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教え子が成果を出したときにどんな感情になりますか?〜教育者のコトバvol.4

教え子が成果を出したときにどんな感情になりますか?

ビジネス数学教育家の深沢真太郎です。

私の専門分野であるビジネス数学教育を広めるため、インストラクター制度を始めています。現在は30名近くの認定講師を輩出。全国それぞれの現場で、個々が目指す教育の実現のために頑張ってくれています。


ある大学の登壇案件。私からある講師に引き継ぎました。無事にミッションを終えたそうです。私の後任という難しさとプレッシャー(?)もあったと思いますが、よく頑張りました(拍手)! おそらく来年度以降も私ではなくこの講師に仕事の依頼が届くことでしょう。


こういうニュースがあったとき、私はとても嬉しくなります。これからも彼らの成長と成功を応援していきたいと心から思うわけです。

いま私はとても美しいことをサラリと、当然のように表現しました。しかし現実は、上記2行の太字で表現されたことは当たり前のことではありません。

教える人。指導する人。
その全員が、「教え子の成功」や「教え子が自分を超えていくこと」を喜べる人とは限りません。これは誠に残念なことであり、本当はそんなことを認めたくはありません。しかし美しくない現実として、教え子の成功を心の中では歓迎していない自称教育者が存在します。

たとえばわかりやすいのは会社員の上司と部下。
上司は部下に指導をするのが一般的です。指導した部下がデキる人になることは喜ばしいことです。しかしその部下が上司であるその人を「超える」となるとどうでしょう。途端にその部下を潰そうとする上司が現れます。これがこの上司の本性なわけですが、美しくない現実とはこういうことです。

たとえば私のように講師育成をしている者。
穿った見方をすれば、育成しているインストラクターにはいつまでも育たないで欲しいと思っているかもしれません。いつまでも成果を出せない状態で、会費なりコンサル費などを搾取し続けるほうが「業者」としては美味しいかもしれません。教え子の成功を心の中では歓迎していないとは、たとえばこういうことだったりします。もちろん私は違いますが。

たとえば学校の(スポーツ)部活動。
指導者は生徒が活躍することを心から願っています。もしその中からプロの選手が誕生するとするなら、その生徒はある意味で指導者を見事に超えていったということになります。おそらくこの指導者は嬉しくて仕方がないことでしょう。指導者冥利に尽きるとはまさにこのこと。本来、指導者とはこういうメンタリティのはずです。

翻って、あなたはどうでしょうか。

もしいまあなたに教える相手、指導しなければならない相手がいたとして、その相手の成功を心から喜べるでしょうか。その相手があなたを超えていくことを心から喜べるでしょうか。

教育者か否かは、この問いの(本音ベースの)答えでわかると思っています。
今日はいつもよりちょっと本質の話でした。

ご感想があればお気軽にどうぞ。


私のことについて 

「ビジネス数学教育」を提唱する教育者です。
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