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小説学校犬タロー物語①、野良犬から女子高校のアイドル犬になった犬の物語

前書き

ノンフィクションの「皐月タロー物語」とフィクションの「小説学校犬タロー物語」について

このサイトの管理者である私にはノンフィクションの著書があります。2004年に松本市の郷土出版刊行の「皐月タロー物語」です。私は学校犬タローの世話係を7年間続け、生徒たちから「タローのお父さん」と呼ばれていました。

教員退職後に私は実家に寄寓していた時、郷土出版の神津社長にタローについての本の執筆を依頼されたのです。

執筆を依頼された理由
私が退職した2002年にタローは波乱に富んだ17年間の生涯の幕を閉じたのです。

学校では文化祭準備中のことでした。.「タロー死す」というニュースを受けた生徒会幹部の生徒たちは、動物病院から帰ってきたタローの遺体を体育館に安置し、生徒会葬を即座に実施したのです。

文化祭準備期間中で、学校は生徒会中心に動いていためもあり、生徒会葬を自主的に計画し、実施されたのです。

体育館入り口には葬儀委員長に相当する生徒会長をはじめとする幹部が並び,会葬者を迎えたのです。タローに最後の別れをするため数百人の生徒職員が訪れました。タローに別れを告げるために並んで列を作っていた中に校長先生もおられたのです。

生徒会葬の後、女生徒と学校犬のタローとの、温かい心の交流を知った石材店の主人がタローのお墓を寄付してくれたのです。

このことが新聞記事になり、郷土出版の神津社長さんが私のもとにいらっしゃって、私に執筆を依頼なさったのです。 

「小説学校犬タロー物語」を書くことにした理由
①ノンフィクションの「皐月タロー物語」は事実ををもとにしたもので、いわば骨格だけの本と言えます。タローの生涯の中で明瞭でない部分に、私の想像力を駆使して肉付けすることによって類まれな生涯を送った犬、タローの実像に近付くことができると考えたのです。
想像力を駆使すると言っても、タローの性格、行動様式を熟知している私ですから、大きな間違いはないと思っています。

②「皐月タロー物語」は私の体験談、タローについて調べて明らかになった事実、生徒や私以外の教職員のタローについての思い出等をまとめた本です。時間系列にもなっておらず、学校関係者以外の人々にとってわかりずらい面もあったと思います。小説形式にしてタローの誕生から死に至るまでを解りやすく、すっきりした形で書きたい思っています。

③「皐月タロー物語」ではタローについての最も重要な部分を十分には描き切れなかったと、この17年間考え続けてきました。
もっとも重要な部分とは
タローが多数の生徒を受け入れたこと、
女生徒たちの心の中にタローという存在が深く入り込んだこと、
悩み多い時期の女生徒たちに癒しを与え、さらには変革をもたらしたことです。
女生徒たちの心の中の動きを描写するには小説という形式が最適です。見たり、聞いたりしたことだけを書き表すノンフィクションでは無理です。
女生徒たちの心の中の描写する部分は虚構の世界で実在の人物とは関係ありませんと、ここで特に記しておきます。

第1章タローの家出とその原因

1歳になったばかりのタローのある日の出来事を見てみましょう。飼い主の工場を後にして、何やら悲壮な顔つきをして歩き続けています。

よく遊びに行く小学校のプールのそばを通り抜けて行きます。体育授業中の仲良しの小学生が「  どこへいくの?」と声をかけてきます。無視してどんどん歩き続けます。

休耕中の水田のそばも通り抜けます。いつものようにカエルを追いかけて遊ぶこともしません。一心不乱に歩みつづけます。いつもは水遊びをする用水路も無視して歩き続けています。リンゴ園の中も通り抜けていきます。いつもは、地面に落ちているリンゴを一寸かじってみるのですが思いつめた顔をして歩き続けているのです。

タローはどうしたのでしょうか? 首輪には食いちぎった、残りの紐がぶら下がっています。ただ事ではない様子です。

もうお判りでしょうか。タローは 飼い主のもとから脱走しようとしているのです。

タローの生い立ちと家出の原因

タロー夏、

タローが生まれた場所は人口約20万人の地方都市の郊外です。この地区は1960年代に純農村から住宅地として開発されつつあったのです。タローはそこの建設機械修理工場で生まれたのです。

タローの母犬はこの工場の番犬であるシロです。シロは社長さんと従業員たちが帰宅した後、夜は一匹だけで工場を守っていたのです。シロの犬種は柴犬です。タローの父犬は深夜、こっそりとシロのもとに訪れた求婚犬です。したがってタローの犬種は柴犬の血が多く入った雑種と言えます。

タローは元気いっぱいの活発な犬で、人なつこい犬です。社長さんや訪れたお客さんのもとに駆け付けて、可愛がってもらうために足元にじゃれつく子犬でした。工場の社長さんはタローの兄弟の四匹は他人にあげたのですが、お気に入りのタローは残しておいたのです。

この頃のタローの名前は「虎次郎」でした。ご主人が車で用事に出かけるとき。「トラ、トラ」と呼ぶと走ってきて、助手席にチョコンと座るのでした。

なぜ虎次郎かというと、朝ご飯を食べた後、どこかへ出かけ,お腹がすくと帰ってきて食べ、またどこかへ出かけるという放浪癖のある犬であったからです。

タローの主なる行き先は工場の近くにある小学校でした。まだ幼犬であったころ、工場の前の道路で遊んでいると、通学途中の小学生に出会って、仲良しになったのです。   
少し大きくなると小学生の後について行き、校庭で沢山の小学生たちと遊ぶようになったのです。この頃から、タローは学校犬になる準備をしていたことになります。

トラジロー

小学生の中にはいろいろな子供がいます。犬の好きな子と嫌いな子、やさしい子と意地悪な子、活発な子とおとなしい子、これらの子供たちと接したとき、適切な行動をとれるようになることを学んだのです。

また、子供たちは遊びの天才です。ボール遊び、鬼ごっこ、木登り等、次々に新しい遊びを考えだします。タローにとって毎日が新しい体験の連続です。

これらの体験の積み重ねによって、タローは人間及び人間社会と上手につきあえる能力を発達させていったのです。

1歳になったばかりの時、このような幸福な子犬時代が突然に終わったのです。母犬のシロが死んだのです。

シロが死ぬと、ご主人はタローを工場の番犬にするため放し飼いをやめて紐でつないだのです。子犬時代に自由気ままに生きてきたタローです。自由を奪われることには我慢できません。

通常の飼い犬ならば、定められた運命に従い、さんざ泣き喚いた後に、あきらめたことでしょう。

しかし、タローの場合は普通の飼い犬とは違っていたのです。ご主人はタローを可愛がってくれましたが、一日の半分しか工場にいません。ご主人の家族とのつながりもありません。おまけに自由な生活の楽しさを小学校での遊びで身についてしまっていたのです。

もともと自立心、冒険心が旺盛で、自由を求める心が強かったこともあげられます。

一日の多くの時間を小学校の生徒たちと遊び暮らし、普通の犬よりも飼い主以外の人間と多く親しんできたのです。飼い犬として暮らすこと以外の選択肢があることも感じていたのかもしれません。 これが脱走を企てた理由です。タローの家出は成功するのでしょうか?食料や安全の確保はできるのでしょうか?


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