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42日目(ファシリテーション、オープンダイアローグ、カウンセリング、コーチングなど、)

聴く

私は子どもも接する時に気をつけていることがある。それは、子どもの声を聴くことだ。それは上のような手法全てに共通することである。一方で、これらの手法の違いを明確に理解することは難しい。基本的な考え方やワークの枠組みとしては分かる。一方で、突き詰めていくと、「聴く」という同じ行為に収束されていくようにも思う。

次女の場合

とにかく外遊びが好きな次女は、一日中外遊びをする。それに付き合うことは、とても骨が折れることだ。しかし、その時に次女の声を聴き、引き出し、自らの気づきを促し続けようと、私は試みる。
このことは、上記のどれにも当てはまるように思う。

伝える

私がどう思い、感じだか。あくまで、私の視点で伝えることで、私とあなたは対等になれる。「〜しなければならない」「〜すべし」「〜してはいけない」「〜をお願いします」などの言い方は、私とあなたが対等ではない。私の視点を合わせることで、初めてあなたは私に伝えたいと思える。

長女の場合

たまに、怒りをコントロール出来ない場面での長女と話す場合、その声を聴くことが怒りを鎮めることに繋がる。その場合、私は、「〜すべし」とは返さず、「〜と思う」「〜と感じる」というように心掛けている。「〜すべし」と言ってしまえば、今まで聴いたことが台無しになってしまう。私はあなたの話に対して感じたことや思ったことのみを伝える。あくまで決めるのはあなだ。
このような伝え方も上記に当てはまることが多いと思う。

対話すべき?

これらは総じて対話的だ。私たちが話し合うことを前提に考えられている。少なくとも、対話すべきであり、ここにこそ私たちの普遍性が見て取れる。ポストモダンのように全てを無に帰すわけにはいかない。メタの視点では、「〜すべし」なのだ。対話の土台は、見失ってはいけない。



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