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2023年、どうやって生きる?〜ノブレス・オブリージュの話

※年始に出そうと思っていた記事に加筆しています。「年」→「年度」だと思って読んでください。


社会人になったら、永遠にn+1年を重ねて変わり映えのしない日々を過ごすのだと思っていた。昨年4月で社会人5年目になったが、全くそんなことはなかった。

丸4年耐えてきたのだ。社会というクソに。病まない限界を見極めて、自分で自分の機嫌を取るために金を惜しまず、常にウマ人参状態で数日先の楽しみを目標に走り続けてきた。業務量も期待値も高まる一方だったが、人間関係にも恵まれ良いチームに配属された。過去に経験したことないような残業時間が数ヶ月続いて、同じチームの先輩と励まし合いながら(たまに愚痴も言い合いながら)終わらない仕事に齧り付く毎日。このまま走り続けられると思っていた矢先、気がついたらわたしは会社のトイレの床に転がっていた。今ならわかるが、パニック発作だった。

そこから2ヶ月耐えた。メンクリに行ってクスリをもらい、だましだまし働いた。死にたさも不安症状も消えたのに、どんどんやれることが減っていった。得意だった「文章を書く仕事」も、普段の5倍時間をかけて50%のクオリティしか出せなかった。推敲しても推敲しても破綻した日本語のような文字列が残った。予期しないミスが増えた。挙句の果てに、役員クラスが集まる会議に寝坊。自分で自分を制御できないことを認めて休職に入り、今に至る。

休職に入った最初の2ヶ月、自分なりにまじめに過ごしてみた。それなりの回復を感じた。ストリップに行くようになり、推しができた。推しのステージを見るたびに元気をもらった。

カウンセリングにだって通った。「まともな生活に戻りたいんです」と言って「毎日何時に起きていますか」などと聞かれていたが、おそらくわたしに必要なのは生活習慣の改善ではない。なんでこうなってしまったかの分析も、もうこうならないようにするための対策も、根本的なところには目を向けられずにいた。
当初は3ヶ月だけ休むつもりだった。3ヶ月目に入った途端「来月から復帰しなきゃ」のプレッシャーに負けてめちゃくちゃに体調を崩した。そのままずるずると休職を延長し、かれこれ半年が過ぎた。

復職への意欲は人一倍あると思う。だって職場には何一つ悪いところがない。有能な同僚と理解のある上司に囲まれて、本当に恵まれた環境だ。仕事内容も、よくよく考えてみれば自分が今の会社を選んだ理由にいちばん近いことだったりもする。この会社でなければできないだろうな、ということをしている(ような気がする)。わたしのようなぺーぺーにも色んな世界を見せてくれるし、わたしの得意を活かせるように仕事を振ってもらっているのも感じる。何てったって冬のボーナスもちゃんとくれたのだ。ありがたいし、やさしすぎる。福利厚生の大切さを身に沁みて感じる。会社に守られて2022年の後ろ半分は命を繋いできた。

さて、どうしたものか。今のゆるい制度に乗っかった休職は3月頭で期限が切れてしまう。それまでに何とかしたいな〜と思っていたが、体調は一進一退を繰り返し、リワークという復職支援プログラムにも週1行ければ良い方。今月末で診断書切れるんですよね〜来月から復職とか無理ですよね〜ってお医者さまに聞いてみたら「そりゃ無理ですよwww」と笑ってくれた。心底ホッとした。

というわけで今月から正式に「休職」となり、傷病手当をもらいながら生活することになった。そのための書類を準備する事すらリハビリに感じられるくらい、仕事らしいものから遠ざかっていた。机に向かって書類に文字を書く、久々の感覚。ちょっと前進した気もした。

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仕事を休んで布団に転がっている間、真面目に内省してみた。わたしがこうなってしまった原因は「自己開示風道化」にあると思う。

とにかく弱みを見せたくないわたしは、まず自虐を交えながら安全な範囲まで自己開示をする。安全な範囲の自己開示というのは「元気であけすけでひょうきんで、ちょっとドジで、でも仕事はちゃんとやる焼豚女ちゃん」に見せるということだ。
そして、先輩たちには「焼豚女には何を言ってもよかろう」と思わせ、いじられキャラポジションに落ち着くというのが、社会に出てからのわたしの処世術だった。この布石を打っておくことで、先輩はわたしに指摘しやすくなり、わたしもポンコツを晒してもガハハと笑って再チャレンジさせてもらいやすくする。先輩にとっては指摘へのハードルとエネルギーが下がるし、わたしも何か言われたときのダメージが少ない。かなり美味しい生き方だと思ってやっていたし、実際4年間はそれでうまくいっていた。

ただ、それがうまくいくのは「何だかんだ仕事をやる焼豚女ちゃん」でいれる間だけだ。ADHDのわたしは、来た仕事を爆速ワンパンで打ち返すスタイル。そのため、仕事が渋滞していないときは「仕事早いね〜」と褒められる。しかし仕事が渋滞してくると、自分でつけたはずの優先順位のことも忘れて「ああああああああああ終わらないいいいいいいいい」と発狂状態に陥ってしまう(一応、優先順位付けなどの基本的な仕事スキルは学んできたはずなのだが)。そうなるともう仕事用の思考に脳みそを割けず、「あああああああああああああ」で脳みそがいっぱいいっぱいになってしまうのだ。

で、色々破綻して、「元気であけすけでひょうきんで、ちょっとドジで、でも仕事はちゃんとやる焼豚女ちゃん」でいられなくなり、わたしの綱渡り会社員生活は一旦幕引きとなった。

わたしの休職もあってか(?)、所属している部署は今年の人事異動で無事増員となり、わたしの帰還もそこまで急務ではなくなった。いや、そもそも会社という組織に属しているんだから、わたしがそんなことを心配しても仕方ないのだが。

たまーに先輩?戦友?のような同僚氏からLINEが届く。大抵は、わたしのプロフィール画像が変わったタイミングだ。プロフィール画像がかわいいとか怖いとか、そんな話のついでに会社の状況をさらっと教えてくれる。特にガッツリ仕事の話をするわけでもないのだが、先日はこんなエピソードを持ってきてくれた。

※イケオジとセンパイはよく一緒に仕事をしてた偉い人

ありがたい話だ。わたしがいない場でいちいちわたしのこと思い出してこんなポジキャンしてくれるなんて。

こんなんだから、復職したいという気持ちを捨て切れないのだ。

仕事というものに過剰に思い入れや責任感を抱いてしまったことと、道化を演じて無難にやり過ごそうとしたこと、この二つはどうにも上手く噛み合わない。作戦失敗、側から見たらわかりきった敗北だっただろう。

自己開示風道化と言ってみたが、道化はほぼ自動的に行われており、本来の自分はどこにいるのか正直なところ全くわからない。
仕事を振られたときに「やりまーっす!」と元気に答えるわたしは確かに道化だが、他の何かをすきな気持ち、大切に思う気持ちすらニセモノかもしれない。ぐちゃぐちゃだ。

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わたしがどうして今の会社にいるのかという話。そりゃ働かずに生きていきたい気持ちは人一倍強いのであまり真面目に語っては来なかったが、それを改めて書いてみたいと思った。

わたしは、クラスの7割が農家の子、他はせいぜい公務員か寺の子、みたいな、もう本当にリアルガチの田舎で生まれ育った。うちはうちで小さな商店を営んでいて、より小さな商店にお菓子を卸したりもしていた。それだけでクラスの中では「ちょっと珍しい存在」だった。

うちから見える景色
振り返るとこんな感じ

という環境で育ったこともあってか、わたしの中で植物や農業はあまりに身近で、その恩恵も強く実感していた。食卓に並ぶ野菜はほとんどが「近所からのもらいもの」で、スーパーで野菜や果物を買ったことがほとんどないくらいだったし、そういう食材を美味しく調理してくれるおばあちゃんがいた。毎日ごはんがおいしかった。
食べ物の最初の最初を生み出す一次産業が"いちばんえらい"という価値観が形成され、一次産業がもっと強くなれば農家さんもハッピーうちの地元もハッピーなんやかんやでみんなハッピーになるだろうと、漠然と考えていた。

とは言え田舎のクソみたいな空気感には馴染めなかったので、とにかく都会の高校に行かねば!と、わざわざ県で一番頭の良い高校に進学した。まあ九州のド田舎県なので都会と言っても知れている。が、その高校はその高校でクラスの半分が医者の子といったかんじで、中学までの農家農家農家農家とはちがう、何かもう全てが衝撃で新鮮で目新しくて楽しかった。
今となってはほぼ座右の銘になっている「ノブレス・オブリージュ」という概念も、その高校で教えられた。何せ、英語のオリジナル教材の名前が「noblesse」なのだ。思想が強すぎる。

ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige フランス語: [nɔblɛs ɔbliʒ])とは、日本語で「位高ければ徳高きを要す」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うことを指す。〜中略〜 最近では、主に富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。

Wikipediaより

文字通りの意味は上の通りなのだが、高校では「持てる者の義務」=「キミたちは頭が良いんだからちゃんとそれを社会に還元しなさい」という風に解釈された状態で、この言葉を習った記憶がある。
幼少期から「わたしがやることに意味があるもの」にやたらこだわっていたということもあり、この考え方がめちゃくちゃ腑に落ちてしまった。馬鹿だな〜安直だな〜と思われるかもしれないが、今でもそう思っているのだ。

だから!だからわたしは北海道ジャガイモホクホク大学の農学部に安直に進学し、作物の品種改良に関わるような研究室に入った。割と思い描いていた通りの安直なストーリーだった。

就活もそのつもりで、一次産業に近い食品メーカーをメインで受けた。デカい会社で何かを成し遂げたら、日本の一次産業に何か還元できるかもしれないと思ったからだ。そして運良く今の会社に引っかかり、それなりにすきな商材に囲まれてそれなりに文句も言いながらもそれなりのゆるさで働いてきた。

異動してからはより上記の志望動機のような業務内容に近づいて、責任感のようなものがうっかり芽生えてしまった。それなりにほどほどに、がわたしのワークスタイル(笑)だったのに、気がつけば残業残業残業アンド残業!!しかし周りの人たちはもっと残業!!わたしも迷惑をかけないように食らいつく残業!新しい仕事!誰に聞けばいいかわからない仕事!残業!板挟み!偉い人との会議!議事録!アポ取り!会議室確保!残業!執筆!残業!休日出勤!アアアアアアアアッッ…………休職。
志半ば(?)にしてぶっ倒れてしまったわたし。やらなきゃいけないことが決まっていてそれを淡々とやる、というよりは、やるべきことを見つけてくるのが仕事、といったかんじで、わたしももっとやるべきことがあったし、次のステップも見えていた。そんな中での休職だった。

やりがいなどと言ったら笑われるかもしれないが、おそらくこれがやりがいなんだろうな〜と思えるような仕事があり、それをあてがってもらえた。そして、それは特に「わたしがやることに意味がある」と思えるような内容だった。まさしくノブレス・オブリージュ。ここでがんばらねばわたしは一生腑抜けかもしれないと思った時期すらあった。

大きな会社において「○○さんでなくてはならない仕事」なんてものは存在しないとわかっている。わかってはいても、それを信じて(いや盲信して)がんばれる人はやっぱり強いと思う。信じて働き続けていたら、結果的に「やっぱり○○さんじゃなくっちゃ!」と周りの評価もついてくるのだろう。しらんけど。

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当初の「一次産業云々」の話は、別に企業に属さなくてもやれる仕事かもしれない。でもわたしは大きな会社からのアプローチを選んだ。商売として成り立たせなければ意味がないと思ったからだ。外野から綺麗事を叫び続けることは難しくないし、気持ち良さすらあるかもしれない。でも、地方のド田舎の一次産業のような、どうしても立場が弱くなってしまうものこそ、独立した資本的価値をつけなければ意味がない。補助金がないと成り立たないような「地方創生」はウンザリだと思ったのだ。
それが正しいのかはわからないけど、やはりこの立場を捨てて退職してしまうのは惜しいと思ってしまう。どうせどこかで仕事をしなくてはいけないなら、今の会社に復職して、少しでも上記の分野に関わっていたい。そこから色々学んで、いつかは今の会社を離れるかもしれないけれど、志半ば(笑)で休職したままフェードアウト…というのは、わたしとしては考えたくない選択肢なのだ。
働きたいとか働きたくないとかの話ではない。どうせ働かないと生きていけないなら、ノブレス・オブリージュでいたいという、ちっぽけなプライドの話だ。

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みんなは何で仕事をしているんですか。お金のためだとは思いますが、そこにノブレス・オブリージュはありますか。

ある方がいいのか、ない方がいいのかはわからない。仕事との距離感は人それぞれだと思うし、わたしはある程度離れていたい派でもある。でもそれはそれとして、いざ仕事をするぞとなったら、ノブレス・オブリージュという言葉が支えになるのは事実なのだ。

高校時代に出会った言葉に未だに助けられ、一方で縛られてもいる。この話に結論が出るのはもう少し先だろう。休職期間目一杯つかってゆっくりじっくり考えたいと思います。

おわり

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