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【夏の平目】 徳さんの包丁 第一話

「なぁ、徳さん、真子鰈握ってよ、こう暑くっちゃなかなか食欲もわかねぇや、鰈ならさっぱりいけるんじゃねぇかって」

金物屋の建が中瓶のビールを飲みながら、カウンターの中へ声をかける。残暑の厳しい日のこと。



場所は台東区、浅草から合羽橋へ向かう丁度間のあたり、観光客のあまり見えないような場所、小さな路地にその店はある。

【鮨 徳繁】
通称徳さんの切り盛りするカウンター、といっても決して豪華なものではなく、白木を丁寧に磨いた簡素なものに、一杯飲み屋のような趣、8人も入ればまさにすし詰め状態と言った感じの店である。開店は夕方から、閉まる時間はだいたい夜の1時、魚を主にしたつまみに鮨を出す。酒はビールに日本酒。決して種類は多くはないが、近所の酒屋の自信たっぷりの酒のみが並ぶ。
地元のお馴染みさんが多いが、知る人ぞ知ると言った味の良いこの店には、毎夜いろんな人が集まる。
今夜もまた、酔い客がふらり。



「あぁ、うめえや、やっぱりうまいね、真子鰈は!」

「そうだ、建ちゃん、鍋の金具がよ、ちぃと錆びてきたんだ、今度交換してくれないかい?いつだっていいんだ、都合の良い時でよ」

「ああ、その金具か、うちに在庫あるからさ、今とってきてやるよ、ものの1分さ、簡単だよ」

「助かるよ」


15分がすぎ、ようやく建が帰ってきた。ずいぶん賑やかで、誰か連れてきたようだ

「徳さん、わりぃね、ちょいと遅れちまって、途中で懐かしい顔に会ってね、折角だから連れてきたんだ」

「はじめまして、大村と申します」

「昔の高校の時の同級生でね、今は建設会社やってんだってよ、たしか転校してきたんだったよな?えーと、」

「茨城だよ、高校の一年の途中でここへ引っ越してきたんだ」

「まぁ、募る話はあとだ、徳さん、冷たいビールね」

「はいよ」 


「へぇ、親父さんが漁師だったんだ、」

「そうなんだ、大洗のあたりでいつも魚とってね、たまに家に持って帰ってきてくれた、これがうまくてね」

「あ、徳さん、酒屋のしょうちゃん、今日釣り行ってんだっけ?」

「ああ、そうみたいだね、もう帰ってきてるんじゃないかな?」

「魚持ってこねぇってことは釣れなかったんだな、で、親父さんはまだ漁にはでてるのかい?」

「それがね、足を怪我しちゃってね、うまく船の上で動けないってなってね、それで東京に引っ越してきて違う仕事してたって話だよ、でもうまかったなぁ、夏に食べる平目ね、たいして大っきくはないんだけどね、うまかったなぁ。今はたまには鮨なんてものも食べれるようになってね、あの頃を思い出して平目を食べたりするんだけど、どうしても小さい頃食べたあの味じゃ、ないんだなぁ」

「夏に平目?あんま食えたもんじゃないぜ、なぁ、徳さん」

「だねぇ。大村さん、その平目、親父さんが獲ってきてたんだね?で、どうだった?後味は?さっぱりしてたかい?それとも少しクセがあったかい?」

「うーん、そうだ、クセだ、平目をいくら食べても感じなかったのは。少しね、鼻を抜けるようなね、香りがしたね。言い方悪いけど、ちょっとツンとするような、でも不思議とそれが味に深みというかね、うん、そうだよ、あの香りさ、自然を頂くありがたさみたいな、野生味があった、親父へ感謝を感じたよ、海でとってきてくれたんだな、おいしいお魚をありがとうって」

「へぇ、そんな平目あるのかい?夏にねぇ、徳さん、そんな平目食べたことある?」

「たぶん、たぶんだけどね、その魚、こいつじゃないかな、ちょいと待ってな、今握るから」

「あら、そいつはおっきなカレイだね、さっき食べた真子より一回りでけぇや」

「こいつは石鰈さ、大洗のあたりでも夏から秋にかけてうまいのがとれる。真子や平目にくらべてクセがあるけど、うまい魚さ、ほぃ、食べてみてよ」

「どれ、ずっしりとした身だね、うんぁ、こりゃうめぇや、真子よりもっと力強くて、また違ったうまさだね!」

「こ、これです、この味、あの頃うまいうまいって食べてたヒラメの味だ、あれは平目じゃなくて、石鰈だったのか、平べったい魚は全部平目かと思ってた、でも違ったんだ、石鰈って名前の違う魚だったんだ」

「よかった、たまたま市場で大洗のいい真子と石鰈を見つけたんでね、夏の白身にはなきゃならないもんだから、買ったんだ、いつもはだいたい内房あたりのが多いんだけどね、よかった、よかった」

「よかったなぁ、もう夏に平目頼まなくて良くなったね、これからは夏は鰈さ」

「せっかくだ、大村さん、真子鰈も食べ比べてみなよ」

「ええ、そうします、わぁ、これもまたうまい!石鰈に比べると少しおとなしいけれど、澄んだ綺麗な味だ。大袈裟じゃないうまさっていうか、でも噛んでるうちに酢飯と馴染んで、これはまた美味しい魚じゃないか。」

「ええ、こいつもうまいんですよ、夏はどうしても平目の味が落ちる、その代わりってわけじゃないけれど、夏から秋にかけてこういった鰈が旨くなってくる。もう2ヶ月もすればヒラメもぐんぐん脂貯めて旨くなってくるよ、まあ冬に美味しい鰈ってのもあるから、一概に夏が鰈の季節ってわけじゃないけどね、とにかく夏のヒラメってのは、ちょっと味がね、どうしても冬のものに比べると落ちるんだ」

「徳さん、今日は本当にありがとうございます。親父まだ元気だから、今度連れてきますよ、石鰈の美味いうちにね」

「はいよ、嬉しいよ、そういってもらえると」

「徳さん、たまには良いことしたね!あぁそうだよ、鍋の金具取り替えなきゃいけなかった、すっかり忘れて…」

ガラガラガラ、店の扉が開いた

「おーい、徳さん、魚釣れたよ、おう、建ぼうも来てたのかい、丁度よかった、お友達かい?いい日に来たね、いい魚つれたんだよ、これ、平目だよ、平目、いいサイズだろ、こいつでみんなで一杯やろう!こないだ配達したあの潮来の酒まだあるかい?あれでやろう、え、どうしたい、平目だぞ、なんだいみんな浮かない顔して、平目、嬉しくないのかい?」

「あ、あはっ」



【続く】

本日も【スナック・クリオネ】にお越しいただいき、ありがとうございます。 席料、乾き物、氷、水道水、全て有料でございます(うふふッ) またのご来店、お待ちしております。