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論理の先へ

A→B(AならB)は、論理の基本です。
でも、このA→Bを理解した時、人は、

BになるにはAじゃないといけない

と思ってしまうのです。

(小難しい話ではなく、人間が他人を見る時の
アイドルだから排泄はしない
みたいなとんでも理屈を押し付けるのも同じような行動ですよ笑)

本題

A→Bが成り立つとき
BになるにはAじゃないといけない
と思う人は、式に直すなら
A→B = B→A
だと考えてしまっています。
(しかし、数学として考えるときには、これが成り立たないことは分かっているというのです。)


論理

こういう考え方をする人は、対偶と集合の理解が薄いことが多いような気がします

年代によるのかもしれませんが、数学で対偶は
A→B のとき
Bでない → Aでない
という風に習います。

ここまでは、理解されている方が多いと思います。

では
BでないからAではない、と分かってるとき
では、この時、A→Cは成り立ちますか?

成り立たないですよね
しかし、これは、BになるにはAじゃないといけないという風に思っている人の、考え方の一例なのです

論理と集合

なぜ、そんな考えに陥ってしまうのか
そこには、論理と集合との関係性の理解にあります。

A→Bが成り立つとき
さらにA→Cも成り立つとしましょう
この時を絵で表すと

A→B かつA→C

という風に、書けます。
これを見れば、
BじゃないとAじゃない
が違うということが、誰でも理解して貰えると思います。

さらになぜか

この問題は、ひとえに、論理と数学を別物だと認識している人が多いことが、原因として考えられます。
そして、そう思ってしまう要因は、哲学的思考の不足にあると私は考えるのです。

世界史を勉強した人は、聞いた話かもしれませんが
全ての学問の根源は、哲学(なぜそうなるのか)つまり、論理にあります。

哲学(論理)
|
数学、物理、化学、国語、英語、社会
|
電気、宇宙工、有機、無機、漢字、歴史、地理

のような構図になっているということですね。
これを、社会の常識にしたいと私は考えているので、哲学の記事を書いているという面もあります。

良ければ他の記事もお願いします。

おまけ

そしてもうひとつ
図から感じてほしいことがあります

Aは点在している
ということです

A→Bはある集合における論理性で
他では通用しないことが分かります

これは、人間社会でよく陥りがちな話で
自分の常識を世間の常識だと勘違いしてしまう人たちに共通します。

A→B の世界しかしらず、A→B が絶対だと思うのは
井の中の蛙だと
この図は揶揄しているのかもしれませんね

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