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「勉強ができる子」の親が、無意識に実践している英才教育とは?

shinshinoharaさんの記事が面白い。
まずはぜひ、こちらをご覧いただけるだろうか。

以前、以下の投稿で書いたように、私は前職で16年間、首都圏の受験業界の最前線にいた。

その経験からも、彼の主張には大いに賛同する。

勉強ができる子には、ある共通の特徴が存在する。

それは新しい学びに対して、「脳が開いている」ということだ。教科書という1冊の本の中にある、整然とまとめられた知識のひとつひとつに、「それ知っている!」「見たことがある!」「聞いたことがある!」と、いちいち反応できる土壌があるのだ。

人間の脳は、目の前で起きていることと、想像していることの区別がつかない。例えば、梅干を思い浮かべれば唾液が出るし、好きな子のことを考えれば心臓がドキドキする。しかしこれも、体験があってこそだ。PCR検査の会場で、外国の人が梅干の写真を見ても、おそらく、頭や体は何の反応も示さないだろう。

私が講師だったときの自らの授業を思い返しても、それは明らかだった。教科書に載っている知識を説明したときの目の輝きが、子供によって全く異なるのだ。過去の体験が教科書と結びつく子は、即座に頭の中がぐるぐると回転をはじめ、説明を終える前に、勝手に学習が完了している。しかしそうでない子にとっては、ただの無機質な「机上の知識」でしかない。右脳は全く活性化しないし、面白くもない。それゆえ、理解や定着がどうしても劣ってしまう。

優秀な講師は、子供たちによってバラバラなこの「体験ネットワーク」の差を、なんとか授業で埋めようとする。言うなれば「疑似的体験ネットワーク」の構築に尽力するわけである。

例えば化学なら、授業中に簡単な実験を行うというのが定番の方法だ。面白い歴史の先生なら、まるでタイムスリップしたかのように、時代背景や、そこで活躍した人々について、生き生きと語ってくれるだろう。動画やタブレットなどを使うのも効果的だ。

つまり、子供たちの想像力を最大限活用して、あたかも実際に体験したかのように脳が錯覚する授業を展開するのだ。そうして、子供たちの感情をゆさぶり、知識をできるだけ有機的なものとして頭に残す工夫を、全力で行う。
ちなみにこれは、講師の質を決めるひとつの要素でもある。これができるかできないかで、授業中の子供たちの頭の回転数は大きく変わる。結果、クラスの成績は、講師ごとに大きな差がつくわけだ。

しかし、いくら優秀な講師でも、授業の中でできることには限界がある。時間には限りがあるため、疑似的体験ネットワークの構築にとらわれ過ぎていては、カリキュラムの消化が間に合わない。やはり、授業外での体験ネットワークに、多くの部分を委ねざるを得ないのだ。


私は理科の講師だった。理科は、この体験ネットワークの影響が最も顕著に出る科目のひとつだ。

例えば植物。中学受験においては相当数の植物の名前、種類、分類を覚えなくてはならない。その際、見て、触れて、匂いを嗅いだことのある植物が多い子ほど有利だ。「へー。昔、あそこで見たあの植物って、こんな名前だったんだ」と、過去の体験と結びつけてどんどん知識を吸収し、定着させていく。一方でその経験に乏しい子は、教科書の写真と、カタカナで書かれた名前を一対一で覚えていくのみ。もはや苦行でしかない。

例えば物理。幼い頃にスキーやそり遊びをしたことがあれば、加速度や摩擦力、圧力や空気抵抗の概念がすぐに理解できることだろう。

他にも算数であれば、積み木遊びをたくさんしてきた子は空間認識能力に優れていることが多い。国語であれば、嬉しい気持ちや悲しい気持ちになったり、悔しさや怒りに満ち溢れたりした経験がたくさんあるほど望ましい。物語の登場人物に自らを投影させやすくなり、その気持ちが手に取るようにわかるからだ。

こうして、バラバラだった自身の体験が、洗練された教科書のおかげで、「なるほど、こういうことだったのか」と、頭の中で次々に整理されていく。それが子供にとっては、たまらなく快感なのだ。これで成績が上がらないはずがない。


そろそろ結論を述べよう。

英才教育とは、小さい頃から座学で詰め込みの学習をさせることでは決してない。真の英才教育とは、いずれ学ぶことになる知識をスポンジのように吸収するために必須となる、多様な体験をさせておくことなのだ。

その最も手っ取り早く、かつ簡単で効果的な方法が、子供と一緒に遊んで、感動や驚きを共有することである。色々な土地に旅行をするのもいい。様々な習い事に挑戦させてみるのもいいだろう。

誤解を招きやすいので予め忠告しておくが、遊びや旅行先、習い事について、別に将来の学習カリキュラムや受験などを意識する必要はない。子供が時間を忘れて夢中になれるようなものであれば、方法は何でもいい。色々試してみて、子供の反応をじっくりと観察してみると良いだろう。できれば親も一緒に楽しめるものだと尚良い。

こうした、およそ勉強には関係なさそうな、日常の体験の数々。しかしこれこそが成績向上において極めて重要な、いわゆる「地頭力」を鍛えるための、おそらく唯一の方法なのだ。


さて最後に、我が家の事例を、少しだけご紹介。

無題

今年の夏に行った、グランピングでの一コマ。
キャンプファイヤーを模した火でマシュマロを焼いているのは、5歳になる愛娘だ。

煌々と光る炭火。
近づき過ぎると火傷しそうな熱気。
パチパチと舞い上がる火の粉。
目に沁みる煙。
吸い込み過ぎてむせちゃったよ。
慌てて風上へ。
あれれ、それでも煙がこっちにきちゃう。
なんでなんで? まあいいか。
焼けるマシュマロの甘い匂い。
いやだ、真っ黒に焦げちゃった。
うわっ! 苦くて食べられないよ。
よし、もう1回挑戦だ!
今度は美味しそうに焼けたよ。いただきます!
はふはふっ、熱いっ!
うわー、ふわふわとろとろの食感だぁ。
そして…あまーい!

この体験の前には、どんなに優秀な講師もかなわない。

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