ウタブンシロウ

私は77歳の年金生活者/  公立学校に35年間勤務の後15年間タイ国に居住/ 教員時代…

ウタブンシロウ

私は77歳の年金生活者/  公立学校に35年間勤務の後15年間タイ国に居住/ 教員時代に約20回の海外旅行実施/ 人生百年時代の定年退職後生き方を研究実践中 62歳で初めての結婚し子育てに専念/ 女子高校の学校犬についての著書あり 77年間に獲得した経験知識をもとにして書きます。

最近の記事

小説学校犬タロー物語,総集編

前書きノンフィクションの「皐月タロー物語」と、フィクションの「小説学校犬タロー物語」について このサイトの管理者である私にはノンフィクションの著書があります。2004年に松本市の郷土出版刊行の「皐月タロー物語」です。私は学校犬タローの世話係を7年間続け、生徒たちから「タローのお父さん」と呼ばれていました。 教員退職後に私は実家に寄寓していた時、郷土出版の神津社長にタローについての本の執筆を依頼されたのです。 執筆を依頼された理由 私が退職した2002年にタローは波乱に富

    • 小説学校犬タロー物語➈タローの恩人、松野先生のこと

      タロの恩人は職員会でタローを弁護した松野先生です。理科の杉本先生も恩人と言えます。 もう一人の恩人はタローのことを職員会の議題にしてくれた数学科の町田先生です。 タローは学校に住み着いているので野良犬とは言えない、さりとて学校の犬でもないというあやふやな状態であったのです。 このような状態が続き、生徒に害を与えるような事件が起これば、学校から追い出されるか、保健所に連絡されるでしょう。 町田先生が職員会の議題にしてくれたおかげで学校犬にしてもらい、手厚い保護を受け長生きす

      • 小説学校犬タロー物語⑧、タロ―学校犬となる、タロパパとの出会い

        タロー学校犬となる 職員会終了後、国語科の松野先生と理科の杉本先生はタローに首輪をつけ、どこにつなぐかを相談したのです。 この頃、タローはいつもとおり、畑の中の作業小屋でぐっすり眠っていて危機が訪れていたことも、救われたことも、もちろん知りません。 社会科の大町先生も、この後まもなく、7年間、土日、長期休業の時も登校してタローの世話をすることなど、もちろん考えもしません。居酒屋でお銚子を一本,チビリチビリやりながら初夏の宵のひと時を楽しんでいたのは、まずは目出度いことでし

        • 小説学校犬タロー物語⑦、野良犬タローの危機、職員会の議題になる

          タロー職員会の議題になる 司会の先生が「本日の予定されていた議題はすべて終わりました。緊急の議題がない限り、職員会を終わりにしたいと思います。よろしいでしょうか。」といういつもの口上を述べたのです。 その時、タローを教室から追い出そうとした数学科の町田先生が挙手をして発言を求めたのです。 「一つ議題として取り上げて欲しいことがあります」と述べて、タロー追い出し事件を説明したのです。 「野良犬が教室に入り込むということは大いに問題がります。ゼーゼーという咳もしており。病気持

        小説学校犬タロー物語,総集編

          イタリア,サルディニア島の100歳以上の高齢者は日本の5倍、しかも男女同数

          見出しの写真はイタリア、サルディニア島山間部です。人口約160万人ですが羊の数のほうが人口を上回るとのことです。 サルディニア島の2012年の統計 10万人当たりの百歳以上の高齢者はサルディニアが200人で、日本は43人とのことです。さらに驚くべきことは百歳以上の高齢者の男女比率は日本が女性4に対し男性は1であるのに対し、サルディニアの場合男1に対し女1であるとのことです。しかも、サルディニアの100歳以上の高齢者の多くが健康長寿を保っているのです。 サルディニアの100歳

          イタリア,サルディニア島の100歳以上の高齢者は日本の5倍、しかも男女同数

          小説学校犬物語⑥タローと花子の7年間,そして花子の死

          自由犬としてのタロー 1986年に家出したタローは1993年までの7年間、作業小屋で寝泊まりし、花子の家そして女子高校の支援を受けながら自由犬として暮らしました。 多くの支援者を獲得して安全と食料の心配がなく、人間社会と良好な関係を築いて暮らしたので野良犬とは呼ばず、自由犬と呼ぶことにします。食料と   多くの支援者を獲得して安全と食料の心配がなく、人間社会と良好な関係を築いて暮らしたので野良犬とは呼ばず、自由犬と呼ぶことにします。食料と安全を確保し、花子と女子高校生から

          小説学校犬物語⑥タローと花子の7年間,そして花子の死

          人生百年、健康長寿、タイ国における私の長寿食

          豚骨、野菜スープのすすめ 見出しの写真は私が住んでいる村の朝市の豚肉売り場です。この売り場が日本と違っている点は、叩き割った骨が重要な商品として売られていることです。 骨といってもかなり肉がついています。値段も1キログラム80バーツ(約270円)で豚肉の値段とあまり変わらないのです。 この骨と水を鍋に入れ1時間ほど煮込んで火を止める直前に野菜を入れた骨、野菜スープを毎日、飲んでいます。 プロが専用の包丁と厚いまな板を使用して、このように見事に叩き割ることができるのです。

          人生百年、健康長寿、タイ国における私の長寿食

          人生百年時代、20年後にスペインは世界一の長寿国

          スぺイン人の長寿の秘訣の第一の原因は地中海食 ブンシローはタイでの年金生活に満足していますが、ほかに住みたい国を挙げるとするなら、スペインですね。オリーブ油でいためた魚貝類、野菜をたっぷり食べて、肉は少なめにして、加工食品を避けた料理を食べるとスペイン人のように長生きできるでしょう。果物も豊富なのもよい。 夜は居酒屋で赤ワインと数種類のタパス料理も楽しみたい。 居酒屋では元気なスペインの老人たちと、すぐに仲良しになれるだろう。 若いころイタリア語を2,3年間独習したことがあ

          人生百年時代、20年後にスペインは世界一の長寿国

          小説学校犬タロー物語⑤花子の家への通い婚時代の7年間

          タロー、花子の家の川田家の保護を受ける タローは花子の家の近くの畑の中で寝泊まりし、しばしば花子の家にやってきて餌を分けてもらい、その後、二匹そろって、仲良く女子高校に出かけるという日々が続いたのです。 花子の飼い主である川田家の奥さんは動物好きです。仲良しの二匹の中を引き裂くようなことはしなかっただけではなく、タローの分の餌も用意してくれたのです。 しかし、タローは川田家に住み着いたわけではありません。時々、訪問するだけです。タローは飼い主に従属することを嫌う自

          小説学校犬タロー物語⑤花子の家への通い婚時代の7年間

          小説学校犬タロー物語④、家出の時期をタイ国の放し飼い犬の状況から考察

          見出しの写真はタイ国の田舎の村の放し飼いの犬の状況です。犬が鶏を襲うことは決してありません タローが家出した時期 タローが家出した時期も、ちょうど良い時期で、この点でも幸運に恵まれていました。 放し飼いの犬が世間に受け入れられていた時期が終わろうとしていたが、身元がはっきりしていて危害を与える心配のない放し飼いの犬は近所の人に受け入れられていた時期なのです。 タローが支援者、食料提供者を求め、行動範囲を拡大して行ったとき、ライバルの放し飼いの犬は少なくなっていたのです。

          小説学校犬タロー物語④、家出の時期をタイ国の放し飼い犬の状況から考察

          小説学校犬タロー物語③女子高校と花子の家の居候犬になる

          第3章女子高校と川田家(花子の家)の居候犬となったタローの縄張り経営タロー自由犬としての地位を確立 タローは幸運と自己の才能、努力によって自由犬としての地位を獲得しました。 まるで、あらかじめ定められた運命の糸に操られて、花子との出会いによって安住の地を見つけたように見えるタローです。タローが幸運に恵まれていたことは確かです。 もしも、川の上流に向かって行き、安住の地を見いだせなかったなら、または工業高等専門学校に入り、乱暴な生徒に手痛い仕打ちを受けていたなら、飼い主の所に

          小説学校犬タロー物語③女子高校と花子の家の居候犬になる

          小説学校犬タロー物語②、雌犬花子との出会い、そして女子高校へ

          花子との出会い 果樹園を通り抜けると川幅約5メートルの中級河川にぶつかりました。ここからはタローの日常の行動範囲を超えた未知の領域です。 少し迷った後に。タローは川沿いの農道を下流に向かって歩き続けました。 これが華麗な転身を遂げ、稀有な生涯を送ることになる道への第一歩だったのです。 やがて交通量が多い県道に到達したのです。川を挟んで二つの学校がありました。小学校で遊び暮らして育ったタローにとって学校は馴染み深いところです。 県道を渡りまっすぐ行き,右手の学校の校地内に

          小説学校犬タロー物語②、雌犬花子との出会い、そして女子高校へ

          小説学校犬タロー物語①、野良犬から女子高校のアイドル犬になった犬の物語

          前書きノンフィクションの「皐月タロー物語」とフィクションの「小説学校犬タロー物語」について このサイトの管理者である私にはノンフィクションの著書があります。2004年に松本市の郷土出版刊行の「皐月タロー物語」です。私は学校犬タローの世話係を7年間続け、生徒たちから「タローのお父さん」と呼ばれていました。 教員退職後に私は実家に寄寓していた時、郷土出版の神津社長にタローについての本の執筆を依頼されたのです。 執筆を依頼された理由 私が退職した2002年にタローは波乱に富ん

          小説学校犬タロー物語①、野良犬から女子高校のアイドル犬になった犬の物語

          読書の秋、夏目漱石との出会い、吾輩は猫であるの中の美学者迷亭について

          夏目漱石との出会 大学二年の古書店で夏目漱石全集を買い、段ボール箱に詰めてもらいアパートまで運んだ。これが漱石との出会いでした。人生について深く考え始めた時期に漱石に出会えたのは幸運でした。若いころ、一番,影響を受けた作品は「こころ」です。漱石の作品に読み浸りながら、日本人に生まれてよかったと思ったのです。 小説は全部読みました。一番、おおく繰り替えし読んだのは「吾輩は猫である」です。特に定年退職後、繰り返し読んでいます。眠る前に寝床で数ページ読み、眠るというのが習慣になった

          読書の秋、夏目漱石との出会い、吾輩は猫であるの中の美学者迷亭について

          もしも叶うなら、78歳の私の望みは子育てであったがあと7年で叶う。85歳からの望みはイタリア留学。

          私は教員生活時代の35年間独身で過ごしました。私の周りの人々は独身主義者であると考えていたようです。実は私には結婚願望があったのです。社会科教師であった私は職員室の隅で日本史資料集に載っていいる久隅守景の夕涼みの絵(夏の日の夕方、ユウガオの棚の下で夫と妻と子供が夕涼みしている絵) を見てはひそかにため息をついていたのです。 定年退職後、40歳年下のタイ人女性と結婚でき、翌年、息子が誕生し望みがかないました。そして今、私は78歳、息子は15歳です。後7年もすると子育ては一応完成

          もしも叶うなら、78歳の私の望みは子育てであったがあと7年で叶う。85歳からの望みはイタリア留学。

          私の絵画鑑賞法, 法人コンサルタントの神田房枝さんは「絵画を見ながら知覚力、思考力、コミニケーション力を向上させる方法」をその著書で主張

          神田房枝さんは「データ予測、意思決定、創造的思考、あらゆる知的生産の土台となるのは知覚力である」と述べ、絵画というフレームに囲まれた小宇宙で知覚力をトレーニングをすること薦めてています。知覚とは思考以前の力で目の前の情報を受け入れ、独自の解釈を加えるプロセスであるとしています。そして、ノーベル賞受賞者の9割はアート愛好者であるとも言っています。また、神田さんはピーター ドラッカーが室町水墨画の愛好者であるとも述べてしています。 神田さんの主張することと、私の絵画鑑賞修行と関連

          私の絵画鑑賞法, 法人コンサルタントの神田房枝さんは「絵画を見ながら知覚力、思考力、コミニケーション力を向上させる方法」をその著書で主張