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【昭和的家族】母のコメント

私の母は、私達兄弟が小さい頃から無条件な愛情表現は薄いタイプだっと思う。私自身は飼い犬等可愛いと思う対象には、日々「可愛いー!」だとかの自然発生的な掛け声をつい頻繁にしてしまうのだけど、母は昔からそんな表現は発しなかった。ついては我が家の場合、子供の頃は父の方が「可愛い!」を連発していて、特に家族写真を父が撮る場合は、そんな呟きで父が喜んでいるのがとても分かりやすくて私達は時に過剰サービスで変顔をしたり、時に不自然なポーズを意図的にしていたような記憶もある。

一方の母は、子供の私が泣くのを必死で我慢しているような時に、
「あなたの顔…(暫し私の顔をじっと見て、真顔で)…亀みたい」とコメントをして私の大泣きを爆発させたり、
母が弟が書いた童話の原稿を読んで散々弟を褒めていたので、私も母に褒められたくて書いてみた童話の原稿を母に渡して読んでもらうと、
「……(じっくりと私が書いた文書を読んで)…〇〇(弟の名前)の方が上手」と正直で唇裂な辛口批判をして、私の”文章を書く気”を粉々にしたりしていた。

なのでそんな母からは、私はストレートな誉め言葉をもらう事は少なかったと思うのだけど、最近になるまでとても長い間、小さい頃の私について頻繁に母がコメントしていたことが二つある。

一つは、今の家がある場所に私達家族が引っ越して来た時の事だ。ご近所になる方々に両親が子供全員を連れて挨拶に回った時の事である。
「ご近所の△△さんのご主人が、あなたをフランス人形みたいって言ってくれたの」母は私にこのコメントを恥ずかしくなるくらい何百回も繰り返し私や他の人にしていたものだった。

もう一つは、私が七歳の七五三の時の事だ。私は初めて親戚から譲り受けたか借りていた晴れ着の着物を着た。当日、初めて美容院で和風に髪をセットしてもらい、着物を着つけてもらい、なれない草履を履いて家に帰ってから父がものすごく慎重な面持ちでお赤飯をそっと少しずつお箸で私に食べさせてくれた。

私がその日に撮った写真を後から見たら、自分では自分の姿がだいぶ不格好に思えた。まず髪型があまりにも似合っていない。前髪を全部ひっつめに上げているためいつもよりなおさら顔が大きく見えている。さらには、着物も途中からだらっと崩れてしまったからか、元来の姿勢の悪さからかお腹がぽっこり出ているように見えて、自分ではよそ行きのワンピースよりも全然似合っていないように感じた。私は、”自分の七五三の姿はイケていない”と写真の自分の姿を評価した。

しかしながら、母はこの七五三の時の私の姿を想い出す度に、良い事を思い出したという顔をして、
「他の子よりも我が子が一番可愛いと思って自慢して歩いていたわ」と、何百回、いやきっと何千回も繰り返し私に言った。母が私の事を”可愛い”と表現する事はめったに無いと感じていた私とって、この母のコメントは妙にくすぐったいし、言われる度に”えー、そうなの??”といつも変な違和感が残った。自分で感じる七五三の自分の姿の評価と、母のコメントの差がとても大きかったからと思う。

なので昔、私は母のこの七五三のコメントを聞くたびに、”母と自分はきっと感性がだいぶ違うんだろうな”と心の中で思っていた。それでもとっても長い月日を母と一緒に過ごして今は、”母にとってあの七五三の時の私は、嘘でも間違いでも無く、本当に心から可愛く感じたんだろうな”と、なんとなく前より理解できるようになってきたように思う。


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