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言語の彼方へ

 言語には二種の指向性が存在する。一つ目は「世界を所有・支配するための言語」、もう一つは「自然と共にただ舞い、歌うための言語」である。


 一般的に、前者は文字言語、後者は音声言語として現れやすい。言うまでもなく文字言語は人類の学問や文化、文明を進展させてきた媒体である。近代言語学は両者を研究対象とし、科学としての言語の可能性を見出してきた。


 一方で私たちは文字言語を用いることで、既に「単語-意味」として自明化された法則を以て、全てを説明できるという錯覚に囚われやすい。これにより、所有欲や暴力性が生まれる。多くのSNSは文字情報に依拠するが、他者への支配欲や強制性が生じやすいのは、文字言語のこうした特性に起因する部分もあるだろう。至極自然な現象ではある。Twitterのさえずりが、我々の心に平穏と安寧をもたらすことは滅多にない。


 人間存在への危機の揺らめきがいよいよ眼前に現れその勢いを増している今、もはや「世界を支配するものとしての文字言語」には限界が来ている。今こそ、音声言語、それも「自然の中の楽器としての人間が奏でる、音の集まりとしての言語」に立ち戻り、「他(者)-自己」という、一種の対立構造以外の、新たな関係性の在り方を探る必要がある。


 「共に歌い舞う音/共感覚としての言語」への回帰の旅路を辿り、そこに立って世界を見つめ直し再構築することによってのみ、近代を超えるための希望の灯が見出されると言い切ってしまっても良いだろう。


 世界を把握する言語と、他なる者と共鳴し一体化する言語。この双方を統合することで、初めて「世界や知のコスモスを創り、地球と融合するための言葉」の生成への道が拓かれるのではないだろうか。

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