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『一匹のモンタージュ』リクリエーション|アフタートーク(ゲスト:青柳菜摘)

2023年10月13日(金)にこまばアゴラ劇場で開幕を迎えた『一匹のモンタージュ』リクリエーション。10月16日(月)の終演後実施した、青柳菜摘さんとのアフタートークの様子をお届けします。


登壇者

青柳菜摘
1990年東京都生まれ。アーティスト。あらゆるものの成長過程を観察する上で、いかに表現することが可能か、リサーチやフィールドワークを重ねながら、見ているものがそのまま表れているように経験させる手段と、観客がその不可能性に気づくことを主題として取り組んでいる。近年の活動に個展「亡船記」(十和田市現代美術館, 2022)、詩集『そだつのをやめる』(2022)第28回中原中也賞受賞。コ本や honkbooks主宰。

今野裕一郎
1981年生まれ。演劇作家・映画監督。ドキュメンタリー映画から創作を始めて2010年よりバストリオを主宰し、全作品で作・演出を務める。舞台、映画、インスタレーション、文筆など活動をボーダーレスに展開して作品を発表。2021年に北海道・知床で「葦の芸術原野祭」を立ち上げ、企画・運営に関わる。コロナ禍で撮影した新作映画『やさしい家』『YOU CAN SEEEE IT』『縄文のはじまり(仮)』の三本を公開予定。

橋本和加子
1984年大阪生まれ。京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科卒業。佐藤真ゼミでドキュメンタリー映画を学び、宮沢章夫が演出する授業公演で初めて舞台に立つ。2010年にバストリオを立ち上げ、俳優・制作・録音を担当。バストリオの配信企画『///(かわ)』ディレクター。葦の芸術原野祭実行委員(北海道・知床)。映画出演作として今野裕一郎監督『グッドバイ』、『ニュークリアウォーター』。菊沢将憲監督『凹/eau』、『二羽の鳥、徹夜祭。』がある。


橋本:それでは早速トークを始めていきたいと思うんですけれども、今年の5月に三鷹のSCOOLで上演をした『ちちち』という作品を青柳さんにご覧いただいて、その時にご感想をいただいて、すごい嬉しかったなと思いまして。今回よかったらトークにご登壇いただけないでしょうか、ということでお招きいたしました。 見終わってすぐに感想といっても、ちょっと難しいかとは思うんですけど、どうでしたか?2回目ですよね。

今野:あ、でもまず『ちちち』でどう思ったのかとかも、最初聞けたら嬉しいです。

橋本:『ちちち』の時のこととかって覚えていらっしゃいますかね。

青柳:(バストリオの作品は)『ちちち』のときが初めてで、一体どんなことが起きるのかわからないまま来たんですけど。山下澄人さんの『壁抜けの谷』から、『ちちち』っていう音が出てきて、舞台の上でいろんな遊びになってるみたい、と思ったことを覚えてます。

橋本:ありがとうございます。確かに今回、1番最初のシーンとか、「知覚」ってテロップ出てたと思うんですけど。2人が向き合って、「あると思う?」とか「ないと思う」とか、 こう目を閉じた状態で(手を相手の額にかざすように)するとか。私はあのシーンが今回あった時に、前回の『ちちち』でもそういうシーンあったなというのを、ちょっと思い出したりとかしてて。

冒頭、「知覚」のシーンの様子

青柳:手の交換とか。

橋本:あ、そうです。手の動きは『ちちち』でも実はあったりとかして、 結構繋がっているところはありますよね。前回はSCOOLっていうギャラリーで、もう本当に全然違う場所で。SCOOLご存じじゃない方もいらっしゃるかもしれないですけど、 真っ白な空間で、ここ(アゴラ)よりも全然もっと小さくて。ギャラリーというか、ライブハウスでもあり、映画の上映をやったりパフォーマンスもやったりする場所で。すごくフラットで、こういう風に段差もない状態でやってたんですけど。劇場でバストリオがやるっていうこと自体があまりない機会なんですね。しかもロングラン公演でやるっていうことは初めてくらいで。どうでした、見てて。

青柳:めちゃくちゃ面白くて!多分、(会場にいる)みんなが、上演が終わった今、そういう気持ちなんじゃないでしょうか。私は映像を作ることが多くて。

今野:はい、見たことあります展示で。

青柳:それで、モンタージュっていう言葉がタイトルに入っているのが気になって。映像の中のモンタージュって、自分にとってはすごく窮屈な作業なんです。時間は必ず始めと終わりがあって、出来上がる映像は平面で、さっき見てた映像をカットしてしまったら、今見ることができない、みたいな作り方なので。どうしたらそれを崩せるんだろうって、ずっと考えて作ってるんですけど、もうこれ(上演)ができてる状態。モンタージュを1番自由な形でやっている、みたいな。舞台上のいろんなところで、さっき言った編集(モンタージュ)みたいなことが行われてて、でも映像の編集みたいに1人でずっとパソコンに向かったり、映像と向かい合うみたいな編集じゃなくて、自分自身が全体を見ることはできないけど、舞台上にいる10人全員がこの上演を、時間も行き来しながら作っていくみたいなのが、めちゃくちゃ面白くて。これを作ろうとした時に、1番最初に何が生まれたのかが気になります。

今野:最初はいつも作り方として台本みたいなのが無くて、本当に集まった人間たちで寄せ集めて作っていくんですけど。この作品の始まりっていうのは、この作品に名前をつけるっていうところから始まっていて。『一匹のモンタージュ』も、最初に『一匹のモンタージュ』という言葉が、自分は結構メモする人間なんですけどその中にふって書いてて。なんで書いたかもちょっとあんま覚えてないんですけど。この人たちでやるって決まって、ある時その言葉が、「あ、これかも」っていうのが勘なんすけど、入ってきて。「あ、じゃあこれ多分『一匹のモンタージュ』だ」ってなるみたいなところが。多分最初は、名前をつけることが最初の発表なんかなみたいな、僕から始まっていて。
今回、チラシ作ってくれたりポスターも作ってくれてる鈴木健太くんと黒木麻衣さんが2人で、僕と一緒に話して、フライヤーのデザインどうしますかっていう最初のビジュアルを作る作業っていうのを結構いつも大事にしていて。最初の1枚っていう感じなんですけど、そのイメージを1人で作るんじゃなくて、黒木さんと健太くんが実作業してて、僕も何を考えてるかちょっとまだはっきりはないけど、なんかこういうものがあってっていうことだけ話して、(ビジュアルが)生まれる。

『一匹のモンタージュ』リクリエーションのフライヤー|絵:黒木麻衣、デザイン:鈴木健太

今野:で、そのまた1枚のチラシのビジュアルから、「こうなったんだ」って思って、また僕が考え出すみたいな、反射がずっと起こってるみたいなイメージがある感じな気がします。最初はそれですかね。

青柳:おもしろい。言葉が1番最初にある。

今野:うん。でもなんか人な気がするんですよね。やっぱり最初に集まってくれた人たちがこの人たちになった瞬間が始まりという気がするんで。舞台最初にどの人たちとやるというところからなんとなく始まっていくんで。そこがないと多分この上演とは絶対なんない。僕が最初に名前つけて(すべてが)始まることは、昔はあったんですけど、もうここ何年もずっとない。最初はなんかあったんです、自分から始まっちゃうみたいな。でも自分から始まるよりは、もうちょっと受け取ってるところから始めたいみたいなのを起点にしてます。

青柳:10人って結構たくさん人がいると思うんですけど、でもみんなが同じことを考えてないなっていうのをすごく思って。

今野:あ、嬉しいですね、それ。

青柳:だから「1番初めに生まれるものはなんなんだろう」って思ったんです。「一匹のモンタージュ」っていう名前が生まれた時にきっと、「あ、もうそれぞれで考え始めちゃっていいんだ」ってなるのかなと思いました。タイトルがすでにあるから。でも、その10人が1つの場所に集まった時に、時間の作り方が違うというか、こう、例えば全員を画家と呼ぶとしたら、描く手法は違うけど、何か別のものを共有している感覚があるのかなと思って。

橋本:場面場面で作っている人たちがそれぞれ、ここの2人の中で起きている共有みたいなのがあるんですけど。その全てっていうのは、全員で共有することっていうのが難しいというか。でもこの人たちが作ったこれ(発表)があるよねっていうことは、みんなが分かっているみたいなことがあって。それで、多分結構バラバラだけど、なんか、つながって。

今野:あー、そうですね確かに。発表、2人か大体3人で作ってもらうんですね。1人1人が持ち寄ったものがあって。例えば、散歩して2人で1時間ちょっと歩くんですけど、散歩して撮ってきた何枚かの写真とかメモとか映像とかをちょっとだけ記録してきて。それは、別に使いたいからっていうよりは一応、保管しとこうみたいな。記憶もあるけど記録も取っておくのは、結構大事にしてて。持ち寄った時に1枚選んでもらって、その日なんとなくどれかってなったり、なんとなく気に入ってたり、これを発表したいっていう欲があったりとか、いろんなことがあって、1個が選ばれる。2人だったら、1つ1つの素材、その人にとっての何かみたいなものが2人の中で共有されて、それぞれがやるっていうことを1個の発表にしないで、1個ずつ作ってねっていうのは、最初に言うんですけど。混ざらないようにしたい。関わるんだけど、こっちとこれ似てるからとか、共通点探して引っ付けちゃったりしないで。したくなるんだけど、そうした方が面白くなることがもしかしたらあるかもしんないけど、あえてしないで。 どんな平凡なものになっても構わないので、まずはそれぞれのものとしてキープしてほしいみたいなことをするんですね。そうなった時、1つの素材に対して結構強く持ってる人と、それを渡された人っていうのがいて発表作って、2個並ぶみたいなことがあるんですね。1個ずつ発表作って、1個やって終わった時には終わったってちゃんと見せてねみたいな。終わってないみたいに繋がないで「はい、終わりました」ってやっちゃっていい。「はい」とか言っちゃってもいいので、ちゃんと切るみたいなことしながら、 1個1個守るみたいなことは結構するんですよ。なんでもないけど、話してるうちに全然寄り道しちゃったり、全然大きく膨らましちゃったり。例えばチョコレートの包み紙が落ちてて、散歩中に拾い上げる。これだと思ってやってるけど、 チョコレートの話をしてると結構なんか美味しいチョコレート屋さんの話とかになっていって、「あそこ美味しいよね」みたいな、「こんなチョコレートのソフトクリーム食ったよね」みたいになって、そっちが1番盛り上がっていつの間にかそこにいって。さっきの包み紙が使われたもの、きっかけにしかなんないみたいになった時に、「いや、でもこれはやっぱ最初の何かだから残したい」みたいなことをちょっとずつ共有していくみたいな発表の作り方をしようとはしてます。

クリエーションで散歩をする様子

青柳:その、2人で出かけていって、発表も2人で?

今野:そうです。

青柳:それは、今回の作り方が?

今野:いや、もう毎度やってて。どうやって演劇作ったらいいのかっていうのが自分はわかんなくて。でも、集まった人たちと何かをやろうってなった時に、自分はちょっと、演劇は不勉強なところもあって。僕は演劇よりも、どっちかっていうと音楽とかライブを見に行ったり、音楽を聞いたり、本を読んだり、映画見たりみたいなことの方が多くて。演劇の演出を頼まれて、友達とどうやってやったらいいかわかんなくて、「こういうのやってみようや」っていうところから始めて遊んでいったら、ちょっとずつ「こうした方がいいんじゃないか」とか、「なんで俺混ざっちゃうの嫌なんだろう」とか、「なんでさっきまでこれいいって言ってたのにもうなくなっちゃったの」みたいなことを最初は言い続けてるうちに徐々に徐々に(形になってきた)。「これなんか自分がいるとこであんまりやんない方がいい」とか。もう散歩にも付き合ってないし、考えてる時にももうほとんど見てるぐらいにして、パッて発表見たりとかをしてます。ちょっと距離を取っていくと、自分の中に保管できるというか。その人がふって表したものの何か核みたいなものを。そこを一応自分は1つ1つのことに小さく感動していて。そのことはキープしようっていう役目みたいなのが自分の中にあって。その人が手放したり、混ざっちゃったり、消しちゃったりしてしまった時に、「あ、でも、あれ、あったよ」みたいなことを言う役というのを、演出でやってます。

青柳:その1つ1つ、動きとか、2人がそれぞれ観察してきたけど、2人一緒にやることで、1人ではできない動きが生まれるみたいな。でも、舞台に上がった時って、そうして生まれたひとつひとつの動きが、独立した動きではなくなりますよね、そういう繋がりはどうやって作っているのでしょう。

今野: その日ある1個のその時の発表を舞台上にあげて、こう(上演に)なっていく過程で、どうモンタージュされるのかということですよね。その瞬間だけは1回、その人たちが絶対に保管してると思って放棄してて。その人がきっと持ってると思って、自分は1回離しちゃって。動いてみて、何度もいろんなことを考えるんですけど。みんなが見せてくれたものを、自分の中にとにかくあるかどうかを、無理やり握るんじゃなくて「なくなっちゃったらしゃあない」と思って。使われない発表がたくさんあるんですけど、残ってなかったり。でもそれを見たっていう体験はみんなでしてるんで、現れなくても残ってて、「あの時あの人こんなこと言ってたよな」とか「なんかやっぱりバーはいいよね」みたいなこととか、何気なく話されることで「あ、やっぱそうだよな」とかいうこととか。そういうのもどんどん、ずっと流れ続けてるけど表面に現れないものは、自分の中に溜まってるけど舞台上に表す時は1回切ってて。単純な動きの気持ち良さとか、この人とこの人が関わらない面白さとか。とにかく僕音なんですけど。この時この人がここにいるってことで出る音、声なんですけど。「この人がこういう音を出してる」っていう印象があって。内容を伝えようとするよりも、その人が1番、、、なんかめっちゃ難しいんですけど。自分の中で、感覚と思考みたいなものがその人に起きてて、その時どうしても感覚の方が強くなっちゃって握りすぎちゃったり、思考を使いすぎちゃって人に話しすぎちゃうみたいなことは結構その人の中にぐつぐつ起こっているけど、できるだけその人がふって、その人と向かい合った時に、どっちもが同時に出るみたいな音があって。それって最初のオープニングで健太くんが話してた、詩が先にあってメロディが後で来て、メロディーが先で詩が後に来るみたいなのととてもよく似てると思ってて。その発表見た時1番感動したんですけど。自分は音楽を作らないですけど、自分がやってることってやっぱそうだったんだってなんか彼の言葉を聞いて思った。曲を自分は作ったことはないけど、 そういう瞬間を待ってるし、その時その人が話した音はめっちゃいい音なんですよね。最初うまくいった時の音を本当に覚えてて。そこを頼りにその音をここに発生させようと思ってます。その時、音がバックミュージックじゃなく、例えばここで人の話聞いてても向こうで犬が吠えてたら犬の声聞こえてるやんみたいな状態で、音をちゃんと残す運動が起きる状態、シンプルに扱おうみたいな状態は舞台中に絶対起こしたくて。(他に起きることと)関係なく出てこれるはずで、でも関係しちゃってくるんですよ、どんどん。それをまた離すとかいうのをひたすら繰り返すっていうのが、稽古ですね。

青柳:モンタージュって、全然違うイメージが隣り合った時に、またそのイメージとも全然違うものが発生してしまうっていうことだと思ってるんですけど。

今野:わかります。

青柳:今話してた音の話って、同時に言葉の話でもあるなと思って。 みんなが話している言葉っていうのが、いわゆるお話というかストーリーとかセリフのようなものではない言葉のように聞こえていて。だから、今こうやって喋ってるような、相手に伝えようとして伝える意味じゃなく、なんだろう、うまく言えないけど。ここで起こってる「動き」と同じような意味を持ってるなと思って。だから、すごくそれ自体が本来持ってる意味を必要としてないっていうか。なんかそれがまたすごく、めちゃくちゃ面白いところで。 例えば小説みたいな言葉で時間軸を紡ぐ形式では絶対に表せないし、言葉が言葉の意味をなしてないっていうのがすごく良い。

今野:僕のそもそもの表現の始まりは、ドキュメンタリーの映画を作ってる佐藤真さんという人に出会ったことがでかいんですけど。その人の作品にももちろん感動したんですけど、何に感動したって言ったら編集に感動していて。明らかに何かをしてる。人のなんでもない日常を撮っている人だったんです。自分もドキュメンタリー映画を大学時代に2年ぐらいかけて作って、普通の人たちを撮ってたんですけど、佐藤真さんに見せるたびに編集を常に怒られてて。「あー、考えちゃってるね」とか、「なんかわかるってことはさ」とかいうことをいっぱい言われて。自分はその時に、編集のことをもう本当にたくさん考えていて。そこにあったものが損なわれないようにすることと、他のことがちゃんとあるってことを、同時に持ちたくって。ただ意味で繋いだ時に、前のものが巻き込まれてしまって消えちゃう。特に時間軸がある限りは前のことは過去のことにどんどんなっていっちゃうんで。いわゆる話で言ったらフリみたいに使われてしまうっていう。何度もカット撮っていく時にちゃんとこの素材の良さを握ってることと、それでも素材とは別のことがちゃんとある状態にするための編集は、その時にすごい考えてて。そのことってすごいでかかったんですよ。自分の中では大きな技術を会得しているっていう感覚があって。ま、めちゃくちゃ吐きそうになりながらやってたんですけど編集は(笑)。もうどうやってもおもしろくなくなっちゃうから、ちょっとでも間違うと。でも、例えば撮ってるおっちゃんがおっきい声出したってなった後に、小さいお母さんの声が流れた瞬間、(話の筋として)全然関係なくてもすごくおもしろくなる、みたいなことの発見はすごいおもしろいですね。おっちゃんの声が大きいことが強調されて、1回意味とかなくなって飛んじゃったとかいうことが。でもそのおっちゃんが喋ってたことってなんとなく残ってるから、だから後できっと蘇ってくるだろうっていう気持ちで。復活するだろうって思うような編集はめっちゃ考えるんですよね。ドキュメンタリーで考えたことは、ここ(上演)にも持ち込まれてると思うんですよね。

青柳:さっき話してた突き放すっていうのが、それなのかなと思って。

今野:あ、そうですね。

青柳:でも、みんなで作ってる時に、そこで起きたことを1回突き放すっていうのはすごく難しい。

今野:そうですね、すごい大変です。

青柳:どうやってるんでしょう。やり方としても、気持ち的にも。

橋本:やっていて1番難しいなって思うのは、このことを繰り返し行うっていうことですね。私はいつも壁に当たる時があって。最初に持ってた感覚なんやったっけ、みたいなこととか、何やってたっけ、みたいなことすらもわからなくなる時ってあったりして。そういう時にもう1回写真とか見て、「あ、そっかそっか、これこう思ってこういう風に感じたから、これをこうした」みたいなことを辿っていって、立ち上げていくみたいなことはよくあります。たまにスランプに陥るみたいな。

今野:でも、その時、相手がいるの大きいんだよね。

橋本:あ、それはそう、1人じゃない。

今野:相手の声聞いて蘇ったりしちゃうっていうのが不思議なんですよね。

橋本:あ、じゃあ、そろそろ時間がね。ご覧の通りね、すごい散らかってるから、片付けがめっちゃ時間がかかっちゃうんですよね(笑)
ちょっとこの辺りになっちゃうんですけれども、青柳さんよかったら最後にもし宣伝とかあれば

今野:全然いっぱい言おうとしてたことがあったんですけどね、これ宣伝していいですか。僕は青柳さんを知ったのは十和田美術館で、たまたま僕、松本一哉さんっていう音楽家と東北行ってた時にたまたまやってて。こっちの本(『家で待つ君のための暦物語』)を先にどっかで見つけて買ってて、おもしろいと思ってて。で、多分山下澄人さんのツイートとかで知ったんじゃないかなと思うんですけど。この前コ本やさんでこれ(『そだつのをやめる』)も手に入れて、すごいおもしろくて読んだんですけど。たまたまなのかもしれないですけど、演劇っていうのはその時に何が起きてるかっていうのが、本当にそのままダイレクトに入ってきていて。たとえば、映像作っても半年後に出るとかだとものすごいラグが空いてて変な感じなんですけど。今まさに稽古場で起きてること、雨が今日降ったとか、今日なんか怪我しちゃったとか、そういうことはもうこの舞台に入ってきちゃうみたいに、青柳さんの本を読んでたんですよ。twitterで(青柳さんが)生き物飼ってるのも見ていて、自分も文鳥ずっと飼ってるんですけど、文鳥から得てるものがすごい多くて。今年、家に庭ができたんですけど、小さなその庭見てる時にも、本当に得るもの多くって。『そだつのをやめる』読んでる時に、この作品作る上での共感覚を持っていて。セミのこととかも出てくるし。僕、『死んでない』っていう章がすごく好きで。これ見て、佐藤桃子さんていう人が橋本さんと公園で見たセミが死んでるのか生きてんのかわかんなくて、橋本さんは死んでると思ったけど、私は動いてないだけで生きてると思ったっていう2人が作った発表が入ってて。その時家帰ってすぐ読んだりしてたんで。この作品の中に入ってるっていう感じで自分の中で読んでた。絶対何かがここに入ってるっていうのがあったんで、それをお伝えしたかったです。

青柳菜摘『そだつのをやめる』

橋本:『そだつのをやめる』はどこで買えるんですか。

青柳:いろんな本屋さん、とくに個人経営の本屋さんや本屋じゃないところにも、「置いてください」ってたくさん声かけてるので、見つけられると思います。

今野:いや、すごい。

青柳:探してください。見つけたらぜひ手に取って皆さんもご覧ください。

今野:この舞台見て読むのめっちゃいい気がして。

橋本:ね、ぜひぜひ。

青柳:すごい嬉しいです。

橋本:じゃあ、この辺りで終わりにしたいと思います。青柳さんありがとうございました!


会場:こまばアゴラ劇場
時間:31分
編集:中條玲
公演情報:http://busstrio.com/one-montage

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