【映画】「マイスモールランド」感想・レビュー・解説

やっぱりクソみたいな現実だと思う。日本という国の「ろくでもなさ」に驚かされるし、ホントに嫌な気持ちになる。

もちろんだが、難民に限らずどんな問題に対しても、「全員を適切に救う」ことは不可能だ。だから、どうしても「網からこぼれてしまう人」は出てきてしまう。それは仕方ないことだと僕も理解しているつもりだ。

しかし、難民の現実はそんなレベルの話ではない。日本における難民の現実は、「大多数は救われ、一部の人が網からこぼれてしまっている」なんてものではなく、「ほとんど全員が網からこぼれている」という常態なのだ。

だから、このような現状を生み出している日本という国には、ちょっと弁解の余地はないと感じる。

ロシアのウクライナ侵攻で、「ウクライナからの避難民を受け入れる」と打ち出している。しかし重要なのは、国が「避難民」という言葉を使っている点だ。「難民として受け入れる」とは言っていないのである。

UNHCRでは、国外に逃れた人を「難民」(英語では「refugee」)、国内で避難した人を「国内避難民」(英語では「Internally Displaced Persons: IDPs」)と使い分けているそうだ。普通に考えれば、ウクライナから日本にやってきた人は「難民」と呼ばれるべきだが、日本政府は「避難民」という呼称を使っている。間違いなく明確な意図があってのことだろう。そしてそれは、「難民として受け入れるつもりはない」という意思表示なのだと思う。

実際、ウクライナからの「避難民」についても、確かテレビのニュースで見た記憶では「期間限定の在留資格」は与えられるが、「難民認定」がなされるわけではないという話だったように思う。この点は現在進行形であり、状況は変わるかもしれないが、少なくとも現時点で「ウクライナからの『避難民』を『難民』として受け入れるつもりはない」ということだろう。

それぐらい、日本での「難民認定」はハードルが高い。2020年のデータだが、「ドイツ・カナダ・フランス・アメリカ・イギリス・日本」の6カ国について言えば、記載した順に難民認定数が多い。5位のイギリスと比較してもその差は圧倒的で、イギリスでは「認定数9108人、認定率47.6%」に対して、日本は「認定数47人、認定率0.5%」という少なさだ。
(データは以下のサイト参照

僕は、そのような日本の現実を、『東京クルド』『牛久』という2作の映画を観て理解した。これらの映画を観る前は、「日本の難民認定率が異常に低い」ぐらいの知識しかなく、『東京クルド』で「仮釈放」の説明がなされるまで、それがなんなのかも理解できなかった。

『マイスモールランド』を観た人の中には恐らく、「仮釈放」の意味や「父親が刑務所みたいな場所に収監されている理由」がさっぱり理解できないだろう。興味がある方は『東京クルド』『牛久』の記事に詳しく書いたのでそちらを読んでほしい。

『東京クルド』『牛久』というドキュメンタリー映画を観た僕には、『マイスモールランド』で描かれる世界がすべて「日本の現実」であると理解できている。『マイスモールランド』を観た人の中には、「これは『起こりうる可能性』を描いているだけで、こんな酷いことが実際に起こっているはずがない」と考えるかもしれないが、そんなことはない。「仮釈放中は働いてはいけない」のも、「理由もなく入管に拘束される」のも、すべて今の日本でずっと起こっていることなのである。

『マイスモールランド』のストーリーそのものは事実ではないかもしれないが、この映画で描かれているのは、「日本に住む難民の現実を集積させたもの」だ。だから気分的には「事実と呼んでいいもの」である。エンドロールでは、「この物語は、取材を基に構成されたフィクションです」というような表記があったが、同時に、「顔も名前も出せない、日本の住むすべてのクルド人へ」というような表記もあった。日本でクルド人が難民認定された例はほぼないという。

僕は、『東京クルド』『牛久』を観て、自分がなんて恥ずかしい国に住んでいるのかと絶望的な気分になった。そしてこの2つの映画から、「知識」と「現実」を知ったと思う。

そして『マイスモールランド』からは、「感情」を学んだ。ドキュメンタリー映画では、どうしても「感情」を出しきれない部分もあるだろう。『マイスモールランド』は、フィクションの形を借りて、「日本に生きる難民の『感情』」をリアルに描き出していると思う。

『東京クルド』『牛久』もオススメだが、ドキュメンタリー映画はちょっとハードルが高い、という方は、『マイスモールランド』を是非観て欲しい。「自分たちがこんなクソみたいな国に生きているんだ」と多くの人が正しく実感することが、現状の変更に少しでも役立つかもしれないと思いたいからだ。

彼女たちが、「たまたま網からこぼれてしまった人たち」であるなら、「仕方ない」で割り切る余地もある。しかし今の日本には、そもそも「網」がない。ほぼ誰も、「網」に引っかからないまま、苦しい現実を生きざるを得ないのだ。

そんな社会は、やっぱり「間違っている」と思う。

内容に入ろうと思います。
埼玉県川口市に住むクルド人のサーリャは、大学受験を控える高校3年生。反体制的な運動に参加していたとして祖国での立場が危うくなった父が、子どもたちを連れて日本にやってきたのだ。サーリャは小学生の頃に日本にやってきて、学校に馴染むのも苦労したが、努力して日本語を学び、今では日本語を上手く喋れないクルド人たちの手伝いを引き受けるまでになった。妹と弟は日本語しか喋れず、クルド語で会話するのは父とサーリャだけだ。母親は、祖国で既に亡くなっている。
大学も推薦が狙えるラインにいるし、仲の良い友人もいる。家では食事前にクルド語の祈りを捧げるが、サーリャ自身は「クルド人」としてのアイデンティティなどほとんど持っておらず、日本人のように過ごしている。
進学のためにと、父親に内緒でコンビニでアルバイトをしているサーリャは、そこで聡太と出会う。父親にバレないように自転車で東京のコンビニにバイトに来ているサーリャは、聡太とはバイト先でしか会わない関係だが、人生で初めて自分の生い立ちを話せるほど打ち解けることができ、お互いに惹かれていく。
このまますべてが当たり前のように続いていくと考えていた彼らに、「難民申請の不認定」という決定が通知される。与えられていた在留資格が無効となり、一家は「仮釈放」というかなり自由が制限される状況に置かれてしまう。それを機に、推薦の話も頓挫し、コンビニもクビになってしまう。
追い打ちをかけるように、父親が入管に収容されることが決まり……。
というような話です。

映画を観た誰もが、「えっ?じゃあどうすればいいの?」と感じるだろう。難民申請が不認定となり、在留資格を失った者は、働けないし、許可なく県外に出てもいけない。法律的な立場で言えば「不法滞在」に近い状態ということになる。

しかし、父親はまだしも、サーリャを始めとする子どもたちは、基本的に「生活の基盤が日本にしかない」。サーリャはまだクルド人で会話できるが、妹と弟は日本語しか喋れないのだ。

それでどうすればいいというのだろう?

日本国としては、「日本に勝手にやってきたのはあなた方です。どうするかは自分で決めてください」ということなのだろう。しかしそれは、あまりにも酷い通達ではないだろうか?

『マイスモールランド』でも、フィクションであるにも拘わらず、希望ある未来を描けない。日本の難民に対する対応を誠実に守った場合、日本国内で難民は幸せを描くことはできない。国は明確に、「難民は日本に来るな、日本にいる難民は出て行け」というスタンスなのだと思う。

ホントに、信じがたい。

映画の中で描かれる知識については、大体『東京クルド』『牛久』を観ていたので知っていたが、1つ知らなかった驚きの話があった。これは、作品の後半で登場する話で、しかも父親のある行動に直接的に関係する知識なので、触れるとネタバレになってしまう。だからぼやっと書くが、「家族が離れ離れにならなければ認められない状況」という実例が存在するようで、その異常な決定にはちょっと驚かされた。どういう理屈でそれを「良し」と考えたのかまったく理解できないが、あり得ない話すぎて怒りが湧いた。

映画全体としては、とにかくサーリャが様々な現実にぶち当たる苦悩が描かれる。在留資格がないというだけで、少し前まで当たり前にできていたあらゆることが制約される。そしてそのすべてに対して、サーリャが前に出てその現実を受け止めなければならないのだ。

サーリャの様々なセリフが胸に突き刺さるが、「行きたくなくなった」と「もう頑張ってます」は一番キツかった。特に「行きたくなくなった」の方は、そう言いたくはないがそう言うしかない、という限界点における感情という感じがして辛い。

クルド人役を演じた嵐莉菜は、たまたまテレビで番宣的なコーナーを見ている時に、「クルド語が話せないから苦労した」みたいなことを言っていたと思う。演技初出演で初主演だそうだが、「これまでもずっと我慢してきた。でももう限界」というような「抑えた悲しみ」みたいなものをとても上手く表現していたと思う。ちなみに、サーリャの家族として登場する3人は、嵐莉菜の実際の家族だそうだ。確かテレビで、「家族だから出演が決まったとかじゃなく、ちゃんとオーディションを受けて決まった」と言っていた。その事実を映画を観る前から知っていたから、ラーメンを食べるシーンなんかは「本物の家族感」が滲み出ていてとても良かった。

聡太役の奥平大兼は、どっかで見たことある顔だなぁと思いながら思い出せなかったのだが、『MOTHER マザー』に出てた役者だった。彼もまたとても上手いと思う。特に、「普通の女の子だと思っていたバイト先の子が、難民認定が通らず在留資格を失ってかなりキツイ状況にいると理解した男子高生」という感じをすごく上手く出している。他人との距離感がちゃんと今っぽい感じで、それでいて踏み込むべきところでは踏み込んでいくというそのバランスが、ホントに絶妙だったなぁ。正直、奥平大兼の受けの演技が上手かったお陰で、嵐莉菜も上手く見えたという部分はあるような気がする。

とても良い映画だった。そして『マイスモールランド』をきっかけに、『東京クルド』『牛久』も観られてほしいし、日本の「異常な現実」を知る人が一人でも増えて欲しいと思う。

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