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津波警報で起こったこと、考えたこと

ホテルの朝食ブッフェを提供しているレストランが行列で、20分ほど並んでやっと入店。小5の息子とそれぞれに好みの料理をピックアップし、ウィンナーとスクランブルエッグを口にして咀嚼している時。スマホの警告音が一斉に鳴りだした。

画面には、「津波警報」の文字。
あまりに突然すぎて、「なにそれ?」と思った。


台湾で大きな地震が起こった4月3日、私は息子と宮古島にいた。
ワーケーションと春休みの旅行を兼ねて。

昨年オープンしたばかりで、ツアーでかなりお得な値段になっていたその外資系ホテルはオーシャンビューがウリ。
海からの距離は10mほどの立地で、海抜は5mほどだろうか。

つまり、巨大な津波が襲ってきたら影響は避けられない場所だ。
そこでゲストとして経験したこと、考えたことを、記憶が新しいうちに書いておきたい。

午前8時58分。
そこにいる全員のスマホから津波警報が鳴り響いた直後、ホテルのレストラン会場は不思議なほど静かだった。全員、何が起こっているのかを把握できないといった表情。だが数秒後、「津波だ! ご飯なんか食べずに逃げろ!」と一人の男性客が叫び走り出した。その声を合図に一斉にエレベーターに押し寄せる人々。

スマホで情報を見ると、津波の原因は台湾の地震だった。マグニチュード7.7。地震の際にエレベーターに乗ると、止まる危険があるかもしれない。
そう判断し、すぐには席を立たず隣の息子に、「津波がくるかもしれない。落ち着いて行動しよう」と声をかけた。うなずく息子。
スマホで情報を探すと、宮古島への津波到達予想は9時15分。あと12分ある。その時点で津波の高さを予想する情報はみつからなかった。

9時3分。
ホテルスタッフから「屋上に避難してください」と声がかかった。
非常階段で8階の屋上へ向かう。車椅子や高齢の方は、「止まるリスクがあります」というアナウンスを受けつつ、エレベーターに乗り込む。
こんなとき、サブ電源で動くエレベーターなど、そういった方も安全に避難できる手段が必要なのでは、と浮かんだ想いを頭にメモする。

9時5分。
屋上に到着。レストランだけでなく、館内にいる宿泊客全員がどんどん集まってくる。そして、スタッフの方も。みんなまだ「何が起こっているのか」という表情だ。

同じ島内に宿泊している友人とLINEで連絡を取り合った。
彼女はエリアでおそらく最も標高の高いホテルにいるので、6階にある客室にそのままいるということだ。テレビで情報を得ていて、後で分かったことだがその情報が、スマホで検索したインターネットよりも早かった。こちらも、頭の中にメモ。

9時15分。
津波到達予想時刻になった。だが、目の前の海はおだかやそのもの。スタッフの方から、客室用のガウンの配布がはじまる。その日の宮古島は風が強く、朝食だけだからと、ノースリーブなど無防備な服装の方も多かった。たくさんの人が受け取る。

それにしても、津波の到達時間がずれたのか? と思い再びスマホを検索。
宮古島は9時15分、沖縄本島は10時という情報は変わらない。津波の高さ予想の情報もみつかった。3m。
それならば、高さ20mはあるこの屋上にいれば、助かる可能性は高い。
ただあくまで予想は予想。もしもきてしまったときを考えて、波がきたらつかまれそうな柵などの場所を確認する。

9時20分。
相変わらず海は穏やか。
ホテルスタッフからジュースや水が配られはじめる。おそらく非番だったであろう、私服スタッフもいる。頭が下がる思い。そのすぐ後に、「高齢の方や小さなお子さんがいる方、体調が悪い方は、7階にあるエグゼクティブルームに誘導します」とアナウンスがあった。高齢の方数人が移動する。

9時25分。
宮古島への到達予想時間がすぎ、もう安全と判断した家族がホテルスタッフに「予想時間を過ぎたから自己責任で部屋に帰りたい」と詰め寄る。「波がきたらあきらめますわ」と父親らしき人が言っている。8人くらいのご家族だったが、高校生ぐらいの娘さん達は不安そうだ。だが結局そのご家族は、非常階段を降りていった。

9時30分。
ホテルスタッフの一人から、「沖縄本島への津波到達予想は10時です。それまでは屋上にいてください」と声がかかる。それまで、息子はしきりに海を見ていた。不安だったのだろう。だが、海は変わらず穏やかで、津波の高さ予想が3mと私が伝えていたためか、「部屋に帰りたい」と言い出した。

9時45分。
「6階以上に待機してください」とホテルからアナウンス。
私達の客室は6階のため、息子を落ち着かせるためにも客室に帰ることにする。
非常階段を降りていく際に、ドリンクや防寒用のタオルを抱え、息を切らせて階段を登る何人のもスタッフの方に出会い、「ありがとうございます」「気をつけてくださいね」と会話を交わした。

到着した6階の廊下には、避難している清掃スタッフさんが一列に並んで立っていた。海外の方が多く、こちらを落ち着かそうと「コンニチワ」と声をかけてくださる。「自分たちだけが客室に入るのが申し訳ない」という想いがよぎりながら客室へ。館内放送で、「津波は10時に到達予想なので、それまで待機してください」というアナウンスが3度流れる。しかし、なぜか全て英語のみ。英語が分からない高齢者や子供が逃げ遅れた場合はどうするのだろうか、という想いが頭をよぎる。

10時。
部屋から海をずっと見ていたが穏やかなまま。

10時15分。
宮古島に10時すぎに第一波が到着したとテレビが伝えた。沖縄本土ではなく宮古島に10時にきたのか、と思う。高さは20cmだったそうだ。
見た目には、全く分からなかった。けれど続けてテレビから、「津波は繰り返し襲ってきます」との注意喚起。まだ安心できない。そしてスマホでは、これらの情報はまだ全く出てこない。

息子はゲームに没頭中。普段どおりにすることで落ち着くかもしれない、と考えそっとしておく。

10時40分。
津波警報が注意報になった。もう安心、なのか? これもテレビ情報。ホテルからアナウンスはない。

10時50分。
宮古島に再び津波到達とテレビ。こちらは30cmだったそうだ。

11時10分。
ホテルから日本語と英語で、「津波が到達を終えたと判断して、6階以上への避難を解除します」との案内。注意報はまだ出ているが、私は30㎝なら安全だろうと判断し、別のホテルといる友人と合流するためにホテルを後にした。注意報が解除されたのは正午だ。

合流後、友人と息子と津波を振り返り、話し合った。そのなかで、今回感じ、覚えておきたいという話になったのは以下だ。

●車椅子の方や高齢者が避難するための、なんらかの備えが必要。
●情報はインターネットよりテレビが最も早い。(もしかしたらラジオも早いのかもしれない)
特に現地は情報が混乱しがちなので、テレビがなければ、遠方にいる友人にLINEなどで教えてもらう形がいいのでは。
●津波の高さについてなど、情報は自分自身で集め、考え続けるのが大切。もしその場にいる高さを超える場合、移動するという判断も頭に置くべき。ほかでもない命について、最後まで自分で判断しなければ誰がするのか。
●とにかく冷静でいて、状況をメタ認知すること。パニックになると怪我人やケンカが発生する可能性が高い。

その後の話としては、宮古島発、並びに宮古島着の飛行機が午後14時頃まで欠航に。島を出られない人、島に来られない人が数多く発生して、予約されていたレストランやホテルにはかなり混乱が生じていた。これは島の寿司店の大将から聞いた話だが、損害もかなり出たそうだ。

14時頃に宿泊していたホテルに戻ると、津波の影響で清掃とタオル交換ができません、と書いた用紙がドアに挟まれていたが、その後タオル交換は復活していた。朝食を食べそこねたブッフェレストランは12時に再開し、改めて朝食に向かったゲストもいたようだ。

この内容は自分の記録として、そして、もしも誰かの役にたてばと書いたものだ。ライターというより一母親として、息子が今このような経験をして、共に振り返れたことは、とても大きいのではと感じている。

決してホテルを非難するつもりはなく、災害の際に自分自身の安全よりも、ゲストを優先したくださったスタッフの方々に深く感謝しています。
この場を借りて、本当にありがとうございました。

そして、台湾の震災で被災されたみなさまの、1日も早い復興を祈ります。


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