【映画】「エンドロールのつづき」感想・レビュー・解説

なんか良い映画だった。そして、「監督自身の実話を基にしている」と知って、より納得感が強くなった。

なんというか、ちょっと不思議な映画だったのだ。それは、「インド映画らしくない」とかではない。確かに、歌ったり踊ったりっていうインド映画っぽい感じはないなと思ったが、最近『RRR』なんかも観てたから、それについてはさほど不思議はない。不思議だったのは、「物語がほとんど動かないこと」だ。

良い映画だと感じたので、これは全然悪口ではないのだが、この映画はとにかく「物語的な展開がほぼない」と言っていい。僕が言う「物語的な展開」というのは、「対立」とか「危機的状況」とか「友情」などだ。もちろん、それらはこの映画にももちろんある。あるのだが、「普通なら、たぶんここをもっと膨らませるんじゃないか」と感じるような場面も、割とあっさり進んでいく。インド映画に対しては、「歌って踊る」以外にも「テンションが高い」みたいな印象もあるのだけど、『エンドロールのつづき』についてはそういう感じがまったくなかった。とにかく、淡々と進んでいくのだ。

そして、それが全然退屈じゃないし、凄く良い雰囲気を醸し出している。そのことが、結構不思議だった。「物語的な展開」が無くても面白い映画はたくさんあるが、『エンドロールのつづき』は、勝手に僕がそういう映画ではないと思いこんでいたのだ。映画を観ていく中で、自分の先入観を少しずつ修正していったが、とにかく「派手さ」が一切無いまま、静かにゆっくりと物語を紡いでいく感じがとても良かった。

主人公は、9歳の少年・サマイ。彼は、インドの片田舎であるグジャラート州サウラシュトラに住んでいる。父親は線路沿いにチャイ売りの店を出しており、サマイも手伝っている。
ある日、5歳の時以来一度も行ったことがない映画館へ、家族みんなで行くことになった。バラモンのカーストの出である父にとって、映画は「低俗なもの」でしかなく、今回はカーリー女神の映画だから特別観るに過ぎない。サマイには、「これが最後の映画だ」と釘を刺した。
しかしサマイは、映画に魅せられてしまう。学校をサボって、お金を払わず劇場に潜り込むが、館主に見つかり叩き出されてしまう。しょんぼりしていると、1人の男が話しかけてきた。ちょうど母特製の弁当を食べようとしていたタイミングだったが、映画が観られないショックでサマイは食欲を失っていた。「だったら俺にくれ」とその男が弁当を食べると、交換条件ということである場所へと連れて行かれた。
映写室だ。ファザルと名乗った男は、映画技師だったのだ。サマイの母の料理が絶品だったことから、ファザルは、「弁当と交換で、ここから映画を見せてやる」と持ちかけた。
こうしてサマイの映画漬けの日々が始まっていく……。
というような話です。

実話を基にしていると知れば不思議はないが、とにかくこの映画は「子どもの生活圏内」だけで物語が完結している。サマイら子どもたちの移動手段は、電車か自転車ぐらいしかない。父のチャイ売りも手伝わなければいけないから、そう遠くにもいけない。学校をサボって映画館に行くか、家の近所で遊ぶかぐらいしか選択肢がない。そういう中で、「映画監督になる」という道筋を描こうというのだから、なかなかの物語だと思う。

サマイはもちろん、「映画の何たるか」など最初はまったく知らなかった。しかし、ファザルと関わる中で、フィルムの繋ぎ方、映写機へのセットの仕方、映画が連続して見える構造などを学んでいく。

片田舎故に、カメラなどもない。映画の中で、「2010年の今になっても~」みたいなセリフがあったので、舞台は2010年なのではないかと思うが(しかしだとすると、監督の年齢と合わないだろうな、きっと。実際にはもっと昔の話なのだろう)、劇中にはスマホは一切出てこなかったと思う。つまりサマイには、「撮る」という選択肢がないことになる。

となれば出来ることは、「物語ること」と「映画を上映すること」ぐらいだろう。

「物語ること」に関する描写はいくつかあったが、一番印象的だったのは、冒頭の方で出てくる「線路沿いで拾ったマッチの絵柄で物語を紡ぐ」という場面だろう。サマイは、「映像」を生み出すことはできなくても、「物語」を生み出すことはできたのだ。

さらに、ファザルと出会ってからは、「どうにかして、自分たちで映画を上映できないか」というのが大きな挑戦となっていく。あまり具体的には触れないが、この過程はなかなか凄い。色んなアイデアと知識を組み合わせ、また、「最悪だった経験」さえもプラスに転換し、片田舎の、映画の上映に必要なほぼすべてのものが手に入らない環境で、可能性を探っていく。その過程はなかなか見事だ。

そしてその展開は、「子どもだからギリセーフ」みたいなところがあって、だから物語として成立していると思う。これが高校生とかの話だったら、「いやー、それはダメでしょ」みたいになってしまう。その辺りのバランスも良かったなと思います。

バランスの話で言えば、「ま、インドだからな」という感覚も随所で抱かされました。「そんなこと出来ないだろ」とか「そんなとこ子どもが入れないだろ」と感じる場面も多々あるんですが、でもそのすぐ後で、「ま、インドだからな」という魔法の言葉ですべてOKになる、みたいな感覚がありました。これはインド映画の強さな気がします。まったく同じストーリー展開を日本舞台で描いたら、特に、「サマイがあるモノの行方を追い、行き着いた先で絶望を抱く」というシーンは、日本では成立しないだろう。この辺りのある種の「雑さ」みたいなものも、映画に上手く織り込んでいるなという感じがした。

さて、公式HPを観ると、『エンドロールのつづき』には「敬愛する巨匠監督たちへのオマージュ」が散りばめられているそうだが、名作と呼ばれる映画をほぼ観たことがない僕には、そのオマージュは1つも見つけられなかった。線路で子どもたちがワイワイしているのが『スタンド・バイ・ミー』なのかな、と思ったぐらいだ。そのオマージュを探せたら、もっと面白いのかなとも思う。

主役のサマイを演じた少年は、演技未経験でオーディションに選ばれたそうだ。サマイのセリフは主役にも拘わらず決して多くはない。ただ、表情の印象が結構強く、喋らなくても存在そのものから何かを語りかけるような佇まいはなかなかの存在感だった。公式HPのプロフィール欄に、「同じクラスのリヤという女の子に恋をしているが、まだ一度も会話を交わしたことはない。」っていてある。そんな紹介、初めて見たな。

予告やポスタービジュアルのイメージとはなんとなく印象が異なる映画で、人によってはそれが「思ってたのと違った」みたいになるかもしれないと思う。ただ、「監督自身の実話を基にしている」という点も含め、じんわり見せる良い映画だと僕は感じた。映画じゃなくてもいいけど、子どもの頃に「これだ!」って思えるモノに出会えた幸せみたいなのも感じたかな。


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