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「自分にとっての『幸せ』とは何か?」と真面目に言語化してみる

「どうだったら『幸せ』を感じられるのか」については色んな場面でよく考えるし、割と自分なりに考えが固まってきている。なので、自分の頭の整理も兼ねて、その辺りの思考をまとめておこうと思う。

まず大前提として、僕の中には次のような感覚がある。

「プラスがある」ことよりも、「マイナスが無い」ことの方が、「幸せ」に対する寄与が大きい。

意味が理解できるだろうか? 「マイナスが無い」の方が分かりにくいと思うので、具体例を挙げておこう。

●「不愉快な人間」と関わらずに済む
●「やりたくないこと」をやらずに済む

このような状態が、僕にとって「マイナスが無い」ということになる。

普通の人は恐らく「プラスがある」、つまり「美味しいものを食べる」「好きな場所に旅行に行く」「推し活をする」などの方が「幸せ」に寄与すると考えるはずだ。そして、そういう「プラス」を実現するために、お金を稼いだり、自由な時間を生み出せたりするように努力するのだと思う。

しかし僕には、そのような感覚は全然無い。もちろん僕にも、「プラスがある」ことが「幸せ」に寄与する部分はある。しかしそれは、あくまでも「マイナスが無い」ことが大前提というわけだ。

例えば、どれだけ「プラス」を感じられる状況にいたとしても、その同じ状況で「『不愉快な人間』と関わらなければならない」とか「『やりたくないこと』をしなければならない」のだとしたら、結果として僕にとってその状況はまったく「プラス」には感じられないだろう。あくまでも「マイナスが無い」ことが最優先であり、それが実現されている状態で「プラス」を積み重ねられるなら、それは「幸せ」に寄与し得る、という話なのだ。

この点を明確に意識できるようになってから、「人生において何を優先すべきか」の判断に迷わなくなった。今ではもうとにかく、「プラスがあるよ」みたいな勧誘や説得にはほぼ興味がない。僕が関心を向けられるのは、「マイナスが無いよ」というアピールであり、この点が世間一般と大きく異なるために、話の通じなさを感じることもとても多いというわけだ。

では、「マイナスが無い」ことが実現された上で、さらに僕は一体何を「プラス」に感じるのだろうか。この点についても、ほぼ2択に絞られると言える。それが、

●「興味深い人間」と関わること
●「知的好奇心」を満たしてくれるような何かに関わること

である。もちろん、世の中にはまだまだ「私が出会ったことがないコト・モノ」はたくさんあるわけで、そういうものの中に「自分の『幸せ度』を高めてくれるような何か」がある可能性はゼロではない。しかし少なくとも、今まで僕が触れてきた様々なコト・モノの中では、上記2点ぐらいしか僕の中の「幸せ度」を上げてはくれないことは明確に分かっている。衣食住や旅行には興味ないし(ただもちろん、それらを「興味深い人間」とするのであれば話は別だ)、芸能人で好きだなと思う人がいても、それが「推し活」みたいなことに繋がったりもしないのだ。

「『興味深い人間』と関わること」「『知的好奇心』を満たしてくれるような何かに関わること」はどちらも、「今の自分の価値観をぶち壊してくれる何かに触れたい」という欲求だと言える。今まで知らなかった知識・概念・価値観などをとにかく知りたいという気持ちが強く、それが満たされた時に、自分の中の「幸せ度」が上がる感覚があるというわけだ。

そしてだからこそ、僕が明確に意識していることは、「お金は僕を幸せにはしてくれない」ということである。いくらお金を積んでも、「興味深い人間」に出会えるわけではない。確かに、お金がある方が「人との出会い」という意味では可能性が広がると言えるかもしれないが、ただ僕の感触としては、そんなに簡単な話ではないとも思っている。とにかく、「興味深い人間」と出会うのは、メチャクチャ難しいのだ。また「知的好奇心」は、本・映画・美術館など、そこまで金額が高いわけではないものでかなり摂取可能である。

だから僕にとって「お金」は、「『興味深い人間』と関わるコスト」(飲み代や通信費など)と、「『知的好奇心』を満たしてくれるような何かに触れるコスト」(本代や映画代など)が賄えれば十分なのだ。それ以上のお金は、確かに「生活や将来の不安を払拭する」という意味での価値はあるが、「幸せ度」を上げるためには寄与しないのである。

もちろん、「一生働かなくて済むぐらいの経済的自由を達成できるお金」を手にすることが出来れば、「マイナスが無い」という状態が実現可能だと言えるだろう。だからそういう意味で、「宝くじや万馬券を当てる」とか「今まで存在を知らなかった親族から莫大な遺産を相続する」みたいなことが実現したらいいなとは思う。しかしやはり、そんな確率の低い事象に期待するほど楽観的にはなれはしない。そんなわけで、「お金は僕を幸せにはしてくれない」ぐらいに考えておく方が安全というわけだ。

またもう1つ、これは「マイナスが無い」という話に関わると言えるかもしれないが、僕の中で重要なポイントがある。それは、「可能な限り、思考や行動の『自由度』を保っておく」ことだ。

僕にとって「自由」というのは、かなり重要な条件だ。これはつまり、「何かによって制約されない」ことを意味する。もちろん、日本に住んでいる以上「日本の法律」には制約されるし、会社で働く人間としては「就業規則」に制約されていると言える。そういう「避けようがない制約」は甘受するとして、そうではない様々な制約からは、可能な限り距離を置いておきたいと考えているのである。

例えば僕は、「趣味で人と繋がらない」ことを割と意識している。何故か。仮に、「映画を観るのが好き」というきっかけで誰かと関わりを持ったとしよう。この場合、その人と関わり続けるためには、僕は「『映画を観るのが好きな人』で居続けなければならない」という「制約」を抱えることになる。そして、そういう状態は、僕にとってまったく望ましくない。

「今好きなことであっても、いつでもそれを好きでなくなることが出来る」というのが、僕が考える「自由」の1つの形である。だから僕は、なるべく趣味で人と繋がらないようにしているのだ。それもあって余計、「興味深い人間」と出会うことは難しいのである。

今ここに書いたようなことが僕にとっての「幸せの条件」であり、自分の人生を振り返ってみても、概ねこのような条件を満たせるように決断してきたなと思う。普通の人からすれば、僕が人生の節目節目でしてきた行動は「不合理」に映るだろうが、実際には、僕にとっては「『幸せの条件』に則った、実に合理的な決断だった」というわけだ。

今後も、今自分が把握しているこのような「幸せの条件」を満たせるように行動しつつ、もしも自分の中で何か内的変化が起こり、「幸せの条件」が変わるようなことがあれば、それをきちんとキャッチアップ出来るようにしていきたいなと思う。

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