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読書の秋、夏目漱石との出会い、吾輩は猫であるの中の美学者迷亭について

夏目漱石との出会
大学二年の古書店で夏目漱石全集を買い、段ボール箱に詰めてもらいアパートまで運んだ。これが漱石との出会いでした。人生について深く考え始めた時期に漱石に出会えたのは幸運でした。若いころ、一番,影響を受けた作品は「こころ」です。漱石の作品に読み浸りながら、日本人に生まれてよかったと思ったのです。
小説は全部読みました。一番、おおく繰り替えし読んだのは「吾輩は猫である」です。特に定年退職後、繰り返し読んでいます。眠る前に寝床で数ページ読み、眠るというのが習慣になったのです。会話部分が面白くクスリと笑った後で眠りにつくのです。迷亭と苦沙彌先生の会話部分は絶品で何度読んでも飽きません。今回の読書感想文では迷亭先生に的を絞って書いてみます。
①私流解釈による美学者迷亭のプロフィ―ル
苦沙彌先生と大学時代の同級生であるから40歳前後と考えてよい。職業なしの独身の高等遊民。伯父さんは静岡在住の旧士族。御一新前は江戸に屋敷を構えており、静岡に移ったのちは郷土の名士になっているから旗本か、もしくは御家人であったと考えられる。迷亭の親も旧士族の資産家と思われる。遊んで暮らしている。
苦沙彌先生は越智東風君に対して「迷亭は洋行はしていないが、しようとすればいつでもできるだけの金は持っている」という意味のこと述べている。

②迷亭は失恋、それによりいまだに独身?
迷亭が語る独身の理由
「迷亭が若いころ旅をし、山奥の一軒家に一夜の宿を請うたことがある。そこの娘がすごい美人で一目ぼれした。翌朝、洗顔中にその娘の頭は蛇飯の食べ過ぎにるテカテカノの禿頭であることが判明。失恋。以後,独身のまま。」
これは迷亭の滑稽な作り話ですが、一目ぼれした女性に思わぬ欠陥を見出し、結婚をあきらめたとも取れます。
迷亭が語る女は信用できないという話
迷亭は失恋話の後、さらに御一新前の静岡で、天秤棒の前と後の篭に女児を売り歩いていた男の話をしています。この男は客に対し「前の篭の女児は保証しますが、後、目が後ろにないので、ヒビが入っているかもしれないのでお安くしておきます」と言わせております。この作り話しの背景には迷亭の女性は信用できないという悲しい体験に基づくものかもしれないと私は考えました。
この後も、迷亭の本当か、嘘か測りがたい話が続きます。迷亭が友達の独仙と旅をした時の「静岡には一夜妻はありません」という話に続き。古代ギリシアで、女性が初めて産婆になることができた話しが続きます。
一緒に聞いていた苦沙彌先生の奥さんが「よくいろいろなこと知っていらしゃるのね。感心ね。」というと。迷亭は「ええ、大概のことは知っていますよ。知らないのは自分のバカなことぐらいです。しかし、それもう,うすうす知っています」と答えているところまで読み、私はクスリと笑い眠りにつくことがよくあります。

付録、「フランス式読書の夏」、私がフランス旅行中に見た最もうらやましかった読書環境

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20年前、70日間、約7000キロメートルに及ぶスクーターによるフラン田舎巡りの旅をしました。
カルカッソンヌの近くでミディ運河で船の旅をしている人達を見ました。
一隻の船が時速10キロメートルくらいでゆっくりと運行しています。デッキの椅子に腰かけて若い女性が本を読んでいる姿を見てうらやましくなったのです。読書に飽きたら両岸の田園風景や村の景観を楽しむことができる。時間はゆっくり、ゆっくり流れていく。時には刈り取った牧草の匂いが風に乗ってやってくる。目を休め、リラックスして瞑想したのち、また読書。
フランス人が読書に最も時間を割く季節は夏のバカンスであるといって間違いないと思っています。

あるイタリア女性が考えているバカンスの意味
ナショナルジェオグラフィックの記者があるイタリアの若い女性に質問しました。「あなたにとってのバカンスとは?」
イタリア女性の答えは「世界について考えることです」でした。

日常の些事、雑事から離れ、読書や瞑想の時間を多く持ち、本質的な問題について考えるのがバカンスであるという風に私は解釈しました。
1年に1回、約1ヶ月、自分の生き方を見直す空白の期間を持てるヨーロッパの多くの国の人たちに私は羨望の念を持ちました。






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