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1970年代半ば生まれが語る90年代後半のサブカル(チャー)漫画界隈の話。

家にある90年代末頃のおしゃれコミック雑誌についてまとめていたところ、90年代後半あたりからいわゆる「サブカル」とジャンルわけされることになるコミックがでてきている気がしてきて、具体的にはどういうものだったのかが気になり始めた。

前回のおしゃコミ雑まとめはこちら

ここでも書いたが、私は90年代末頃のヤングレディース向けでおしゃれさを全面に出したコミック群のことは「サブカル」的とは捉えていない。

はじめに

「サブカルチャー」ではなく、「サブカル」がどういうものなのかは時代によっても異なるし、各々が持つ価値観や基準によりカテゴライズされることもあり、さらに同じ人間でもその対象に触れる時の年齢だったりタイミングによって変わってくるような、非常に流動的で曖昧模糊としたものであり、何かの漫画や漫画家を差して「これはサブカル」「これはサブカルではない」と決められるものではない。

仲間内で自由にそういうサブカルよもやま話をして遊ぶのは楽しいが、本気で議論するのは徒労でありばかばかしいと思っている。
なので、別に系統立てて分析し論ずるつもりはない(というかできない)。

大きく「漫画」が「サブカルチャー」だった時代を経て、1976年生まれの私の肌感覚的に、漫画の中にその後「サブカル系」とされる概念のジャンルが形づくられてきたのが90年代後半〜2000年あたりではないかと感じている。(これは「サブカル系漫画」がでてきたという意味ではない。)

でもこれは1995年春に上京し1999年春に就職という、90年代後半にちょうど東京で学生をやっていたという私の状況が大きく影響していることは否めない。学生時代に触れるものと社会人になってから触れるものでは感じ方が違うからだ。

こういった漫画界隈の90年代後半サブカル(チャー)印象語りは、自分と同世代によるものはどうもあまり見当たらない。ひと世代上によるサブカルチャー語りと、ひと世代下のサブカル・オタク各界隈語りは見聞きすることが多いし、同世代による80年代漫画語り(コロコロ・ジャンプ・りぼん等)はあるんだけど。

この時期にインターネットが普及し始めたことが大きく影響してるのだろうが、今調べたら1999年末でインターネット世帯普及率は19.1%とのこと。当時の若者世代に絞ればもう少し高いかもしれないが、学生時代インターネットで情報を得るのはまだ一般的ではなかった。とはいえ、東京に住んでいた自分にとって、すでに雑誌やTVの情報が最先端という感覚もなかった。

そんな旧メディアWebメディアサブカルチャーサブカルおたくオタク&ヲタク、その間のなんともいえない時期に若者だった我ら世代は、各々の興味の方向の細分化が進む只中にいた上、当時それを共有しあう術もなかったので、同世代間で共通して思い出をわかちあいにくいのかもしれない。
パソコン通信〜インターネットで交流する者、じゃマ〜ル等紙の雑誌で同好の士を見つける者、クラブ・ライブハウスや店舗・イベントといった現場で集う者…とどれも90年代後半カルチャーだが、当時の若者でどれが多数派だったかというとどれだろう?どれも経験無いという層なのではないかとも思う。
携帯・PHSに関しても、上京時(1995年)しばらくはまだポケベルが主流だったし、学校でもPHS持ってる人は珍しく「あの人PHS持ってる」と話題になるほどだった。徐々に携帯も普及し、学生でも金に余裕ある人や交友関係広そうな人から持ち始めていた。そう、金もない上友達たいしていない民にとっては、そんな急いで連絡とりたい相手もいないし持っていても誰からも連絡ないのは辛い、という理由からそこまで積極的に持つものでもなかった(私の場合)。しかし「携帯があったほうが就職活動に便利らしい」という説が流れ、1997年末頃にはそこそこ持ってる人増えて1999年春の卒業時にはほぼみんな持ってるという超過渡期に生きていた。

少し話はずれたが、そんな時期の漫画界隈の「サブカル」的なものについて、当時の自分の記憶と経験・思い出を含めざっくり雑な印象で語ろうかと思う。
当時の自分の確かな記録(日記等)は別にないので、勘違いやもっと後世の記憶との混濁・改ざん・捏造・参照情報(wiki)の誤りなどもあるので、全てを信じないでほしい。
また画像はほぼ拾い画です。すみません。一部は手元にあるものです。

とくに何かカルチャー最前線や特殊な環境にいたわけでもない、90年代後半を東京で生きた単なる普通のいち読者であった若者の話として聞いていただければ。

世紀末前後の新創刊サブカル漫画誌

90年代サブカルを代表するといえるカルチャー誌『Quick Japan』の太田出版が『マンガ・エロティクス』を1999年4月に、『マンガF』2000年6月に創刊。

表紙・松本次郎
表紙・やまだないと

カルチャー誌『H』がコミック誌『コミックH』を創刊したのも2000年。右下に10と見えるので10月号なら8、9月ころ発売されたのかな。

表紙・真鍋昌平

このあたりは、掲載されている個々の作品・作家が全て「サブカル」的と言えるわけではないが、コミック誌として「サブカル系」と捉える人は多いと思う。つまりこの頃にはもうこういう系統のコミック誌を好む読者層(=サブカル層)がいると想定されていて、2000年にはすでに「サブカル系漫画」的な概念ができあがっていたといえるのではなかろうか。

90年代後半サブカルイメージのコミック誌

少し時間を遡り2000年以前の1990年代後半に、その後「サブカル系」と呼ばれたり「ヴィレヴァンで売ってそう」と言われることになる傾向の作品を載せていたコミック誌を見ていく。

ちなみに80年代に名古屋で創業したヴィレヴァンは、1996年10店舗に拡大、1997年にかけて関西九州北海道関東へ進出しているようで、90年代後半サブカル漫画の重要要素であることは疑いない。

『COMICアレ!』が1993年11月創刊準備号〜1997年休刊。『COMIC CUE』が1994年12月創刊。1964年創刊の『月刊漫画ガロ』は1996〜1997年あたりに色々あり休刊したり復刊したり(このあたりは詳しくネットに情報があります)で、事実上の後継誌『アックス』が1998年2月に創刊。

表紙・江口寿史
表紙・湯村 輝彦
表紙・しりあがり寿

参考までに『アックス』が出た頃の『月刊漫画ガロ』

表紙・ねこぢる

とくに『COMIC CUE』をイメージとしての90年代後半サブカル漫画誌代表と捉えている私の同世代は多いはず。
『COMICアレ!』と、その流れにある『COMIC P!』、『COMIC CUE』の当初は、80年代のサブカルチャーがサブカルチャーだった時代の空気感、具体的には『ガロ』(アングラ)『漫画ブリッコ』(おたく)『マンガ奇想天外』(SF)あたりと、かつてニューウェーブ漫画と総称された方々を90年代風にパッケージングという印象。
「漫画・サブカルチャー」みたいな話だと、80年代のこの辺から語る当時の業界側の方々は大勢いらっしゃるし、世代外の私としてはリアタイじゃないのでピンとこないし、もうその辺の話からおたくとサブカルチャーを語るのは十分供給があるので、私はとにかく同世代がその当時感じた話がしたい。

そういう話では、われら世代にとってはその頃「正直江口寿史先生ってピンとこない」問題がある。あるよね?
漫画のパイレーツとひばりくんにハマった世代って上だし、私の世代だとひばりくんのアニメが好きだった人もいるのはもちろんいるにはいるけど…くらいの感じ。当初の『COMIC CUE』の江口寿史先生の責任編集という部分に最も食いついたのはやはり少し上の世代なのではないだろうか。
自分の世代としては、逆に『COMIC CUE』というコミック誌の存在や自分達が好きな人たちがリスペクトしているからすごい人なんだろう、と捉えた人結構いたんじゃないかと思う。私は上京するまでデニーズのない地方に住んでいたためデニーズのイラストを描いてる人、というのもなかったし。

ガロの意思を継いだ『アックス』は「国内唯一のオルタナティブ・コミック誌」を自称していた。オルタナティブ・コミック誌、たしかにその言い方はしっくりくる。

『オルタカルチャー日本版』が出たのが1997年10月、この頃すでにかつての「サブカルチャー」という言葉の意味の崩壊うんぬんという話にはなってて、序文で《あるものをオルタカルチャーと呼称すること自体に意味はないという反論もあるだろう。単にサブカルチャーを言い換えただけではないかと。しかしあるジャンルに当てはめること自体が無効であるという意味において、オルタナティブという言い方は有効に思える。少なくともサブカルチャーよりは。》とある。

かつての「ニューウェーブコミック」のように90年代のある種の作品を「オルタナコミック」(オルタナティブ・コミック)とでも呼ぶのが定着していれば、もう少し後世に伝えやすかったかもしれないと今思った。だが、すでにそういったジャンル分けは意味のない時代であったのだ。

商業施設パルコのフリーペーパー『GOMES』(1989年〜1996年)も90年代サブカル(チャー)語りで出てくるんだけど、パルコがない地方都市育ちには関係のない話だし、微妙に90年代後半からずれるし漫画からはずれるので触れません。一応上京した時には無くなる前だったけど…。セゾン文化がどう、というこの辺の話も上の世代がよく語ってるのでそちらはそちらで。

『TVBros.』や『SPA!』の立ち位置も当時の若者にとって重要なんだけど、これも漫画の話題からずれてくので今回はヨシとしよう。

<追記>
この記事を読んでくださった有識者に90年代後半には『まんがガウディ』(1995年~1997年)というのもあったと教えてもらった。後継誌である『まんがアロハ!』は覚えているのだが、こちらは当時安彦麻理絵先生の「臍下の快楽」や南Q太先生の「愚図な女ばかりじゃないぜ」のコミックスの奥付の初出で誌名を見ただけで、雑誌自体はあまり覚えがなかった。

表紙・ねこぢる

前身が『まんがシャレダ‼️』(1992~1995年)という『みこすり半劇場』の増刊からの流れとのこと。この『まんがガウディ』、ユニセックスを謳っているところや表紙デザインなどかなり90年代後半サブカル系コミック誌の佇まいだ。男性ファッション誌『asayan』を出してTVCMうってた頃のぶんか社の流行先端ぷりがうかがえる。

90年代後半サブカル・オタクイメージのコミック誌

月刊コミックビーム』は1995年11月創刊した。前身が『アスキーコミック』と『ファミコミ』ということで当初はゲームを題材とした作品が多く、創刊号はこんな感じだったようだ。

表紙のカエルは「はるなゆきのり」さんという方によるものらしい。右上にはファミ通などでおなじみ松下進さんのイラストも。

1997年1月からメインがカエルじゃなくなっている。

表紙・寺田克也

1990年代後半のビームは、ジャンル分けするならまさに先ほど言ったところの「オルタナコミック」に属する雰囲気で、実際アックスとビームは編集方針に共鳴するところがあり相互に広告も出し合っているとwikiに書いてある。ただ微かに残るゲーム要素が「オタク」寄りの雰囲気を醸しだしていた印象がある。我らファミコン世代にとってゲームはオタクでもサブカルでもなくドメジャーエンタメではあるが、ゲーム自体ではなくゲームのキャラクターをゲーム以外の部分で楽しむという行為にオタクみを感じていたのかもしれない。アーケードゲームのコミカライズ主体の雑誌『コミックゲーメスト』(1993年〜1997年)もやはりオタクよりのイメージ。

また、『アフタヌーン』は80年代から今も続く大手講談社の月刊青年漫画誌だが、美大系っぽい密度の高いアーティスティックな絵の作品多く、独自性をもった実力派の新人作家を輩出していて、メジャーの中のマイナーで、オタクとサブカルのハイブリッド的なイメージはその頃からある。

90年代サブカルの話になると頻出する「新世紀エヴァンゲリオン」だが、エヴァの漫画を掲載していた『月刊少年エース』(1994年10月創刊)は、当時の立ち位置としてはオタクよりの少年誌くらいの感じだったのでは。
スタイリッシュ表紙の成人漫画『COMIC快楽天』(1994年に増刊号スタートで1995年9月から独立創刊)やコミック誌ではないけどアダルトゲーム雑誌『Puregirl』みたいな、スタイリッシュな美少女系は、後世ではざっくり「サブカル」と扱われることもあるが、当時としては「オタク」のものだった。
90年代後半PCユーザーの増加に伴うエロゲ界隈の「サブカルチャー」の流れは送り手側も受け手側も語る人が多い(というかネットに情報が残ってる)印象なので、この辺は詳しい人の詳しい情報を読もう。

これはすべての漫画雑誌にいえることだが、やはり90年代後半の成人誌というカテゴリーの中でも「オタク」より「サブカル」的な立ち位置となっていった作品・漫画家はあった。

1990年代後半のBL界隈の話もまったくわからない。『JUNE』は1995年に休刊となっているし、そもそも私はJUNEも読んだことない。
この界隈も80年代サブカルチャーの流れをくみながら90年代では「オタク」のものとして存在していたのだろうが、この界隈も語り部が多いので詳しい人の詳しい情報を各々見つけよう。

その他90年代後半に大手以外のコミック誌例

ヴィジュアル系音楽誌ショックス増刊の『ロッキンコミック8ビートギャグ』(1997~1999年、80年代の洋楽のものとは別)、ねこぢる先生も連載していた『月刊コミックビンゴ』(1996〜1999年)『まんがアロハ!』(1997-1998年)、前身がコミックバーガーでその後母体の会社や名前を変えて生き残る『コミックバーズ』(1996〜1999年)、さくらももこ先生「コジコジ」が連載していた『きみとぼく』(1994年〜2000年)、ホラーオカルト少女誌の流れを汲む『眠れぬ夜の奇妙な話』が1994年に『ネムキ』となり、さらにホラー色薄めて1996年5月号から独立創刊など、いわゆるサブカル的パッケージングではなかったものの、この頃できた雑誌には90年代後半の漫画界隈の空気感がある。

90年代後半漫画界隈の状況

さて、ここでもうひとつ「90年代サブカル」の話がでる時に『Quick Japan』や『危ない1号』と並んで名前が上がる世紀末B級NEWS雑誌『GON!』が、1997年11月に『COMIC GON!』第1号をだす。

表紙・いろいろ

これは漫画も載ってるが、コミック誌ではなく「コミックの新解釈分析雑誌」だ。当時連載中の漫画作品に対する分析もあるが、全体的に懐かし作品に関する企画が多い。扱ってる話題的に対象年齢の中心としては1970年前後生まれから数年のいわゆる団塊ジュニアど真ん中世代か。やはりここでも自分は少〜しずれるなと思う。

90年代後半の漫画界隈の思い出を語る上でヴィレヴァンとともに外せないのがまんだらけだ。中野ブロードウェイの古書店まんだらけが、渋谷の道玄坂に店を出したのが1994年。1997年には宇田川町に移転してさらに広くなった。
私は漫画が好きではあるが、同人誌やコスプレといったコミケ界隈の文化は一切知らなかったので、上京してから行った道玄坂時代のまんだらけで初めて生でコスプレ&同人誌に触れた。間違いなくまんだらけは「マニア・オタク」をイメージする存在であった。

とはいえ私自身は自分の行動範囲内にあるほかの古本屋(街に小さな古本屋が今より断然多かったしブックオフやDORAMAみたいなチェーン店も色々あった)と同じ感覚で、読みたい漫画を安く買う&手に入りにくい漫画を探すために行ってたので、あまりまんだらけをオタク的にとらえていなかったが。その頃の渋谷といったらまだまだ若者カルチャーの震源地。宇田川に移転してからは同じ建物内のレコファンとまわすのがお決まりコースであった。まんがの森も近くにあったが私はそちらはほぼ入った記憶はない。

ここで話を『COMIC GON!』に戻すが、この雑誌のように1996~1997年頃漫画を分析・紹介する本が多数出版されていた。「このマンガがすごい!」(現在の毎年のランキング形式のものとは別スタイル)などの別冊宝島のシリーズや、「マンガ地獄編」「まんが秘宝」、『Quick Japan』で連載されてた「消えたマンガ家」のシリーズもこの範疇か。

過去の作品を再評価したり、カタログ的に紹介したり、別の視点でツッコミいれたり、「売れてないが面白いマイナーな漫画を発掘する」「メジャーな漫画を斜めから楽しむ」「有名だけど読み逃してたり忘れてたり最後まで読んでなかったりする漫画を再確認したり新解釈で楽しむ」「マイナー漫画をさらに斜めから楽しむ」など、様々な方法があることが提示された&そういう楽しみ方をしてる人がいることが可視化された。
1990年の「いきなり最終回」や1992年の「磯野家の謎」がヒットしてたこと考えると、おそらく90年代前半からそういう気配はあったし、古い漫画が文庫版サイズで出直して入手しやすくなったりという状況もあったんだろうが、この頃はよりニッチとなっていってる感じがする。

個人的には、漫画作品自体ではなくさきほどあげたようなこの漫画に対する王道ではない姿勢そのものが私が思う90年代サブカルっぽさである。
またこの姿勢はその後のネット文化内ではむしろ主流とも感じていて、漫画の画像がネットミーム化していく様など90年代サブカルっぽいな〜と感じている。昨今のYouTuber考察界隈も。
そして対象に対してきちんとリスペクトがあるのが良い90年代サブカルで、リスペクトがなくどこかバカにした態度でいるのが悪い90年代サブカル、とざっくり捉えているが、これは私なりの解釈だ。

前回書いた90年代末のおしゃれコミック群を私自身がサブカル的と捉えてないのは、あれが「自分世代に向けられたその当時の王道」だと感じて真っ直ぐに楽しんでいたからだ。
逆に私は90年代後半、古本屋で70〜80年代の少女漫画をよく買っていたが、その古さが醸し出す面白さを楽しんでいたのは非常にサブカル的だったと思う。当時の自分はその行為がサブカルともオタクともなんとも思ってなかったけど。

再び世紀末前後のサブカル漫画誌

『COMIC GON!』は、全5号で休刊したらしい。
そして1999年12月には、フィギュア・ホビー総合専門誌『フィギュア王』(1997年2月創刊)から『コミック・フィギュア王』が出版される。

表紙・川崎のぼる

しかしこうしてみると90年代末、いろんなコミック誌が出てるな…。
この『コミック・フィギュア王』は有名な過去の名作群が完全新作で載っている。『COMIC GON!』にも新作漫画がいくつか載っていたが同じ方向性だった。こういうコンセプトだから作品の時代を絞るのは難しかったのか、幅が広くターゲット層の世代はどこだという気がするが、先にも述べたよう、この頃は旧作にもアクセスしやすい環境であったし、どこかの世代というよりも中野ブロードウェイで古本買ったりフィギュア買ったりする層向け、ということなのかなと思う。この本は1号のみだったっぽい。

一番最初にあげた同時期創刊の『マンガ・エロティクス』『マンガF』『コミックH』と、だいぶ雰囲気は違うがこちらもコミック誌として「サブカル系」と捉える人は多いのではなかろうか。

まとまらないまとめ

自分自身の記憶だと、学生だった1999年頭までは「サブカル系」という言葉で漫画をジャンル分けすることはなかったと思う。手元にある雑誌にもその言葉はみつからなかった。

ここまで書いてみて私なりに考える、90年代後半に刊行されいてその後「サブカル系」と言われることになる漫画は、

・80年代のサブカルチャー『ガロ』(アングラ)『漫画ブリッコ』(おたく)『マンガ奇想天外』(SF)あたりと総称ニューウェーブ系出身で90年代後半も活躍を続ける作家の作品
・90年代後半の『ガロ』『アックス』掲載作品全般(単にマイナー=サブカル、くらいの意味合いで)。あまりに絵にポップさがないものはサブカルではなく「アングラ」扱いかもしれない。
・その他大手&中小のコミック誌(成人誌含む)の中でもアーティスティックな画風だったり一般的には受けないようなクセの強い作風だったりで少し浮いてたり、大ヒットはしてなくてもコアなファンがついてる作品。
・キャラの服装や生活スタイルに流行を反映し、女性の赤裸々なリアルを描いたおしゃれな作品。
・発掘された特殊な過去作品。

そして2000年初め頃は上記に加え、(voi.7以降の)『COMIC CUE』、『マンガF』『マンガ・エロティクス』『コミックH』に掲載されているもの全般、というイメージになっていったのではなかろうか。

さらに、そこから「サブカル(笑)」「オシャブカル」と揶揄される時期があったり、サブカル漫画代表とされる浅野いにお先生の登場があったり、「オタク」側の隆盛があったりとめくるめくサブカル系漫画事情があるが、その辺はまたそれぞれがそれぞれの思い出を語って行ってくれれば多角的な視点で見ていけるのではないだろうか。ちなみに『月刊IKKI』が新創刊された2003年にはすでに「大手の小学館がこういう(=サブカル)コミック誌やるんだ」という印象だった。


自分の経験として90年代末頃、自意識とバンドTの話の中でも書いたが、

「漫画が好きって言っても松本大洋とかでしょ笑」という言われ方をした覚えがあり、意図としては漫画が好きっていってもオタク趣味なものではなく超メジャー誌スピリッツの中で個性的な作風の松本大洋先生みたいなのを好きなことが「普通よりも漫画好き」とでも思ってるんでしょ?というようなものであった。その頃まだ「サブカル」という言葉はなかったが、すでに「サブカル(笑)orオシャブカル」という意味合いの概念を持った者はいたということだ。
私は社会人になってからようやくPCを買ってインターネットに繋がったのでわからないが、当時のインターネットの中のどこかではすでにこのサブカル(笑)概念が言語化され共有されていた可能性はある。

また、同じく90年代末頃一般的な大型書店でバイトしていた漫画好き男子学生にオススメ漫画を聞いたところ「南国アイスホッケー部の人の新作が面白い(※久米田康治先生の「かってに改造」)」「あかねちゃんOVER DRIVEはいい(※その後河下水希のペンネームで少年誌でも活躍する桃栗みかん先生の少女漫画)」と言っていたのは覚えてる。雑誌ではビームとアフタヌーンとのことだった。ジャンル問わず幅広く現行の漫画をチェックする当時の「漫画好き」(その後の言葉でいうところの「漫画読み」)のひとりの姿で、サブカルかオタクと二択なら嗜好的にサブカル寄りなのかもしれないが、そんな雑なジャンル分けはとてもできるものではない。
つかこの時代のこういうタイプの漫画好きが「サブカル系」とくくられるのを一番嫌がりそうなイメージある。

このように、私自身にとって漫画における「90年代後半のサブカル」は、個々の作品ではなく「漫画に対する姿勢」だが、その後サブカル系とされる漫画は上記にあげたようなものだと考える。

さらに「サブカル(笑)」と揶揄られるものは、サブカル的パッケージングのコミック&コミック誌を「サブカル的だから好き」という価値観で消費しようとしている態度のことなのかなーと考える。今考えた。

ちょっと疲れたのでこの辺で終わろうと思うが、雑に書こうと思ったこのnoteは意外と大作になったので、また加筆修正して行きたい。
同世代でこの辺の思い出を語りたい方は連絡ください!




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