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「生きるとか死ぬとか父親とか」

同年代が、親とどのような付き合い方をしているのか、いつも気になっている。

私の両親は、70代。
昔から他罰的な性格で、会えばいつも人の悪口ばかり。
一度訪問すると、疲労感が暫く抜けないので、年々自然と実家から足が遠のいていた。

家が近いということもあり、得意の粗さがしが秘訣なのか、脳が頑丈そうで別な意味で生き生きしているので、まあそんなに会わなくても大丈夫か、と妙な安心感をくれる存在でもある。

が、このままでいいものか、何らかのタイムリミットに急かされているような、薄っすらとした不安にも包まれてもいた。

だから、大好きなジェーン・スーさんが「生きるとか死ぬとか父親とか」というエッセイを出版されたときは、まさにこれを読みたかった!と思ったし、ドラマ放映時は、主役お二人の素晴らしい演技のおかげで、本当の親子のような距離を感じられ、食い入るように鑑賞してしまった。

地方と言えども、私と同年代とそれ以下の世代は、そんなに離れていない距離で、親と別世帯を持つことも結構ある。

同じように親と離れて暮らす人の気持ちとか、付き合い方を見て、どこか自分と似通ったところを見て安心したかった、というのが本音だ。

ジェーンさんと同年代の私の父親は、ジェーンさんのお父様とほぼ同年代。私の父親は決してあんなにチャーミングではないし、ひとかどの者ではないが、お父様のふとした振舞に、良くも悪くも私にもとても思い当たることが多く、うまく拾っているなと感心してしまった。

亡くなられたお母様が「まあ、男の人ってそんなものね」と穏やかに受け入れ、そこを娘の立場で回想するところも、時代と世代の違いを感じられ、今も元気な私の母親も同じだったな、と改めて不思議で複雑な思いを湧き起こさせてもらった。

お父様についてのエッセイの原稿料を、お父様の家賃に充てるためもあり、親子は度々顔を合わせることになるが、やはりジェーンさんは話し上手だから、うまいこと様々引き出している。

私だったら、こんな風に父親と二人だけで結構な時間を穏やかに過ごしたり、ましてや恋バナなんて聞き出したり出来るだろうか。


私は典型的な口下手で、そこが父親そっくりだ。

向かい合って座っても、何だかお互い自分を見ているようで、居心地が悪くてすぐに解散しそうな気がする。

それか、家族の甘えから色々掘り返してしまい、おかしな空気にしてしまう自信もある。
というか、私が家を出るまで、何度も経験済みだ。

そういった体験にお互い囚われすぎ、お互いに声を掛けない、というある意味両思いが、私の両親と成立している。


今の私にとって、食事はまだ現実的として、例えばスーパーでの買い物がてらにフードコートで腰を下ろし、コーヒーを片手に何も語らずとも親子でゆったり過ごす、なんて手に届きそうな日常的なことが、夢物語に近い。

たまにそんな方々を見かける度、もちろんそれぞれの紆余曲折があるだろうが、最終的にそこに行きつくことが少しうらやましくもあり、私にもお互い健康なままでそんな信頼感のある時間を共有する日が来るんだろうか、とふと感じる。


ドラマのエンドロールで流れていた、ヒグチアイさんの「縁」という歌も良かった。

好き嫌いにかかわらず向き合わなくてはいけない関係性を、綺麗な声で諭されている気がして、歌詞が胸に刺さった。


私にとっては、取っ掛かりがわからない宿題を前にして、どうしようと考えあぐねていたら、誰かがこっそりヒントをくれた、というような物語だと思う。

年末まであと2か月を切った。
例年大みそかに顔を合わせるが、それまでに一度地元で旬の果物を、少し手にして実家を訪ねてみようか。

喜ばれるかも知れないし、方々から頂いたりするから歓迎されないかも知れないし、逆に家の物を持って帰るように言われるかもしれない。

そしていつもの訪問なら、粗が出ないうちにそそくさと手短に去ってしまうが、今度はもう少し時間を延ばして居させてもらおうか。
話があらぬ方向に飛んでも、それは家族ならではの関係からなのだ。

どの家も色々事情があるのだ、と既に予習が出来ているから、心づもりは出来ているつもりだ。