殺める

 相手の立場に立って考えろ。そう説教されたとき、私にはその言葉が、ひどく汚く聞こえました。そうして、とても怖くなりました。

 そんなことをしても、私は絶対、その相手にはなれません。相手の立場に立とうとした私がなれるのは、思い描いたその人です。その人自身じゃありません。相手の立場という縄を、自分のほうへどれだけ引っ張ったとしても、相手そのものに触れられるわけじゃ、ないんです。

 人の気持ちを想像しろといいたいんでしょうか。それも結局、写したもので、感情それ自体ではありません。そもそも、誰かの胸底を勝手に絵にして、その色彩や輪郭をあれこれいうことは、そんなにいいことでしょうか。心なんてものは、決して見えません。感じていることなんて、絶対に分かるはず、ないんです。それは、いくら対話したとしても同じです。心を言葉にはできません。精神は無形だけど、言の葉にはもう、縁も、においも、色だってあるんですから。相手の立場に立つということは、相手がこうだと決めつけることです。

 相手の立場に立てば、その人のこと、ちゃんと理解できるんだから。こう怒鳴られたとき、私はその言葉から、激しい汚臭を嗅ぎました。どうして相手の立場に立つだけで、その人のことが分かるようになるんでしょう。そんな簡単に、人間なんてもの、理解できるでしょうか。本気で、本気でそう思っているなら。人間を見ていないんです。まぶたを開いて、五秒でも十秒でもいい、ながめてみるだけで、あるいは二言三言話してみるだけで、人は人を、本当の意味では理解できないことに、確かに気づけるはずですから。

 第一、誰かを理解するとは、どういうことなんでしょう。自分という存在ですら、持てないくらいとろけているのに、他人という存在が、手にできるほど硬くある。それって、いったい。理解とはなんですか。たとえば、相手のいいたいことに納得できたとして、それは理解でしょうか。その耳にした言葉は、心そのものではないというのに。いい古された比喩でしょうけど、言葉は鋳型です。星とかハートとか、丸とか三角とか、そういった様々な形の言葉があるけれど、はめ込んだら最後、心はそれ自体ではなくなるんです。苦しいとつぶやいたその人の心に、この指は絶対届かない。それは嫌、という拒絶の表情でさえ、同じです。それもまた、内側で煮えているものではなくて、すでに冷えて、固まってしまったものなんです。

 仮に、相手の心が完璧に分かることを理解だとして、そして、理解なんてことができるとして。相手というものを、完全に理解したとしたら。それはすばらしいことでしょうか。望むべき状況でしょうか。私にはそれが、とてつもなくおそろしいことのように感じます。そこにはもう、違いなんてありません。相手との隔たりがなくなるということです。もしも心の輪郭が、色が、ぴったり重なり合っているとしたら。重さが、においが、熱が同じだとしたら。それはもう、他人ではありません。自分という気味の悪いものが、眼前にもう一人、現れることになるんです。喜ぶべきことでしょうか。幸福でしょうか。そんなふうには思えません。相手の立場になって考えろという人は、人間にはそれぞれ差異があって、それを大切にするべきなんだ、というような、もっともらしい顔つきでしゃべってはいるけれど、実際は、自分を他人と同化できると信じて疑っていない人なんです。だからぞわぞわするんです。どうして他者と一つになんてなれるでしょう。絶対的に異なっているはずのものと、なにゆえ同じになれるでしょう。

 それ分かるよ、というせりふは、とりわけゾッとする言葉です。相手の立場になかなか立てないのも分かるけど、なんてささやかれたときは、恐怖で吐くかと思いました。なにが分かるんでしょう。そんなのただの勘違い。思い込みです。自分がそうだったから相手もそうなんだろうという、怠けた敷衍が実らせた、傷んだ果実なんです。別に、誰かが生活のなかでぐうたらしていたって、私はなにも気になりません。だけど、分かるよ、という四つの響きだけは、どうしても受け入れられないんです。それは、私を殺す音吐です。私という人間を認めないという宣言と、同義です。だから、怖くなるんです。目の前のこの人は、私を今、刺そうとしている。殴ろうとしている。そういうふうに感じるんです。私にとって、理解するということは、殺めることで。震えるんです。相手の立場になって考えろと、声高に叫ばれたら。

 理解している、できている。そんなふうに考えるなんてこと、私には絶対できません。決して近寄れないもののにおいを嗅いだ気になって、あれは甘い香気だとか、それは鼻をつまみたくなる臭味だなんて唾液を飛ばしている。そんな姿を見ていると、鳥肌が立ってしかたないんです。まばたきが止まらなくなって、なみだが出そうになるんです。

 別に、理解しようとすることそれ自体が悪いとか、変だとか、そういうふうに感じているわけではありません。どうしたってできるはずがないのに、理解したと胸を張っているその姿が、たまらなく嫌なんです。たとえたどり着けないことが事実でも、そこに向かって足を踏み出すのは、歩きたいと願うのは、おかしなことでもなんでもないと、そう思っています。

 だけどもし、もし知ろうとするなら。他者を真に理解するなんて、決して敵わないこともまた、ちゃんといってほしいんです。分からないものを分かったつもりになって、あれこれまくし立てられても、私、どうしたらいいか、分からなくなります。

 相手の立場になって考えろ。どうしてあたしの気持ちが分からないの。空気読めよ。鈍感なんだね。されて嫌なことはしちゃいけない。

 これからも、私はこんなふうに、殺すことを強いられるんでしょう。

 それでも私は、相手を害するなんて、できません。

                               (了)

読んでいただき、ありがとうございました。