただ一曲しかありません。なみだがつっと、こぼれました。呼気の色を、忘れました。

 そうしてその子は、動画の概要欄とSNSで、同時に引退を宣言しました。二度と音楽はしないって。それなりにいたファンは、ただただ驚いていました。悲しんでいました。そうして、詞を書いた私の名前を見て、誰だ誰だと探っていました。私はそのとき、本名とともにそれを手渡していました。だから私の詩や短歌のアクセス数は、SNSのフォロワーは、これっぽっちも増えませんでした。

 少しして、私のほうから連絡しました。会ったらその子は無言でした。私も無言でした。でも不意に、鼻をすすって、言ったんです。

「最後にあんたとつくりたかってん。あんたの言葉で歌いたかった」

 その理由も、きっかけも、その子は決して、話そうとはしませんでした。私も、聞こうとはしませんでした。

                               (了)

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