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240317 また、ひとりじゃなくなった

2022年の10月から、初めての一人暮らしを開始した。

実家も勤務先も都内のため、社内制度では家賃補助の適用外。実家にいた時には、もちろん毎月お給料の一部を入れていたけれど、かかる金額が全く違う。浮いたお金で、大好きな服や靴を毎月のように購入していた…。


人生で初めて実家を出て、お金のやりくりや家事全般を働きながらもやっとの思いで開始した私は、自分がこれまで如何にぬるま湯に浸かって生きてきたかを思い知ることになる。

ごくごく普通の2年目会社員だった私にとって、家計は火の車だったし、
自炊もしたけれど、段々と漢メシのようになり、さらには漢メシと名付けるなんて恐れ多い程雑になった果てに、平日は適当な作り置きかスーパーのお弁当。
洗濯と掃除は、割と好きだった(実家での身の回りは、乱雑だったけれど…)。
というか、いつでも逃げられるように、モノを置かないようにしていたのかも。



母が私を出産してすぐ、両親と私の3人で、小さなアパートに住んだ。

しかし、母方の祖父が時を待たずして「〇〇(私の本名)をこんな小さな家に住まわせる訳にはいかない!」と、ローン無し一括払いで、3階一戸建てをどーーーーーんと用意してくれた。そして、母方の祖父母と、のちに誕生した妹と共に、6人で暮らした。

母方の祖父(以下、じいたん)は、とても頑固で堅実な人だ。元警察官で柔道黒帯、高校時代は自ら相撲部を創設するような、強く逞しい、男の中の男。漢。ただ、本当に頑固。
しかし、愛に溢れた優しい人だ。じいたんのことが、大好きだ。

そんな、滅多に大金を使わない彼が、『私のために』建ててくれた実家。
とにかく大切で、出られるはずが無かった。



しかし、社会人になったことを言い訳に、私は家を出ることになる。そうは言っても、大人になるにつれ、1人での自由な暮らしへの憧憬の念は年々膨らむ一方だった。

両親、そして何よりも祖父母が悲しんだ。じいたんは、いざ「寂しい」とは口にしなかったけれど、顔を見れば何を考えているか分かる。
妹とはずっと、仲の良さが可もなく不可もない、絶妙な距離感で生きてきたが、一応寂しいと思ってくれてたのかなぁ。


結局、紆余曲折あって、初めての一人暮らし先のマンションには1年しか居住していない。その後、別のマンションで、同居人と共に半年程暮らすことになった。まあ、そこもまた出ることになるのだけれど。



そして、身も心も『独り』になった。



先述したように、いつでも出られるよう、どちらの部屋にもできるだけモノを置かないようにしていた。

しかし、その隙間を埋めるように、たくさんの喜怒哀楽を詰め込んでいた。


今回は特段、取り留めのない無い投稿になっている…。書きたいことが多すぎるので。


そろそろ締めよう。



2024年3月17日、実家へ戻るために、かつて暮らしたマンションの荷物を一掃してきた。理由はまたいつか、書こうと思う。


とても天気が良くて暖かい、日曜の昼下がりに、父が荷物の引き取りを手伝ってくれた。


家電の買取は業者に頼んでいたので、「価格交渉してできるだけ高値で買い取らせてやるぜ!」と意気込んでいたけれど、いざやって来たのは、40歳を超えてからボクシングを始めたが、痛いのが嫌なのですぐに挫折し、現在は落語が趣味 だというかなり細身のおじさんと、寡黙だが非常に人が良さそうで、靴下の裏が穴だらけ のおじさんだった。

勿論、ちょっとは粘ったけれど、なんだか良心の呵責に耐えられなくなって、家電量販店での値切りの際のような勢いは見せられなかった。
粗大ゴミとして出すにもお金がかかるところ、値をつけて持っていってくれるだけでも、有難いことだし。


すっきりした〜!!!



こうして、27歳独身女が、実家暮らしに舞い戻った。う〜〜〜ん、世間的に見たら、イタい!


でも、ひとりじゃない。
今は、これで良いんだ。これが、良いんだ。



お父さんお母さん、じいたんちゃあちゃん、
頑張るので、必ず恩返しするので


ごめんね。
もうちょっとだけ、甘えさせてください。





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