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犬に似ていた人生だった。

昔から、鏡がきらいだ。
映るもの、写すものが苦手なのかもしれない。
高校生の時もほとんど鏡を学校にもって行ったことがない。

白雪姫の継母の気持ちが今一つわからない。

高校生の時、調理実習の授業の時に、私たちのチームだけ包丁が一瞬、消えた。

先生、包丁がありませんって言っていたら、
チームにひとつずつ用意してあるよって
言われて探していた。

同じチームのヤマシタが窓際の灯りのそばで
その包丁をかざして自分の顔をみてチェック
していたことがあった。

そんなん、写るか?
みえんやろうって思ったけど。

彼女はそれほど鏡がすきで。
授業中も、筆箱の隣にはそれこそ白雪姫の
ハンドミラーが必需品のように置いてあった。

すごいな。
もうあっぱれだ。

ヤマシタとは仲がよかったけど、ぼんちゃん
あんた鏡みてる所見たことないなって言ってその鏡を
貸してくれようとしたので、

ひゅっと写らないようにわたしは逃げた。

忌まわしい。
わたしの顔を不躾に写そうだなんて。
忌まわしすぎる。

高校を卒業して好きな人が出来た時に、
わたしはそれでもまだ鏡嫌いだったので、
彼にゆだねた。

化粧室からでてきたときも、口紅落ちてる?
とか、アイライン残ってる? とか聞いた。

初対面の男のひとにそれを聞きそうになって
相手が顔を赤らめたのがわかったので
おかしな奴やなってそれから会わへんようになった。

ふつうはそういうことせーへんのだとしばらくたって
反省したけど。

わたしは好きになるとわりと顔のことは
委ねられる。

あなたはこういう人ですというようなキャラをみなされたように言われるのは大嫌いだけど。

顔に関しては相手に任せる。

考えてみたら自分の顔ってしょっちゅう
鏡見ている人以外は、たいていあなたの顔は
他人の方がよくみているわけで。

そう思うと、じぶんの理想がどうであれ
他人が感じるものがわりとすべてのような
ところがあるんじゃないかと。

そうじゃないんでしょうかと。

なので、付き合っている時は、わたしが我がの顔を見ているよりも彼がみている時間の方が長いと思うと、そっちで決めてみたいな
気持ちになる。

それが、そんなに気にならない。

いい加減その癖をやめろと友達は言ったけど。

やめられない。

それって信頼なのかな。
とか誰かが言ったから面倒くさくなった。

そんなことをつらつらと考えてたら思い出したことがあった。

いつだったか、おもろいなってわたしの
顔をみながら彼が言った。

おもろいってなんなん?なんなんでしょうか?
とたずねたら。

ずっとみてても飽きへんなって言う。

ほら、ずっと犬の顔をみてられるみたいな
感じに似てるねんってのたもうた。

真剣な顔をして荷造りをしているぼんちゃんは犬がしょんべんしてる時の顔に
そっくりやなってしみじみ言う。

あんまり知らんけど、犬のおしっこの時の顔。

てか犬嫌いやし。

そうやってわたしの顔を見つくしてわたしは
彼と別れたけれど。

ふしぎなもので。
鏡をじぶんで見ている時よりもじぶんの顔を
彼に見られている時の方がストレスも
なにもなかった。

人と人がつきあう、好きになるってそいうことかもしれない。

時折、じぶんが死んでしまう時のことを
シミュレーションすることがあるけれど。

自分の顔をみられても嫌じゃない人に来て
もらいたいななんて思ってる。

そしてわたしは久々に鏡を見ていた。

そこに写っていたのは犬がしょんべんしてる時の犬しかいなかった。

一番最初の座右の銘は密かに「犬がしょんべんしてる時の顔におまえ似てるな」だったから。

長年その言葉をわたしの中で育ててしまったのかもしれないとわたしはうぉんと満月に吠えてみた。

おわり。


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