【映画】「グレタ ひとりぼっちの挑戦」感想・レビュー・解説

映画を観て、イメージが変わった。というか、足りない情報が補われた、というべきか。

グレタのことは、「怒りの人」だと思っていた。グレタについて思い浮かべる時、真っ先に頭に浮かぶのが「How dare you(よくもそんなことを)」と険しい表情で発する場面だからだ。

つまりこういうことだ。グレタという人は、「気候変動に何もしない社会や政府に怒りを感じて立ち上がったのだ」と、僕は思っていたのである。

しかし、そうではなかった。グレタは「不安の人」だった。そしてそのことは僕に、少し安心感を与えてくれた。

僕の安心など別に何の意味など無いが、説明しておこう。僕は「正義の人」に対して、「ちょっと怖いな」と思ってしまう部分があるのだ。

「正義」のために闘う人は凄いと思う。そういう個人の闘いが世界を変えていくと思うし、心の底から頑張ってほしいと思う。でもその一方で、「この人はどうしてそんなに『正義』のために自分のすべてを捧げられるのだろう」とも感じてしまう。

その点に、納得しやすい理由があると、なんとなく安心する。家族を殺された被害者が刑法改正のために活動するとか、東日本大震災の被災者が原発反対運動を行うなど、「正義のための活動に従事する理由」が見える方が、僕は個人的に安心だ。

一応書いておくが、そういう背景がない人だってもちろん「正義」のための活動をしてほしいと思う。別に、「そこに理由がなければ、活動を応援できない」などと思っているわけではまったくない。完全にこれは、僕の個人的な感触の話でしかない。

グレタには、気候変動に対して声を上げるだけの切実な理由があった。

【学校で、ある映画を観た。飢餓に苦しむホッキョクグマや洪水、干ばつ、ハリケーンなどの問題が扱われていた。
すぐに行動を変えるべきだと科学者は言った。
それで私は塞ぎ込んでしまった。不安が押し寄せてきた。食べることを止め、餓死しそうになった。
それが何年も続いた。】

グレタにとって、気候変動に声を上げることは、「自分の不安感を解消するための切実な行動」だったのだ。このままでは地球環境が悪化してしまう、ということに対するリアルな不安に対してもがいているのだ。

正直僕たちは、気候変動に対して鬼気迫った不安を感じない。頭で「このままでは危ない」と思考しているから関心を持つわけだが、それはグレタが感じているような不安とはたぶん違う。

グレタの不安を僕たちの生活に例えれば、「いつ崩れてもおかしくないビルの隣で生活している」みたいな感じだろう。そのビルは、ちょっと風が吹くだけで揺れ、時折破片のようなものが落ちてくる。ミシミシと嫌な音を響かせ、建築の専門家も「危険だ」と警鐘を鳴らしている。しかしそんなビルが放置されている。

もしそんな状況に直面していれば、「早くこのビルを解体しないと大変なことになる」と声を上げることだろう。

グレタの行動は、まさにそのような「切実な不安」から呼び起こされるものなのだ。

幼い頃からグレタは、電気を消しコンセントを抜くような行動をしていたという。両親には、エネルギーを節約するためだ、と語っていた。しかし両親はそんなグレタに対して、「何も問題はない」「きちんと対策は取られているから心配ない」と説明していたそうだ。

【そしてそんな言葉に、恐怖を覚えました。状況が改善していると思い込んでいるんです】

グレタは、かつての両親についてそんな風にも語っていた。

映画のかなり早い段階で、この「グレタの行動原理の核には『切実な不安』がある」ということが理解できたので、それ以降のグレタの発言についてもスッと理解できる感じがあった。

彼女の発言も行動も、メチャクチャ合理的だ。

【私の活動は、皆さんとの自撮りや褒められるためのものではありません】

グレタは、世界的に注目を集める立場になってからも、このようなスタンスを崩さない。正直言って、中学生くらいの子になかなか出来ることではないだろう。彼女は、自身がどれだけ注目を集めようが、そんなことにはなんの意味もないと感じている。それどころか、こんな風にも言っている。

【デモの参加人数が重要なわけではない。重要なのは、温室効果ガスの排出量を減らすこと】

確かにその通りだ。しかし、世界中で数万人規模のデモが行われ、それらがグレタを起点に始まっているのだと知れば、普通ならもっと舞い上がったり、「これほどのデモを生み出すことができたなんて凄い」と思ってしまうだろう。大人でもきっとそうだろうから、中学生ならなおさらだ。

しかしグレタはブレない。

【(環境に関する国際会議に)なんのために招かれたのか理解できません】

【要人たちは、注目を集めることで、気にしているフリをしたがっているだけなのではないか】

【「あなたの活動は素晴らしい」「私も見習う」
みなさんそう言います。
でも、何もしません】

【きらびやかな宮殿やお城に招かれると、居心地の悪さを感じます。
みんなが役柄を演じるゲームに興じているよう。偽りの世界です】

グレタが「怒りの人」に見えてしまうのは、「私の言葉を誰も聞いてくれない」ということに対する怒りが、様々な経験によって積み重なったからだ、と僕は感じた。まさに彼女は、

【私の言葉が通じていないように感じます】

と発言しているし、ある会議では、

【マイクはオンですか?】

と冒頭で語っている。要するに、「実はマイクの電源が入っておらず、そのために自分の発言が誰にも届いていない、ということではないか」という、事実確認と皮肉を交えた発言というわけだ。

彼女は徹底して、「自分の発言を聞いて、行動を変えてほしい」と願っている。それ以外のことはどうでもいいと思っているのだ。というかむしろ彼女は、自分が置かれている状況から逃げ出したいという気持ちを抱いていることも吐露する。

【あまりに重大な責任を負っています。
私はこんなの望んでいない。
荷が重すぎる。
気が休まらない。
重要性も守るべきことも分かっています。
でも、責任が重すぎます】

彼女は、アスペルガー症候群であり、

【おしゃべりや交流することは好きじゃありません。時々黙りこくってしまうのは、単に話せないからです。
繰り返し行う日課が好きです】

と言っている。環境活動家として活動する中で、「場面緘黙症」を克服したり、「他人とご飯を食べられる」ようになったりと、両親が心配していた症状が改善することもあったので、全体としては良かったと言えるのかもしれないけど、やはり、アスペルガー症候群という特徴を持つ彼女にとって、「環境活動家の英雄」というような扱われ方は、あまりにも辛いものだと言えるだろう。

アスペルガー症候群であるが故に、1つのことに集中して飽きることがないし、また、興味ある物事は正確に記憶できるという。彼女の父親は、

【娘は、世界の政治家の97%よりも正確に気候の問題を理解している】

と語っていた。グレタ自身、自分のことを「勉強オタク」だと語っており、中学の卒業式では、学年トップの点数(どう算出するか分からないが、卒業時に発表される)を取った内の1人だった。

彼女がたった1人でストライキを始めた時には、お手製の「ファクトシート」を作って配った。娘のストライキについて父親は、「抗議しても手伝わない」と宣告していたようで、グレタは自分で情報を収集し、地球の気候のリスクを理解する。

ある会議でグレタは、

【私の発言は無視しても構いません。私は15歳のただの学生に過ぎないからです。
しかし、科学は無視できません】

と語っていた。こういう発言からも、どういう形でもいいから「気候変動の事実を理解し、その理解の元に行動を変えてほしい」という、グレタのシンプル過ぎる願いが理解できるだろう。

彼女は、自分の責任の重さを強く理解しているが、しかしなんとか踏ん張ってそこから逃げないでいる。そして、気候変動を伝えるために様々な行動を取る。

ニュースでも取り上げられていたから有名だろうが、グレタは、アメリカで行われる気候変動サミットに参加するために、イギリスから大西洋をヨットで渡った。かねてより「飛行機は使わない」と宣言していたが、数週間にも及ぶヨットでの移動は、体力も使うだろうし、日課から遠ざかってしまうという意味でも辛いし、そもそも危険を伴うものだ。ニュースでは、「グレタの行動は単なるパフォーマンスに過ぎない」みたいに批判する声もあったように思う。

しかしこの映画の中で、「どうしてヨットで移動するんですか?」と聞かれたグレタがこう答える場面があった。

【持続可能な社会には程遠いことを示すためです】

僕はこういう回答にグレタの知性を感じる。グレタだって当然、自分の行動がパフォーマンスだと受け取られると分かっていただろう。しかし彼女には、自分なりにきちんと伝えたいと思うメッセージがあってその行動を選択している。非常に辛い行程であり、先ほどの「あまりに重大な責任を負っています。」という発言もヨット上でのものだった。

グレタは、

【できることは全部やった、と将来思えるように、できることはなんでもやる】

と言っていた。そして、まさにグレタは、予想もできないようなレベルでそれを実現させている。映画には、父親が「応急処置講習」を受けている場面も映し出される。グレタに脅迫状などが届くようになり、危険を感じているためだ。グレタも両親が心配していることは理解しているが、

【外に出ない方が良いと言われることもありますが、私は気にしません。
活動を止めて生じる結果の方が怖いからです】

と、やはり「不安」を理由に前進していることを明らかにしている。グレタにとっては、「襲われたりする不安」よりも「気候変動による不安」の方が遥かに大きい、というわけだ。グレタは、

【みんなが、アスペルガーの性質を持っていたらと、気候変動に関してはそう感じます】

と言っている。アスペルガー症候群の人たちから見れば我々は、「今にも倒れそうなビルの隣で平然と暮らしている鈍感な奴ら」に見えるのだろう。

映画に関して驚かされたことは、2018年8月にグレタがスウェーデン議会の前でたった1人のストライキを始めた時から既にカメラが回っていたことだ。撮影している側も、まさかここまでグレタが世界的な存在になるとは想像もしていなかっただろう。

グレタは、選挙までの3週間毎日議会の前でストライキを行った。賛同する若者が一緒に座ってくれることもあったが、結局選挙では気候変動は争点にならず、気候変動への対策を打ち出していた「緑の党」は大敗を喫することになる。

その後グレタは、「未来のための金曜日(FFF)」という、毎週金曜日のストライキを始めるようになった。そして、そこから少しずつ支援者が広がり、世界的な運動へと広がっていく。2019年9月には全世界で700万人がデモに参加し、史上最大の気候ストライキとなった。

【私は、世界を白と黒に分断したいのではありません。気候問題に白黒つけたいだけなのです】

恐らくグレタの活動が何らかの形で影響しているだろう、若い人と喋っていても、やはり環境問題に対する危機意識を感じることは結構ある。グレタは、

【未来の世代は現状に手を出せません】

と言うが、まさにその通りだ。大人は「若者が世界を変えてくれる」と期待しているがそれでは遅いのだと、グレタは様々な場面で繰り返す。

だからこそ私たちは、声を上げ続け、今すぐに世界を変える力を持つ者たちをなんとか動かしていくしかないのである。

映画は昨日公開だったが、今日映画館はガラガラだった。別に「この映画を観ない人間は環境問題に関心がない」などと言いたいわけではないし、「映画だけ観て実際的な行動を何もしない僕」より「映画は観ていないが環境問題への活動をしている人」の方が圧倒的に重要だ。

それでもやはり、ガラガラの映画館は、環境問題そのものへの関心の低さが表れているようで、少し残念に感じられた。

この記事が参加している募集

#映画感想文

67,103件

サポートいただけると励みになります!