【映画】「助産師たちの夜が明ける」感想・レビュー・解説

「どうやって撮ってるんだろう?」って、観ながらずっと思っていた。

元々僕は本作を、ドキュメンタリー映画だと思ってた。映画館で観た予告で本作の存在を知ったのだが、その雰囲気から「ドキュメンタリー」に感じられたのだ。しかし、映画が始まってすぐに、「あ、ドキュメンタリーじゃないんだな」と気付いた。別にドキュメンタリーじゃないから観る気が失せたとかそんな話ではないのだが、とにかく「これはフィクションなんだな」と冒頭ですぐに気づいたのだ。

そこまでは別に不思議でもなんでもない。

ただ、映画を観ていてとにかく驚かされたのは、「明らかに実際の出産の現場を撮影していること」だ。帝王切開で子どもを取り出していたり、子宮口から赤ちゃんの頭が出てくる場面だったりが、映画の中で普通に映し出されるのだ。CGなわけがないし、演技でどうこうなるものでもないので、この出産シーンは本物だと思う。鑑賞後に公式HPを確認したら、「実際の出産シーンを織り交ぜながら、」と書いてあったので、間違いない。

そしてそこに、役者たちの演技が組み込まれていくのだ。

「実際の出産シーンを織り交ぜている」ということは、実際に病院にカメラを入れて撮ってるはずだ。しかし、作中でも描かれていたように、フランスの産婦人科病棟は戦場のような有り様だ。助産師や医師たちが口々に、「30年も続けてたら死ぬ」「常に人手不足」「人を人として扱わない」など、あまりに酷い職場環境に文句を言っているのだ。

また、本作の最後は、助産師たちのデモの様子を映し出して終わる。本作に登場した役者たちが映っているので、このデモのシーンも映画用に撮影したのだとは思うが、しかし恐らく、「助産師たちのデモがあった」というのは事実なんじゃないかと思う。そのデモの中で助産師たちは、「助産師は絶滅」「重要な仕事なのに薄給」「過労死寸前」といったプラカードを掲げていた。相当深刻な状況にあるようだ。

そして、そんな現場に、撮影のためのカメラを入れるのだ。そんなこと出来るのだろうか? まあ実際にやったのだろうけど、そういう点から僕は、「本作は一体どんな風に撮られたんだろう?」と感じてしまった。

そんなわけで、明らかにフィクションだと分かる映像の造りではあるものの、随所に「ドキュメンタリー感」を感じさせる作品であり、そのリアリティに圧倒されてしまった。

僕は正直、子どもの頃からずっと「子どもなんかほしくない」と思っていたし、今も変わらずそう思い続けているので、結婚はともかくとしても、「父親になる」みたいな選択を自らするつもりはまったくない。ただその一方で、「子どもや子育てをしている家庭はもっと優遇されるべきだ」と思っている。どう考えたってそうだろう。「老人」や「未婚の人(僕もそうだ)」に金を使うより、「これから生まれてくる子ども」に金を使う方がどう考えても合理的である。

そしてだからこそ、命が生まれる現場を支える人たちも、優遇されてほしいと思う。

フランスは、僕の知識では、かなり大胆な少子化対策を行って、割と有意な成果が出た国だったはずだ。ちゃんと知っているのは「婚外子を法的に認めている」ぐらいだが、調べてみると、税金など様々な点で優遇措置があるのだそうだ。

しかしそんなフランスで、助産師たちが過酷な労働を強いられている。それはなんとも皮肉というか、理解しがたい状況であるように感じられる。

彼女たちが働く環境は、なかなか凄まじい。それは単に「助産師や医師がハードワークを強いられている」というだけに留まらない。もちろんそれも大問題だが、もっと重篤な問題がある。「人手不足のために、母子に危険が及ぶような状況が常に存在し続けている」のだ。

作中で主人公の1人として描かれている黒人のソフィアは、自身が担当する患者が子宮破裂を起こし、帝王切開に切り替わったという経験をする。この件でソフィアはメンタル的にかなりやられてしまうのだが、ここには実は様々な複合的な問題があった。そもそも分娩台が空いておらず、分娩台にいればチェックできたはずの変化に気付けなかった。またモニターが故障し、遠隔でのチェックも難しくなる。さらにその日は、スタッフに病欠があり通常よりも人数が少なかったのだ。だから、ソフィアを責めるような雰囲気に対して同僚の1人は、「ソフィアの問題じゃなくて、人手不足が問題なの」と訴える。

また、後半ではこんな状況が描かれていた。出産を控えて分娩台にいた2人の妊婦が、誰の手も借りずに出産したのだ。助産師たちは人手不足と業務過多のため、その2人がいる病室に行けなかったのである。一緒にいた夫は、「5時間も誰も来なかったんだぞ」と、助産師のリーダー的女性を責めていた。

とてもまともな状況とは言えないだろう。

そんな環境の中で、どうにか踏ん張る者たちが描かれる作品で、そのあまりの壮絶さに圧倒されてしまった。

さて、そんな「命が生まれる現場の凄まじい労働環境」をベースにしながら、主にソフィアと、彼女とルームシェアしているルイーズの2人がメインで描かれていく。公式HPの内容紹介を読んでようやく理解したのだが、この2人は5年間の研究を終えて助産師として働き始めたのだそうだ(なんとなく僕は、ソフィアは元々働いていて、そこにルイーズが新たにやってきたのだと思っていた)。初日、ルイーズは先輩から「こんな忙しい日に新人?」みたいに言われながら仕事を教えてもらう。しかししばらくの間、「何か出来ることはありますか?」と聞いても、「私の邪魔をしないで」ぐらいしか言われない日々を過ごす。

一方のソフィアは、自ら積極的に手を挙げ、チームの面々からも信頼されるようになっていく。しかし、先述した「ミス」があり、ソフィア自身もメンタルがおかしくなってしまったり、上司も配置換えを考えたりと、なかなか難しい状況に置かれてしまう。

そんな2人の家に、新人の医師(だと思う)のバランタンが間借りするという話になったことで、少し厄介な状況に陥ることになる。ただまあ、その話には触れないことにしよう。しかしなかなかハードな状況で、誰も悪くないと言えば悪くないが、悪いっちゃ悪いよなぁ、というなかなか難しい感じがした。確かに「善行」かもしれないが、しかしそれを「善行」と呼んで良いのか悩むような状況だった。

さて、これは助産師に限る話ではないが、大変だなぁと感じたのが「安心させなければならないが、死と隣り合わせでもある」という命の現場の辛さである。

冒頭でルイーズが上司に怒られる場面がある。上司がある妊婦に、「いくら手を尽くしても収縮が収まらないので、未熟児のまま双子が生まれてしまう」と告げた場にルイーズもいたのだが、病室から出るとルイーズは「感傷的になるんじゃない」と怒鳴られてしまう。ルイーズは「未熟児のまま双子が生まれる」という話を聞いてもらい泣きしてしまっていたのだ。

それの何が問題なのか。上司は「患者を不安にさせたいの?」と詰め寄る。助産師は妊婦を安心させなければならないのだ。そのため、「自分の感情はロッカーにでもしまっておくの!」と言われてしまうのである。

一方、ソフィアにもこんな場面があった。後にソフィアを罪悪感で苦しめることになるミスの前、その妊婦に「私たちがついているから安心です」と彼女は伝えていたのだ。もちろんソフィアは本心からそう思っていただろうし、そう出来るとも考えていたはずだ。しかし実際には色んな状況が重なり、とても「安心」とは言えるような状況ではなくなってしまった。

映画で描かれている病院は、とにかく深刻な人手不足に陥っており、そのせいでミスも起こりがちなわけだが、そうでないとしても、やはり今も「出産」というのは「死」と直結する営みであることは間違いないと思う。つまり「危険な状況に陥る可能性は常にある」というわけだ。

しかし同時に彼女たちは、妊婦を安心させるために「大丈夫です」と言わざるを得ない。もちろん彼女たちは嘘をついているつもりはないだろう。そのために全力を尽くす覚悟を持っての言葉であることは間違いないと思う。しかし、どれだけ努力しても予期せぬことは起こるし、結果として伝えた言葉が嘘になってしまうこともある。

僕は、本質的にはこの点が最も辛いんじゃないかと感じた。もちろん本作で描かれる「過酷な労働環境」も深刻なのだが、仮にそれが改善されたとして、「出産が危険な行為である」という事実が変わるわけではない。そしてそうだとすれば、どれだけ完璧に業務が行われたとしても、避けがたい危険が発生してしまうことはあるはずだ。

それが分かっていながら「大丈夫です」と言わなければならない世界。そのことが僕には一番大変であるように感じられた。

さて最後に。僕には上手く理解できなかったのがソフィアへの扱いだ。ソフィアが「ミス」の後で配置換えを提案されたことは既に書いたが、実は「ミス」以前にも配置換えの打診を受けている。産前教室という、出産前の妊婦に講習などを行う教室のことだろう。ソフィアはその申し出に対し、「分娩室が好きなので」と言って断っていたのだが、そもそも僕には、ソフィアがどうしてそんな打診を受けているのかが謎だった。なにせ、助産師は常に人手不足だからだ。

だから僕には、「ソフィアが黒人だから」としか思えなかったのだけど、それはさすがに曲解なのだろうか? そこまで人種差別を露骨に行うものなんだろうかとも思う、他に思い当たる理由がないので、僕としてはそう認識する他なかった。本当のところはどうなんだろう?

あと、公式HPを観て驚いたのは、本作は今日2024年8月17日時点で、「ヒューマントラストシネマ有楽町」でしか上映されていない。8月31日以降、他の地域でも順次公開されるようだが、しかし東京では「ヒューマントラストシネマ有楽町」1館のみのようだ。割とマイナーな映画のはずなのに、劇場が結構混んでいたのは、ここでしかやってなかったからなのかと納得。映画館の運営もなかなか大変だと思うので色々仕方ない部分はあるとは思うが、個人的には、もう少し広く公開されても良い映画じゃないかと思う。

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